北条氏の小机衆の一人,中田加賀守が城将を務めたと伝わる横浜は日吉のお城.
慶應義塾大学のキャンパス敷地内なので見学は出来ません.
1559(永禄2)年の『所領役帳』によると,中田加賀守は川嶋で11貫550文,矢上之内で3貫870文,合計15貫870文を知行していたことが分かります.中田加賀守は周辺に所領を数多く有する中田一族の惣領であったと考えられています.
中田氏は当初は江戸城の太田氏に仕えていましたが,北条氏の進出に伴って北条氏の被官となりました.
特に,中田加賀守は矢上村,井田村,川嶋村等で約3万石を所領とし,日吉台の矢上城に本拠地を構えます.豊臣秀吉による小田原討伐の際に中田加賀守は討死したとも矢上城に戻って没したとも言われます.中田加賀守の子の中田藤左衛門は川嶋村に陣屋を移して居を構え正観寺に加賀守らを弔ったといいます.
なお,館の地には先祖代々の墳墓があったとされています.
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