タコの町明石のお城です.
1617[元和3]年,小笠原忠真[1569-1667]は信濃松本藩から明石藩に転封となります.この時,第2代将軍徳川秀忠が小笠原忠真に姫路城主・本多忠政と力を合わせて新たに城を築くように命じます.こうして築城されたのが明石城.
小笠原家は室町時代は信濃国の守護という名門.そして,忠真は徳川家康の長男・信康と織田信長の娘・徳姫との間に生まれた登久姫[1576-1607]を母に持ちます.つまり,忠真は徳川家康,織田信長の曾孫という訳です.父の小笠原秀政[1569-1615]は,父・小笠原貞慶が武田信玄によって信濃国を追われたために流浪生活を余儀なくされます.貞慶が徳川家康に仕官すると,石川数正[1533-1593]に預けられます.石川数正が豊臣秀吉のもとに出奔すると,豊臣秀吉に仕えざるを得なくなります.しかし,豊臣秀吉の仲介で徳川家康と和睦.この時,秀政は登久姫を正室とします.その後,再び徳川家康の家臣となり,登久姫を正室としている関係で,小笠原氏は譜代大名の扱いを受けます.
その為,小笠原秀政の子・忠真は明石城の築城を命じられたということになります.
明石城は嘉吉の乱の激戦地となった人丸山の地に,三木城,高砂城,枝吉城,そして,小笠原忠真が最初に入った船上城の木材を利用して築城されます.
明石城を築城した小笠原忠真でしたが,1632[寛永9]年に豊前小倉藩に転封となります.
d/2011/12/23_神戸_京都
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.