南房総市豊岡にある岡本城は里見氏の家臣である岡本左京亮通輔が築城したと言われます.岡本通輔は古河公方の家臣でしたが,後に里見氏に仕えました.
岡本通輔の子の岡本随縁斉こと安泰は,対岸の北条氏に備えを重視した主君の里見義弘の要請を受けて1572[元亀3]年に城を譲り渡します.
城を譲り受けた里見義弘[1530-1578]は養子の義頼[1543-1587;里見義堯の子]を城主とします.この時,城の山腹を削り絶壁とし堀切も整備.
岡本随縁斉は里見水軍を率いることになります.岡本随縁斉の子の頼元は1571[元亀2]年に里見水軍として三浦半島に攻め入り戦功を挙げ里見義弘から感状と具足を賜っている.
里見義弘は1578[天正6]年に死去.生前に,子の梅王丸[義重]には上総を養子の義頼には安房を相続させることとしていました.
しかし,義頼と梅王丸は対立.1580[天正8]年に義頼は義弘が1577[天正5]年に北条氏と和睦した際に北条氏政の娘・鶴姫を正室としていた関係で,北条軍の支援の受けて上総を制圧し梅王丸を出家させます.
里見水軍の一角を占める存在だった岡本頼元は1588[天正16]年頃に発生した岡本城の火災の責任を問われ一時的に追放されてしまいます.
1591[天正19]年に,里見義康が館山城に居城を移したことで岡本城は里見氏の本拠地としての役割を終えました.
【里見義弘関係系図】
2017/06/17_南房総
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.