小田原城

小田原城は伊勢宗瑞[北条早雲;1432-1519]と同盟関係にあった扇谷上杉朝良[1473-1518]方の大森藤頼[-1503]が城主を務めていました.代々,大森家の城だった訳です.そこに,扇谷上杉家のライバルである山内上杉顕定[1454-1510]が攻めかかります.そのため,伊勢宗瑞の弟・弥次郎,扇谷上杉朝良の実父・上杉朝昌・三浦道寸らが城に入り防衛に当たります.しかし,1504[永正元]年までに,小田原城は落城し,大森藤頼は山内上杉顕定方に転じます.

これに対して,伊勢宗瑞・弥次郎兄弟は,扇谷上杉朝良の命により,小田原城を攻略し奪取に成功します.この伊勢宗瑞・弥次郎兄弟のもとに,室町幕府奉行衆の備前松田家が相模国人の松田左衛門尉家の名跡を継ぐ形で馳せ参じ,同じく室町幕府奉行衆から堀越公方奉行衆となっていた美濃遠山家の遠山隼人佐直景[-1533]が加わりました.


三の丸外郭新堀土塁

小峰の大堀切

小田原城総曲輪は北条氏第3代北条氏康の永禄年間頃から,上杉謙信や武田信玄による侵攻に備えて構築が始まり,豊臣秀吉による小田原征伐直前の1590[天正18]年に完成したとされます.

小峰の大堀切は谷津丘陵,八幡山丘陵,天神山丘陵の分岐点という戦略上極めて重要な地点に当たります.

後北条家系譜

御由緒六家

伊勢盛時が駿河下向の際に従った六家.

御由緒六家に相模の松田氏を加えた七家を草創七手家老といいます.松田氏は相模国の波多野氏一族の総領家であったと言われます.

北条三家老

氏名備考
松田尾張守盛秀北条早雲・氏綱・氏康の3代に仕える.
大道寺駿河守盛昌北条早雲とともに駿河に下向した御由緒六家の出身.
遠山丹波守綱景武蔵遠山氏.江戸衆筆頭.

北条五家老/五色備

氏名
白備笠原康勝
小机城代
黒備多目周防守元忠
青備富永三郎右衛門尉直勝
伊豆国西土肥,相模国飯田を知行.第2次国府台合戦にて討ち死に.
赤備北条綱高
筑後国の大蔵姓高橋氏出身の高橋高種の子.高橋高種は御家騒動により京都に逐電.室町幕府第9代将軍足利義尚に仕えた後,管領畠山政長の命により堀越公方足利政知を補佐するために伊豆雲見城主として派遣.
伊勢宗瑞の重臣・多目権兵衛尉に請われて伊勢家に加わる.北条一門としての扱いを受け,子の綱高は北条姓を受ける.
黄備北条綱成
今川氏家臣の福島正成の子.父の没後北条氏綱に仕官.北条氏綱の娘・大頂院を正室とし北条一門に.

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