余目館


[2017/08/17]

山形県東田川郡庄内町にある安保氏歴代の館.

安保氏は武蔵七党の丹党の流れを汲み,安保肥前守忠実を祖とし,正平年間[1346-70]頃に余目に入部.

安保直実は安保光泰の二男であり,四条畷の戦いにおいて,南朝方の和田正朝を討取ったことで知られる.足利尊氏の執事・高武蔵守師直の家臣であったと言われ,諸国に所領を持っていた.

余目に入部した安保氏は16代にわたって余目の阿佐丸・阿都・袋郷を治める.しかし,天正3[1575]年に安保能形が亡くなり,さらに,弟で田尻館主・安保与次郎も尾浦城主・大宝寺義氏との戦いで討ち死にするに及んで滅亡.

その後も,余目館は清川関と亀ヶ崎城とを結ぶ中継点として重視され,梅木氏が守ったとされる.一度は徳川幕府による一国一城令によって廃城するも,最上氏が改易され酒井氏が庄内に入ると酒井忠勝の次男の忠俊が余目に入り陣屋を構えた.酒井忠俊に嗣子が無かったために,元禄9[1696]年に幕府直轄となり廃された.

安保氏代々の拠点であった余目館の跡地は今は乗慶寺となっている.

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