水曜日, 2月 18, 2004
カネボウに思う
「カネボウが産業再生機構に支援を要請したね。
昨年の10月には化粧品業界4位の花王と合弁計画を出したと思ったら出資額で交渉が上手くいかなかったとかで、今年の1月には改めて化粧品事業を従業員を含めて花王に完全売却すると発表したばかりだったのに」
「今度、発表した計画では化粧品事業を全てカネボウ本体から分離して別会社を設立するらしいわね。カネボウの抱えている債務の多くも、新しく設立する会社に移すことでカネボウ本体の再建を目指すということみたい。
その新会社に産業再生機構が50%以上出資するけど、カネボウも株式を持つっていうから、カネボウ本体から化粧品部門を分離しても化粧品事業から将来にわたって得られるであろう収益を享受することは出来るということになるわ」
「カネボウにとって化粧品事業というのは大黒柱だからね。
そもそも花王との交渉が纏まらなかったのも稼ぎ頭の化粧品事業をカネボウから完全に切り離すことに躊躇する向きがあったからだとか言われている。
その点、今度の計画は化粧品事業を新会社に完全に移すとは言ってもカネボウは株主として収益を得ることが出来し、やがて産業再生機構が新会社の株式を売却する際には再生がなった暁の元気なカネボウが分離した化粧品会社の株式を買い戻すという選択肢もありうる。加えて、化粧品事業を分離するときにカネボウ本体の昨年9月末で629億円もあった債務も新会社に移すというのだから一石二鳥の計画と言えるのかもね」
「化粧品事業は売上高の4割、年間300億円もの営業利益を出すっていうじゃない。
その事業を分離しなければならないという事態だっただから、カネボウと花王との交渉が紆余曲折を経て破談になったという経緯も想像の範囲を越えるものではないと思うわ。
ほら、個人だってそうでしょ。マレッジ・ブルーなんかね」
「そうして最後に産業再生機構を選んだというわけか。
産業再生機構といえば平成15年4月16日に、株式会社産業再生機構法によって設立された株式会社組織。株式会社というのが意外と言えば意外。資本金は505億700万円で株主は預金保険機構と農林中央金庫なんだね。もっとも、特別に法律で設立された会社であるというところが一般の株式会社とは異なる。それに、国が機構の役員、産業再生委員会委員の選任の認可権と予算の認可権を持っている」
「主務官庁は内閣府、金融庁、財務省、経済産業省。実務上は内閣府を主管省庁としているのよね」
「しかし、カネボウがねぇ。
感慨深いものがあるなぁ。
カネボウというと、その起源は1886年11月に三越、白木屋、大丸といった繰綿問屋が設立した有限責任東京綿商社。商社だったわけだね。でも、直ぐに紡績そのものに進出する。捌ききれなかった綿花を紡績するということで、翌年には紡績所を兼営している。そして、商社から紡績会社へと軸足を移して名前も鐘淵紡績としている」
「創業時における大転換と言ってもいいでしょうね。
さらに、後に紡績業の先が見えてくると多角化に乗り出し、その柱が化粧品事業だったわけね。これが第2の大転換。その多角化は1968年から伊藤淳二社長による『ペンタゴン経営』として本格化したけれども、多角化の路線自体は戦後に武藤絲治社長によって開始されたと言われるわね」
「武藤絲治氏というとカネボウの実質的創設者とも言われる武藤山治氏の子だったよね。
武藤家といったら岡山の大原家と並んで労働問題に経営者としての限界はあったにせよ真剣に取り組んだ家。さらに、武藤山治氏は一度はメインバンクの三井銀行が支援を打ち切ったことからカネボウを去っているものの、労働者の運動によって復帰したという経歴の持ち主。文字通りのカネボウの祖。カネボウ・コレクションでも知られている」
「カネボウは紡績会社だったのよね。
今ではすっかり化粧品会社というイメージになっているけど。
もっとも、綿紡織事業から撤退するという発表は今年の1月29日に発表されているわね。だから、綿紡織事業もやっていたのよね」
「完全撤退というのは国内ね。
全額出資子会社のカネボウ繊維でね。明治22年からのかつてのコア事業。114年の歴史ということになるね。
でも、企業は業態を越えて生き残っていくということの良い例なのかもしれないね。
