月曜日, 3月 01, 2004

プラザ合意 

「あれ、雪が降ってきたみたい。3月なのに。
そうそう、日本経済の苦難の月日を失われた10年なんて形容する向きがある。これは、バブルの頃は良かったなぁ、とか、1960年代までの高度成長期の頃は良かったなぁという懐古趣味的なところも多分にあるように思えるわね。
そういったものを割り引いたとしても、失われた10年というのは決して大袈裟な表現ではなくて、日本の経済が長い間停滞したのは1980年代後半に原因があるんじゃないかという考え方は納得のいく説明でもあるわね」
「1980年代後半、もっと言ってしまうと1985年のプラザ合意以後かな。
バブル景気を作った原因と言われている。そのバブルの後遺症で日本経済が失われた10年と言われる状態に陥ったと考えられるわけだね。1985年当時、アメリカはドル高を適正水準を越えていると考えていた。日本やドイツはドル高の恩恵によって輸出主導の経済成長を遂げている。これは、アメリカの犠牲のもとに実現されているんだってね」
「そこで、アメリカはニューヨークのプラザホテルで日英独仏の大蔵大臣、中央銀行総裁を集めてドル安に政策的にしていくぞっていう合意を取りまとめた。プラザホテルでまとめられたから『プラザ合意』なのよね。
目的は、ドル安によって米国の輸出を伸ばして貿易赤字を減らすこと」
「それで、各国は協調介入を実施してドル安を演出した。
日本は内需拡大を強く求められたわけだけど、財政赤字にある大蔵省は財政出動が出来なかった。そこで、金融の緩和で対処したんだとされる。そのために、日本中にお金がドンドン回ってバブルになった、という。
しかし、吉冨勝氏は銀行貸出残高の対前年伸び率はプラザ合意の前後でほとんど変わっていないということを挙げて、この説を否定している。」
「金融緩和をマネーサプライからだけで判断するのは早計じゃない?
公定歩合は2.5%と記録的低水準を記録しているわよ。
この数字を見ると十分に金融緩和があった証拠よね」
「確かに。
マネーサプライの伸び率と円ドルレートの動きを見ると1985年以後の円高が金融緩和によってもたらされたということが分かるしね。
と、いろいろと言われているわけだけど、失われた10年の原因がプラザ合意にあり、その現実を直視して、一つ一つの阻害要素を取り除いていくべきだという論考もなされている。
酒井氏によるものが最近では知られているね。
1ドル150円を望ましいレートとするとしても、一度200円の水準への円安で日本経済の構造改革を進め、その改革の芽が出てきたところで150円への円高という経路を示唆する点などは面白いね。
また、景気の本格的回復のために円安を待望する向きに対しては、円安になると輸入している原材料の価格が上昇して企業収益を圧迫するという側面があること、また、そもそも、円安というのは円に対する需要がなくなるということを意味するということを指摘し、円の需要が無くなるというのは巨額の貿易黒字が無くなるということを意味するんですよ、つまり日本の輸出というものが減るということで実現されるのですよということを指摘している」
「円安、円高というのも視点によって相対的に違うんですよ絶対的に円高とか円安なんていうのはありませんよ、というところも認識を改めるには丁度良いんじゃない」




cover

逆プラザ合意―日本の経済問題の深層を理解し、解決に向かうための道筋
酒井 吉広 (著)

This page is powered by Blogger. Isn't yours?