小牧・長久手の戦い (天正12年)
「事の始まりは、織田信雄が長島城に秀吉との関係修復を勧める伊勢国松ヶ島城主津川義冬、尾張国星崎城主岡田重孝、同じく尾張国苅安賀(かりやすか)城主浅井新八の3名を呼び出した上で誅殺したことだね」
「天正12年の3月6日ね」
「織田信雄はすぐに家康に援軍を依頼する。一方、急報を聞いた大阪城の秀吉も黙ってはいなかった」
「3月10日に近江の坂本に布陣」
「信雄も負けじと、秀吉前線軍の伊勢亀山城を猛攻」
「信雄軍には尾張勢も参陣するけど、そこは秀吉のほうが一枚上手」
「蒲生氏郷、堀秀政、滝川一益からなる強力な援軍を送る」
「それで、伊勢戦線での戦いは逆転し信雄前線軍は峯城に篭城するも落城となるわけね」
「でもね、信雄は伊勢だけではなくて尾張・伊勢・伊賀3国の大大名。加えて、信雄が援軍を乞うた家康は尾張の隣国三河が本拠。秀吉が伊勢戦線だけで終わるわけがない」
「日は3月13日。犬山城の兵はわが目を疑ったといったところね。城を攻めてくる大軍がいる。しかも、城主である中川定成は伊勢に出陣中」
「美濃国大垣城主池田恒興と同じく金山城主森長可(ながよし)が秀吉の命によって攻め込んだわけだ」
「家康は尾張国清須城で信雄と会談して伊勢出陣を丁度整えたところよね。戦線は完全に伊勢国だと考えている。ところが、戦端はまさに足元で突如として開かれた。驚いて急遽、酒井忠次と奥平信昌を派遣し南下していた森軍を現在の犬山にある羽黒八幡林にて打ち破る」
「ここに至って、御大将秀吉が大軍を率いて大阪を出陣。楽田(がくでん)城を本陣とし数々の砦を瞬く間に構築」
「対する信雄・家康連合軍も家康が28日、あくる日には信雄が小牧山城に到陣。いよいよ全面対決となるわけね」
「軍勢では秀吉が優位だったけど、家康は北条、長宗我部、紀州根来衆・雑賀一揆と結んで岸和田や堺など秀吉の足元を逆に脅かしていく。そして、戦況はクライマックスへ」
「三河中入りね」
「池田恒興、家康軍の側面を突いて三河国へ一気に攻め入る三河中入り別働隊を提言。4月6日に総大将三好秀次(後の関白豊臣秀次)を筆頭に森長可、池田恒興そして軍監堀秀政で中入りを敢行」
「でも、あろうことか、家康軍に察知され、別働隊は丹羽氏重が守る岩崎城を落としただけで、小牧山城を脱出した家康の前線榊原康政軍が秀次軍を襲撃し木下祐久と利匡を討ち取る」
「一枚目の秀次軍は破られたけれども、別働隊にはまだ3枚ある。続く堀軍は桧ヶ根で刃を交え榊原軍を撃退する」
「だけど、ここで長久手の戦いの一大悲劇が襲うことになるのね。堀軍が信雄・家康軍と遭遇し苦境に陥っているところに、秀次軍の壊滅を受けて引き返した池田・森軍が突入するという状態となって、火縄銃による集中砲火を浴びることに」
「そして、森長可は眉間に弾丸を受けて戦死、恒興も永井伝八郎に討ち取られる。この時、嫡男の池田元助も父のもとへ駆けつける途中で安藤直次に首をかかれた」
「三河入りは大失敗に終わったわけね。秀吉が進軍したときには家康軍は小幡城に入った後、さらに小幡城を攻めようと竜泉城に入ると小牧山城に取って返すというように家康のほうが一枚上手だったのね」
「これで終わったならば信雄・家康連合軍の大勝利だけど、そうは問屋が卸さない。秀吉は家康ではなく信雄を叩き、尾張国西部戦線と伊勢戦線で攻勢に出るわけだ」
「尾張東部に出張っている信雄は堪らないわ。特に、伊勢では神戸城や安濃津城を落とし、桑名城を包囲したうえ信雄の本拠長島城を落とす勢いになる」
「ことここに至って、織田信雄は秀吉と単独講和し、一応戦いは終わる」
「難しいのは、これで完全に終結したわけではないところね。家康と秀吉の講和は天正14年だからね。でも、総じて考えるならば、信雄単独講和の時点で戦いは終了し軍配は秀吉軍に上がったというべきでしょうね」
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