茨城は守谷にある今城(いまんじょ)とも呼ばれるお城.
今造られた城=今城が転訛して「いまんじょ」となったと考えられています.
1340(暦応3)年に南朝方だった相馬忠重が春日中将顕国(-1344)を迎えて城を築いたと言われていますが,その城が今城こと高野城ではないかと考えられています.
春日中将顕国は,大宝城が落城し北畠親房や奉戴されていた大塔宮護良親王の王子の興良親王が吉野に帰還した後も,関東を拠点として北朝に対抗します.しかし,1344(康永3)年に馴馬城に籠城しますが宍戸朝里によって落城,捕縛され処刑されました.
今城こと高野城を築城したとされる相馬忠重は新田義貞に従って転戦し越前金ヶ崎で討死しました(1336-1337).つまり,今城が築城されたとされる1340(暦応3)年時点では相馬忠重はこの世にいなかったことになるので,築城者は別の人物ということになりそうです.
この点に関しては,平将門が守谷城を築城した時に出城として築城したものだという伝承があります.高野というのは高野山に因む名前だともされています.この説はおいておくとしても,相馬忠重の祖先の相馬胤継によって築城されたという説もあります.現在見ることの出来る今城は規模が小さいものですが,この今城が下総相馬氏の拠点として相馬胤継により築城されたとすると,現在よりも相当大きな城であったと考えられそうです.
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.