至徳寺館

新潟は直江津にある越後守護・上杉氏の守護館.初代関東管領にして上野・越後・伊豆守護であった上杉憲顕[1306-1368/10/31]の嫡子の上杉憲将[-1366/08/11]の菩提寺で至徳年間[1384-1387]に,憲将の子・久庵僧可によって開かれた至徳寺の跡地とされていた一体は発掘調査によって守護館であったと考えられるようになっています.

当初,越後守護館は長岡の上条城にありましたが,越後上杉家第2代・上杉房方が応永年間[1394-1428]に春日山城に本拠地を移すと,守護館を至徳寺の周辺に整備したと考えられています.

上杉憲将の死後,越後守護職は弟・上杉憲栄[1350-1422]が受け継ぎます.この上杉憲栄が越後上杉家の祖とされています.上杉憲栄の時代,越後国衙領は兄で山内上杉家を継承していた上杉憲方と犬懸上杉家の上杉朝房の領有となっていて,越後守護職としての経済基盤が脆弱でした.その後,守護代・長尾高景によって上杉憲方の子・房方が越後守護に擁立されました.この時,犬懸上杉家の上杉朝房の養子となることを条件に犬懸上杉家が領有していた越後国衙領をも引き継ぎます.つまり,上杉房方の代に至って守護としての経済基盤を確立できたということになります.

また,弟・憲定に子がない場合には房方が山内上杉家の家督と関東管領職を引き継ぐことになっていたと言われています.上杉房方は,越後守護以上の力を有していたと言っても過言ではないでしょう.

上杉氏系譜[越後上杉家]

2018_07_14

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.