金曜日, 11月 19, 2004
[美と歴史]ウェルデニウスによるプラトン解釈
「芸術が、現象する実在の領域によって、真の<存在>の水準から分離されているがゆえに、芸術上の示唆は、理想的な諸価値に直接に関わることはできない。だから、芸術上の示唆は、可視的諸対象を再現することをもって満足しなければならず、また、それが生気のない摸像以外のなにものをも作り出すことができない限りにおいて、物的実在の前に卑下しなければならない。しかし、私達が既に見たように、真の芸術は神の声によって霊感を与えられているのであり、美の理想的な模型に関わるのである。ところで、実在の階位的構造は、理想的な<形相>が可視的物体のうちに直接に現れることを妨げる。」
「その可視的現れにおいては、芸術は最も劣った価値のもの、影である。しかし、芸術は、また、事物の本性との間接的な関係をもっている。この関係の強さは、芸術家が、中間の水準、即ち視覚的実在、のより高い諸相を明らかにすることにどの程度成功しているかにかかっている。このように、模倣は、階位的実在観に照らして見るとき、芸術における写実主義と理想主義との和解をもたらすことができるのである。」
(ウェルデニウス[W.J.Verdenius]著、渡辺義治訳『ミメーシス』、未来社、1984年)
「その可視的現れにおいては、芸術は最も劣った価値のもの、影である。しかし、芸術は、また、事物の本性との間接的な関係をもっている。この関係の強さは、芸術家が、中間の水準、即ち視覚的実在、のより高い諸相を明らかにすることにどの程度成功しているかにかかっている。このように、模倣は、階位的実在観に照らして見るとき、芸術における写実主義と理想主義との和解をもたらすことができるのである。」
(ウェルデニウス[W.J.Verdenius]著、渡辺義治訳『ミメーシス』、未来社、1984年)