上杉謙信の城として知られる春日山城ですが,越後国守護である上杉氏が越後府中の館の詰め城として築城されたのが始まり.1507[永正4]年に,越後守護代・長尾為景が上杉定実を擁立,越後守護・上杉房能を春日山城より駆逐し城主となります.
上杉定実は上条上杉家の出身で,1503[文亀3]年6月に越後守護・上杉房能の娘を正室に迎えています.上条上杉家は越後守護上杉房方の子・上杉清方が上条城を本拠としたことに始まる家.上条上杉家からは,清方の子の上杉房定は越後守護となった他,清方の孫の上杉顕定が関東管領になっています.
長尾為景に追われた越後守護・上杉房能は兄の顕定を頼って関東へ向かおうとし直峰城に入ります.しかし,為景軍の追撃を受けて松之山に逃れ,さらに天水越に逃れ,その地で自刃[永正の乱].
1509[永正6]年7月,関東管領・上杉顕定は養子・憲房とともに報復のために越後に侵攻.長尾為景と上杉定実を越中に追いやることに成功します.ところが,上杉顕定による越後統治に越後国人衆が猛反発.1510[永正7]年6月20日,長尾為景の援軍として越後入りした信濃の高梨政盛の軍勢に長森原の戦いで敗れ,上杉顕定は自刃.これにより,上野白井城にあった上杉憲房は撤退.
その後,為景,晴景,上杉謙信,上杉景勝の四代の居城となります.
上杉景勝が会津へと移封になると,代わって越後に入った堀氏は,に直江津港近くに福島城を築城し本拠地を移しました.
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