火曜日, 8月 03, 2004

違う、違う 

変な夢を見る。
登場人物は全員、実在の人物で、何らかの意味での知り合い。テレビで知っているとか、雑誌で見たというような一方的な関係ではない関係。
それなのに、場面設定が全く違う
海があって、単線の2両編成の電車が走っている。その電車に僕が乗っている。
そこに入れ替わり立ち替わり色々な人が乗ってきて、降りていく。中には夢が続いている時間ずっと一緒の人もいた。
夢が覚めた後まで、その人達と一緒だったかどうかは定かではもちろんない。
おかしいのは、その情景には全く見覚えがないということ。私の地元の武蔵村山で考えて見る。
武蔵村山は、かつて担任の音楽の先生、この先生は非村山人だけれども、その人が『東京のチベット』と呼んだように海などはない。
ひょっとすると、海のように見えたのは河だったかもしれない。でも、そういった海と少しでも間違うような、そう、例えば片目でウィンクした瞬間の風景だったとしても、そんな河はない。せいぜい、ちょろりと流れる空堀川や残堀川。空堀川や残堀川は大きな川でじゃない。小川程度。
それじゃぁ、テレビで見た風景か、旅行に行った時に目にした風景かもしれない。ぴったりとする風景は記憶にないけれども、どこかの風景なのかもしれない。あるいは、そうした色々な風景のジグソーパズル的組み合わせかも。何せ、夢の中の話なのだから正確であることを期待するのが難しいというもの。
それはそれで良しとしよう。
百歩譲って。
でもしかし、何故、出てくる知り合いの服装のセンスが決定的に違っているのだろう。センスは長いこと会っていないうちに向上したり、失われたりしたのかもしれない。それは有り得ない話じゃぁない。
それも良しとしよう。
それでも、何故、話し方や話の内容が違ったのだろう。
夢は起きている時の記憶の整理のためという考えがあるようだから、丁度、記憶が混線している、個別の記憶がバラバラにされて再構成されるという状態の最中に夢を見ていたのかも。
ひょっとすると、そうやって過去の記憶がバラバラにされていく中で消し去られてしまった昔の知り合いの記憶があったかもしれない。
そう思うと、もう一度、あの不可解な夢を思い出したくもなる。

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