日曜日, 11月 21, 2004
龍應山西明寺(甲良_近江)
湖東三山廻りの第一歩は西明寺から。
西国薬師第32番霊場、近江湖東名刹第8番霊場。
本堂は国宝の第一号。承和元(834)年に三修上人が仁明帝の勅願によって創建された天台寺院。源 頼朝が戦勝祈願した寺として有名。
かつて、山内には17諸堂と300を越えると言われる僧坊があったと言われるが、織田信長の比叡山焼き討ちの直後に天台宗の西明寺も兵火に見舞われる。しかし、本堂、三重塔、二天門は僧侶の機転によって火難を免れた。
時代は下って徳川幕府の世となると、公海大僧正と望月越中守友閑の手によって再興され湖東三山の一つとして威容を伝えている。
[本堂(瑠璃殿)]
鎌倉時代初期の飛騨匠の作。国宝。
屋根は釘が使用していない桧皮葺き、かえる股、格子模様の純和様建築。
[三重塔]
鎌倉時代後期であるも、本堂と同じく飛騨匠の作である純和様建築。国宝。
内部は鎌倉時代の壁画として唯一とされる、巨勢派画家の手になる法華経図解、大日如来脇侍仏32菩薩の壁画で彩られる。
[二天門]
室町時代初期のこけら葺八脚門。
色づく西明寺