木曜日, 1月 22, 2004

そこに映りたるは確かにドンキホーテ 


Cyprián Majerník(1909-1945)
ドンキホーテ(1937)
チェコスロバキア、1969.11

痩せたドンキホーテ。その姿は一見するとみすぼらしくも見えるし、貧弱にも見える。しかし、彼の周りを包む空気はオーラの存在を示唆している。まるで磁場を作っているかのごとく空気が彼に引き寄せられている。
体は貧弱なる彼が、一人で大きなものに挑もうとする彼が小さくとも多くの人を引付けるように、その有様を空気をゆがめることで描いている。そして、彼の作り出している影さえもただの影ではない。その影もまた磁場を形成している。それは、影なのだけれども、そこに映りたるは確かにドンキホーテに他ならない。

水曜日, 1月 21, 2004

法性寺 

藤原氏の氏寺である東福寺、というより紅葉で有名な東福寺といったほうが知られているだろうか。そのすぐ近くにある、ここも藤原氏に所縁のある寺院。
もっとも、こちらは浄土宗禅林派。
創建は藤原忠平。その後、忠通(法性寺入道前関白太政大臣)、兼実(九条家祖)父子は法性寺と称した。寺勢が衰え東福寺に併合されるという歴史を経て再興。

2003年11月撮影

お尻とその穴の文化史 

凄い題名。そして、さもありなんという表紙。
この本を書店で手に取るには一抹の勇気が必要。手を本に伸ばした瞬間か本棚から手元に手繰り寄せる瞬間を周囲の人に見られたら大変。
ここで、注意しておかなければいけないのは、周囲の人も"きっと"気にはしているのだけれども、手にとる勇気がないに違いないであろうこと。
題名からして、その手である。
しかし、その一歩を越えてしまうと、内容は興味深いものばかり。図表が多いのも読みやすさに貢献している。
もちろん、その図を拝むことが出来るのは勇気のある御仁。勇気が少ししかない方はアマゾンで購入して家でゆっくりと読むと良いだろう。
また、「文化史」と銘打たれているが、内容は文化史基礎篇といったところ。その点を割り引いても、聞いたことの無い様な病気や、お尻の基礎知識が満載。その分野に疎かっただけに、なるほど、なるほど。
縫ってはいけない。
水もだめ。
乾かすのは大丈夫。
そうなのか、といちいち頷く。でも、どうやって形状をチェックするのか。

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ジャン ゴルダン (著), オリヴィエ マルティ (著), Jean Gordin (原著), Olivier Marty (原著), 藤田 真利子 (翻訳)

火曜日, 1月 20, 2004

健康は初恋の味 

私の好きなジュースはりんごジュース。子供の頃、銭湯に行くと湯上りにはいつもりんごジュースを飲むというのが定番だった。その習慣が抜けないせいか、今でも一番好き。それに、温泉に浸かった後もグイといく。
ちなみに、体調が芳しくない時の私にとっての特効薬もりんごジュース。これも、何故かと問われると理由はない。それでも、気分が良くなるということだけは確かだから、効き目がないということもないようではある。
そのりんごの果汁プラス黒酢。
黒酢は、もう間違いなく体に良い訳だから、このりんご果汁に黒酢という組み合わせの体に良くない訳がない。
これは私にとって。でも、おいしい。おいしくて体に良い。
そして少し、ほんの少しだけ酸っぱいというところがまた良い。
私にとっては、りんごジュースは思い出の味、そこにほんのりと甘酸っぱい味が加わる。
これを飲んで初恋を思い出した。
「おいしいりんご黒酢」720ml×3本セット

月曜日, 1月 19, 2004

砂の器 松本清張 

昨日からTBSでSMAPの中居氏主演による「砂の器」が始まった。
原作は社会派の巨匠松本清張の代表作。
もう何度か読んでいるが再び本棚から取り出してページを捲る。
主人公である和賀英良が何故、罪も無い元巡査を手に掛けなくてはいけなかったのか。しかも、ただの元巡査ではない。自分を気遣い、自分を我が子のように育ててくれた人である。どうして。
ページを捲る手が早まるのを抑えることは難しい。
「砂の器」は、本で何度も読んだ以外にもテレビでも何度か目にしている。
そのせいもあるのか、文字がどうしても映像に直結してしまう。
そう、まだ子供であった主人公がお遍路姿の父親と延々と海辺を歩くシーン。
そのシーンを思い浮かべるだけでも込み上げるものがある。
主人公の父親、本浦千代吉はなぜお遍路姿で幼き子供を連れて歩きつづけなければならなかったか。その理由は現代では分かるまいという人もいる。そして、ハンセン病に対する差別は国が正式に謝罪したことで決着したのだとも言う。しかし、本当なのだろうか。
松本清張が描いた、幼き頃の差別が時間とともに癒されることなく、主人公に残酷な「宿命」をもたらすという、そのプロット。そうした作られた差別は、差別を作った側の意図を大きく越えて人の人生を弄ぶ。
しかし、だからといって人を殺して良いということはない。
ましてや、元巡査は差別が酷かった時代に差別をしなかった人なのである。その善意が運命を狂わせていったのか。
今西刑事もそうである。彼は差別の側に身を置いているのではない。犯罪を憎んで、そのことだけで主人公へと繋がる糸を手繰り寄せていく。
そこに差別はない。しかし、差別は存在する。
いくらお遍路を続けようとも魂は癒されない。一度作られた差別は決して無くなることはないのか。
読み終わった後に深く考えさせられる一冊といえる。

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