三好義興の墓


<2013/02/20>

三好義興[1542-1563]は戦国の覇者・三好長慶[1522-1564]の嫡男.三好本宗家の将来を託されながら,父・長慶に先だった三好義興の墓は大阪は高槻の芥川にあります.これは三好義興が芥川城主だったことによります.

室町幕府第13代将軍・足利義輝[1536-1565]や公家からの信頼も厚い人物とされています.

三好義興の死後,三好長慶は実弟・十河一存[1532-1561]の子の三好義継[1549-1573]を養嗣子として三好本宗家を承継させます.三好義興には義資という嫡男がいたとされますが,父親の死の際には幼少であったために家督は継げませんでした.

三好義興の死後,長慶は後顧の憂いを無くすため,弟の安宅冬康を飯盛山城に呼び出して謀殺.息子の後を追うように1564[永禄7]年に生涯を閉じました.

三好本宗家を継いだ三好義継を補佐したのが三好長逸,三好政康,岩成友通の三好三人衆と松永久秀[1508-1577].1565[永禄8]年には,松永久秀の嫡男・松永久通[1543-1577]と三好三人衆は主君・三好義継とともに二条御所の将軍・足利義輝を襲い殺害に至ります[永禄の変].

ちなみに,三好家と将軍家は三好長慶・義興が生存していた時期から衝突を繰り返す緊張関係にありました.義興の急死にも毒殺説があるのはそのためです.