日曜日, 12月 28, 2003
日本再生に「痛み」はいらない 岩田規久男/八田達夫著
小泉政権が成果を強調している小泉流構造改革は果たして思惑通りの成果を上げているのだろうか。
こうした疑問と不安に対して、日本を代表する2人のエコノミストは、小泉内閣が数年にわたって続けてきた経済政策を正面からの批判を展開している。
批判だけではない。エコノミストの責任として、小泉流構造改革に対する代替案も提示。
曰く、マクロ的な需要不足に対して財政金融政策を割り当ててまずデフレを終息させよ。次に長期的な生産性上昇のために構造改革政策を割り当てよ。
つまりは、痛みを伴うことなく、経済の構造改革を成し遂げる方法を提案しているのである。構造改革には当然の如く痛みが伴うものだと刷り込まれている向きには鱗が落ちる。
政策当局の常識に従えば、積極的な財政金融政策は構造改革に反する。
しかしである。痛みを受けるのは、痛みを感じるのは、犠牲を強いられるのは政策当局ではない。痛みのない政策オプションがあれば越したことはない。
ここまででも面白そうな内容だが、さらに都市再生をも論じているということも本書の特徴と言えるだろう。そう、八田氏は謂わずと知れた俊経済学者。その八田氏曰く、分散ではなく東京を強化すべし。これも分散が常識化してしまった頭には新鮮。
こうした疑問と不安に対して、日本を代表する2人のエコノミストは、小泉内閣が数年にわたって続けてきた経済政策を正面からの批判を展開している。
批判だけではない。エコノミストの責任として、小泉流構造改革に対する代替案も提示。
曰く、マクロ的な需要不足に対して財政金融政策を割り当ててまずデフレを終息させよ。次に長期的な生産性上昇のために構造改革政策を割り当てよ。
つまりは、痛みを伴うことなく、経済の構造改革を成し遂げる方法を提案しているのである。構造改革には当然の如く痛みが伴うものだと刷り込まれている向きには鱗が落ちる。
政策当局の常識に従えば、積極的な財政金融政策は構造改革に反する。
しかしである。痛みを受けるのは、痛みを感じるのは、犠牲を強いられるのは政策当局ではない。痛みのない政策オプションがあれば越したことはない。
ここまででも面白そうな内容だが、さらに都市再生をも論じているということも本書の特徴と言えるだろう。そう、八田氏は謂わずと知れた俊経済学者。その八田氏曰く、分散ではなく東京を強化すべし。これも分散が常識化してしまった頭には新鮮。