[中国継受法時代]

 中大兄皇子による大化の改新から源 頼朝による鎌倉幕府開府までの約400年の時代は体系的に中国の法を輸入した時代であり、中国継受法時代と呼ばれる。
 この中国継受法時代は、@律令時代とA固有法復活時代に分けることが出来る。
 律令時代というのは、大化の改新から延喜・天暦期までの約200年間で、固有法復活時代というのは延喜・天暦期から伊勢平氏の清盛が打ち立てた平家政権が壇ノ浦で族滅するまでの約200年間を指す。
 この後半の固有法復活時代には、「時の行事」と呼ばれる慣習法や判例が支配的になっていった時代でもある。
 

土 地 制 度 ●班田収受法  ●荘園制度
刑      法 ●律   ●検非違使庁の流例
人  権  法 ●身分法  ●能力法
物  権  法 ●不動産物権  ●動産物権
●担保物権
債  権  法 ●売買    ●贈与
●消費貸借
●多数当事者間の関係
●使用貸借
●寄託
●不法行為法
親族・相続法 ●戸制度
●親族  ●婚姻  ●親子
●後見  ●相続
訴訟手続法 ●刑事訴訟法
●民事訴訟法
司法制度

 「大化の改新(645)年から本格的な、というか体系的な中国継受法時代が始まるね。」
 「そういう表現をすると、大化の改新の前後で法体系が断絶しているように思えちゃうけど、そうじゃぁないわ。
 律令の法体系が導入された後でも、固有法はきちんと活き続けている。」
 「確かに、詔勅や官符には『国は民をもつて本と為し、民は食をもつて命となす』とか『皇帝陛下乾坤と徳を比べ、日月と明を斉しくし、四海を家と為す。』というような民本思想や天皇主権主義があるけど、こうした律令の思想は日本古来の族長国家の思想に圧倒されていくようになるね。」
 「それが、固有法はきちんと活き続けていたっていう証拠。
 後に法皇や上皇による院政が布かれたりしたのがそうね。」
 「『義は君臣にして情は父子』と言われた日本の独自の天皇制の思想だね。
 『蓋し祖宗の政は専ら臣民を愛重して名くるに大宝(おほみたから)の称を以ってしたり。(略)臣民に在て亦称へて御臣と云ふ。天平6年海犬宿禰麻呂応詔歌に「みたみわれ、いける、しるし、あり、あめつちの、さかゆるときに、あへらく、おもへば」と謂へる是なり。蓋し上に在ては愛重の意を致し、待つに邦国の宝を以てし、下に在ては大君に服従し、自ら視て以て幸福の臣民とす、是れ我が国の典故旧俗に存するものにして本章に掲ぐる所の臣民の権利義務亦此の義に源流するに外ならず』(伊藤博文『憲法義解』)に述べられているような臣民関係だね。」
 「海犬宿禰麻呂応詔歌は天平6年だから律令の時代よね。
日本の固有法思想は、律令時代に息を潜めていたり、維新後には近代憲法の衣を纏っていたけどずっと存続していたのね。」


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