石部城

文明年間[1469-87]に佐々木六角氏の宿老・三雲氏が築城したとされる東西約80メートル,南北約100メートルの平城.

享禄年間[1528-32]に,城将は三雲氏から青木筑後守秀正・石部右馬允家長父子に代わります.青木家は甲賀五十三家の1つです.

石部城は湖南から甲賀郡への入り口に当たることから,佐々木六角氏の奥の城として機能してきました.応仁の乱の後,近江守護・六角高頼[-1520]は第9代将軍・足利義尚[Yoshihisa Ashikaga;1465-1489]に攻められて甲賀に逃げた際に石部城に籠城しています.

また,六角承禎[1521-1598]・義治[1545-1612]父子は石部城に籠城しますが,織田信長配下の佐久間信盛[1528-1582]に攻められ落城しています[1570].

その後,1573[天正元]年に石部城は廃城となり,1684[貞享元]年に城の北側にあった菩提寺が善隆寺として石部城址に移転されています.


<2017/07>

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.