[石橋君] 「外科医の兼松さんが、日頃自分の言うことを聞かない看護婦の良子さんを憎たらしく思っていたという事実があったとしますよ。そういう状況の中で、中々融資をしてくれなくて、ようやく融資をしてくれたと思ったらいろいろと文句をいってきていた小金持ちの植草寛さんが腸捻転で入院してきたことをいいことに、良子さんに危険な薬品の投薬を処方して植草さんの殺害を企てたという場合に、外科医の兼松さんは直接には手を下していないですよね、そうしたら兼松医師は殺人罪(199条)には問われないんですか?あぁ、良子さんは非常に良く気が付く人で、それから仕事も良く出来る人だったんですよ。看護婦の鏡のような、まぁ現代のナイチンゲールのような。そういう人だったんですんでのところで処方の間違いに気付いて事無きを得てます」
「危険な薬品って、その薬品を投薬したら死ぬことが確実なほどの劇薬よね」
「良子さんは事情を知らなかったわけだよね。そうすると、兼松医師が情を知らない看護婦の良子さんを利用して殺人罪(199条)の結果を発生させようしているということは、そういう兼松医師の行為に果たして実行行為性を肯定できるかということが問題になるね」
「えーと、実行行為というのは当該構成要件が予定する結果発生の危険を有する行為と定義されるわ」
「普通は実行行為というのは行為者自らの手で行われるけど、他人などの助けを借りている場合が少なくないね。だから、自分の手で直接に手を汚さない場合でも実行行為を考えることが出来るわけだ。とすると、他人を自己の意のままに使い、その動作や行為を自己の犯罪に利用するといった場合には、自らその実行行為をしたと全く同じに考えることができるね」
「そのような利用者は間接正犯として処罰できると考えられるわね」
「兼松医師は情を知らない看護婦の良子さんを利用して植草さんを殺そうとしている、つまり殺人の結果を発生させようとしているね。看護婦の良子さんを利用しようとしているところに、兼松医師の支配可能性が認められるから、兼松医師の行為は殺人罪の実行行為と評価できる」
「でも、結局は植草さんは殺されなかったわけで、つまり殺人の結果が発生していないわけね。だから、兼松医師に殺人未遂罪(199条・203条)の成立するのかどうかを考えなくてはいけないことになる」
「実行の着手を考えるわけだ」
「実行の着手っていうのは、具体的な犯罪結果発生の危険性が現実化した時点と考えられる」
「そして、そうした具体的な危険性というのは被利用者による行為によって現実化する場合が多いね」
「だけど、そう簡単には一概には言えないわよ。つまり、危険性の発生は、個々の具体的な事案によって変わるものでしょ。とすると、間接正犯でも、実行の着手時期について利用者・被利用者いずれを基準とすると固定化することは妥当じゃないわね。ケース・バイ・ケースによって、実行の着手を認めるに必要な危険が発生しているかどうかを個別具体的に判断すべきだわ」
「とするとだよ、この場合は殺人の結果発生の現実的危険は未だ発生していないと考えることができるね。ということは、兼松医師には殺人未遂罪は成立しないことになるね。でも、兼松医師の行った行為は予備の構成要件に該当するから、兼松医師には殺人予備罪(201条)が成立することになる」
|