千葉にある房総の戦国大名里見氏の最期のお城.
里見氏7代目の里見義頼が築城しました.
里見義頼は小弓公方足利頼純を保護していた関係で鎌倉奪還を狙ったことで,豊臣秀吉によって領地の半分を失います(上総,安房二国から安房一国へ).
この義頼は里見義弘と義弘が鎌倉に攻め入って連れてきた青岳尼との子であるという説もあります.本当のことは義弘と青岳尼しか知り得ませんが.
里見氏は義頼の孫の忠義の代に大久保忠隣の失脚事件に連座して伯耆倉吉に移されます.更に,忠義に子供がいなかったために,忠義が亡くなると里見氏は断絶しました.
その時に里見八犬伝のモデルとされる八人の家臣が殉死.八人の遺灰は家臣達が幕府の監視を逃れて密かに館山に持ち帰り葬ったと言われ現在でも墓が残されています.
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