火曜日, 8月 17, 2004

機械と人の変換ミス 

財団法人日本漢字能力検定協会が一般から募集した漢字の変換ミスの例をネットで公開している。
変"漢"ミスコンテストと銘打った収集例の中には、
横溝正史(1902/5/24?1981/12/28)の『犬神家の一族』が『犬が三毛の一族』となるケースがトップで紹介されている。
これは結構面白い。
ちなみに、今はパソコンに向っているのだけれど、確かに「犬神家(いぬがみけ)」と入力しようと「犬が三毛」となる。う?ん、再現性があるわけだ。
こうなると、どの日本語変換(FEP)ソフトでもそうなのかどうなのか試して見たくなる。
まぁ、これは時間を見つけて試して見ることにしよう。
ちなみに今使っているのはマイクロソフトのIME2000。
私のパソコンだと、「犬神(いぬがみ)」と入力して変換しても「犬が身」となる。なかなかシュールだと感じるのは私だけの慣性なのか?
三毛の犬、それはひょっとすると犬のように見えるけれども猫であって、そういう犬のような猫を飼っている一族がいる。これだけでも、ミステリーだ。
はたまた、私のパソコンのように「犬が身毛の一族」となるとさらにシュール度が増す。これはひょっとすると、「犬が身、毛の一族」であって「犬の身の上」とかなり毛深い「毛の一族」の話なのかもしれない。
その他にも、『根気よく待ったかいがあった』が『婚期よく待ったかいがあった』とか『誤りの無いようにしなさい』が『誤りの内容にしなさい』なんてあったなどと聞くと思わずくすりとする。
で、これまた自分のパソコンで再現してみると、『根気よく待った』は『今期良く待った』に。じゃぁ、前期はどうだったの?とパソコンに聞いても仕方がない。
これって、口に出して発音したのを普通に耳にしても間違える可能性があるのかもしれない。なんて思ったりする。
日本語というのは漢字とひらがなとカタカナで文章を表現している。これが、ひらがなだけとかカタカナだけだったらどうなるか。
意味を読み取るのが難しくなるのではないのか。
梅棹忠夫氏が『日本語の将来』の中で、「漢字かなまじり」表記では、国際社会に対応できないとして「ローマ字表記」を提案している。こうした主張自体は決して新しいものではない。明治以来ある。
で、何が言いたいのかというと、この本の中で当然、上のような同音異義語に基づく変換ミス、この場合はパソコンではなくて人間がミスることについても触れられている。
結論は同音異義語を減らせば良いではないかというもの。
考えさせられる。
そう、梅棹忠夫氏の主張は日本語そのものを改造しようとも受け取れる点で過激と言える。
などと考えながら、今日も一日が始まる。

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