元気なカネボウを心待ちにしておこう」
昨年の10月には化粧品業界4位の花王と合弁計画を出したと思ったら出資額で交渉が上手くいかなかったとかで、今年の1月には改めて化粧品事業を従業員を含めて花王に完全売却すると発表したばかりだったのに」
「今度、発表した計画では化粧品事業を全てカネボウ本体から分離して別会社を設立するらしいわね。カネボウの抱えている債務の多くも、新しく設立する会社に移すことでカネボウ本体の再建を目指すということみたい。
その新会社に産業再生機構が50%以上出資するけど、カネボウも株式を持つっていうから、カネボウ本体から化粧品部門を分離しても化粧品事業から将来にわたって得られるであろう収益を享受することは出来るということになるわ」
「カネボウにとって化粧品事業というのは大黒柱だからね。
そもそも花王との交渉が纏まらなかったのも稼ぎ頭の化粧品事業をカネボウから完全に切り離すことに躊躇する向きがあったからだとか言われている。
その点、今度の計画は化粧品事業を新会社に完全に移すとは言ってもカネボウは株主として収益を得ることが出来し、やがて産業再生機構が新会社の株式を売却する際には再生がなった暁の元気なカネボウが分離した化粧品会社の株式を買い戻すという選択肢もありうる。加えて、化粧品事業を分離するときにカネボウ本体の昨年9月末で629億円もあった債務も新会社に移すというのだから一石二鳥の計画と言えるのかもね」
「化粧品事業は売上高の4割、年間300億円もの営業利益を出すっていうじゃない。
その事業を分離しなければならないという事態だっただから、カネボウと花王との交渉が紆余曲折を経て破談になったという経緯も想像の範囲を越えるものではないと思うわ。
ほら、個人だってそうでしょ。マレッジ・ブルーなんかね」
「そうして最後に産業再生機構を選んだというわけか。
産業再生機構といえば平成15年4月16日に、株式会社産業再生機構法によって設立された株式会社組織。株式会社というのが意外と言えば意外。資本金は505億700万円で株主は預金保険機構と農林中央金庫なんだね。もっとも、特別に法律で設立された会社であるというところが一般の株式会社とは異なる。それに、国が機構の役員、産業再生委員会委員の選任の認可権と予算の認可権を持っている」
「主務官庁は内閣府、金融庁、財務省、経済産業省。実務上は内閣府を主管省庁としているのよね」
「しかし、カネボウがねぇ。
感慨深いものがあるなぁ。
カネボウというと、その起源は1886年11月に三越、白木屋、大丸といった繰綿問屋が設立した有限責任東京綿商社。商社だったわけだね。でも、直ぐに紡績そのものに進出する。捌ききれなかった綿花を紡績するということで、翌年には紡績所を兼営している。そして、商社から紡績会社へと軸足を移して名前も鐘淵紡績としている」
「創業時における大転換と言ってもいいでしょうね。
さらに、後に紡績業の先が見えてくると多角化に乗り出し、その柱が化粧品事業だったわけね。これが第2の大転換。その多角化は1968年から伊藤淳二社長による『ペンタゴン経営』として本格化したけれども、多角化の路線自体は戦後に武藤絲治社長によって開始されたと言われるわね」
「武藤絲治氏というとカネボウの実質的創設者とも言われる武藤山治氏の子だったよね。
武藤家といったら岡山の大原家と並んで労働問題に経営者としての限界はあったにせよ真剣に取り組んだ家。さらに、武藤山治氏は一度はメインバンクの三井銀行が支援を打ち切ったことからカネボウを去っているものの、労働者の運動によって復帰したという経歴の持ち主。文字通りのカネボウの祖。カネボウ・コレクションでも知られている」
「カネボウは紡績会社だったのよね。
今ではすっかり化粧品会社というイメージになっているけど。
もっとも、綿紡織事業から撤退するという発表は今年の1月29日に発表されているわね。だから、綿紡織事業もやっていたのよね」
「完全撤退というのは国内ね。
全額出資子会社のカネボウ繊維でね。明治22年からのかつてのコア事業。114年の歴史ということになるね。
でも、企業は業態を越えて生き残っていくということの良い例なのかもしれないね。
元気なカネボウを心待ちにしておこう」