佐々木道誉の子孫の京極高秀の四男・高久が,近江国犬上郡甲良荘尼子郷を本拠として尼子を称したのが尼子家の起源.高久は尼子城を築城し京極宗家の勝楽寺の前衛とした.
高久の長男・詮久が江州尼子を継ぎ,高久の二男・持久が出雲国守護代となって雲州尼子家を立て発展していく.
雲州尼子家は月山富田城を本拠とし11ヶ国200万石の大大名となったが,近江国に残った江州尼子家は早くも高久の子・氏宗の代に没落.広大な敷地を誇った尼子城も消え去った.
殿城池,別名・お園堀は尼子城の堀の名残.今は,尼子城が落城した際に入水した城主の奥方の八重姫を祀る.お園というのは八重姫の後を追って入水した侍女の名.
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