水曜日, 8月 02, 2000
播州は姫路へ
姫路と言えば播州の中心地。姫路は播磨国の国府が置かれていた所として歴史は古い。
姫路という地名は播磨国風土記によると次のような伝説に由来する。その昔、大汝命(おおなむちのみこと)が子の火明命(ほあかりのみこと)の乱暴狼藉に困り果て、火明命を島に置き去りにして船を出したという。それに怒った火明命が船を難破させる。その際の積荷が漂着した場所は丘の名が付けられ14丘と呼ばれるようになる。その一つの蚕子(ひめこ)が漂着したのが現在の姫路城のある「日女道丘(ひめじおか)」と呼ばれた姫丘なのだという。
このように歴史の古い姫路は、広峯神社、書写山円教寺、増位山随願寺そして姫路城で知られるが今回は赤穂まで足を延ばしたいので姫路城のみ目に焼き付けることにした。
室町時代の元弘3(1333)年に赤松則村こと円心によって姫山に姫路城の原型となる要塞が築かれた。その後、黒田家が3代にわたって姫路を支配。黒田家の姫路支配は黒田官兵衛孝高が豊臣秀吉に姫路を譲り渡す天正7(1579)年まで続いた。
豊臣秀吉は天正9(1581)年に天守閣を持つ姫路城を築城。更に、池田輝政が慶長6(1601)年に現在の姫路城の築城に着手した。