土曜日, 2月 14, 2004

常識は論理だけでは覆らない 

「常識というのは覆るからこそ面白いと言えるわ。
例えば、かつては日本では大きな企業に勤めるということが生涯を安定して過ごせることとイコールだって考えられてきた。今では、そういうことが少し怪しいんじゃないかって薄々感じる若い子が増えてきている」
「常識は常識では覆すことが出来ないね。常識は論理によって覆すことが出来る。けど、その論理がその集団において一定数以上の承認を得るようにならないと常識は動かない。テコでも」
「そうね。
会社とか、そういう組織で強いところっていうのは強い制度を持っているために強いんじゃなくて、自分を変える仕組みが備わっているから強いんだって言われているし」
「今は、恐竜というのは2億3000万年前頃から6500万年前頃まで確かに存在していたということが常識となっている。あれはウソなんだとか本気でしゃべる人がいたら現代の常識人は、その人の非常識ぶりに眉を顰めるだろうね。
ところが、ラマルク(Chevalier de Lamarck[1744-1829])やキュヴィエ(Georges Leopold Cuvier[1769-1832])といった博物学者が18世紀末以降に地層に埋まっていた化石の本格的研究に着手してから常識化したに過ぎない」
「それまでにも恐竜の化石は知られていたのよね。
でも、そもそも地層というのが過去の堆積物なんだってことも常識じゃなかった。そういう状況だったから、恐竜の化石は悪魔だとか言われたり、恐竜じゃないけどサンショウウオの化石がノアの洪水の時に溺れてしまった人だとかって信じられていた」
「そして、恐竜の化石が悪魔だって信じられていた時代にも、それが遥か昔の時代の生物かもしれないって考えていた人はいたわけだ。
それは論理的に考えていってそういう結論に達したのだけれども、それはラマルクやキュヴィエ達が登場する時代までは常識化はしなかった」
「そうね」

竜盤目(Saurischia) 骨盤が爬虫類型の恐竜。
獣脚亜目(Theropoda) カルノサウルス(Carnosauria)下目 大型肉食恐竜
ケラトサウルス下目(Ceratosauria)  
コエルロサウルス下目(Coelurosauria) 小型肉食恐竜
竜脚亜目(Sauropodomorpha) 原竜脚下目(Plateosauridae)  
竜脚下目(Sauropoda) 大型草食恐竜
鳥盤目(Ornithischia) 骨盤が鳥型の恐竜
鳥脚亜目  
剣竜亜目 背中に2列の骨板を持っている恐竜
曲竜亜目(Thyreophora) 背中が鎧状になっている恐竜
堅竜亜目(Pachycephalosauria) 頭頂部が厚い頭骨に覆われた恐竜
角竜亜目((Ceratopsia)) 東部に大きな角を持つ恐竜



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恐竜大図鑑―よみがえる太古の世界 ナショナル・ジオグラフィック
ポール バレット (著), Paul M. Barrett (原著), Raul Martin (原著), Kevin Padian (原著), 椿 正晴 (翻訳), ラウル マーチン, ケビン パディアン



近未来予想図 

「近未来を描いたものというと最近ではトム・クルーズのマイノリティ・レポートだとかがある。内容は現在の常識からすると突飛なところもあるけど、よくよく見てみると意外と現在の科学というレンズを通して眺めているような箇所がある」
「あのね、つまるところが意外に科学的根拠があるようだってことでしょ。
そういうのって、例えば、ゴジラにしても日本のオリジナルだと怪獣ってことになるけど、米国のリメーク版だと怪獣という範疇から抜け出そうっていうところが感じられる」
「そうそう。
言っていること結局は同じじゃない。本当に科学的かっていうとアレだけど」
「アレって何よ。そういうところが科学的じゃないわ」
「まあまぁ。
22世紀から回顧する21世紀全史』なんて科学的な思考法が満載の読み物。
おっと、科学的思考なんていうと突っ込みが入りそうだ。科学的思考に根拠付けられた読み物といったところかな。
ビジネスマンでこの手の本を読む人はあまりいないのかもしれないけど、有望な事業分野を探っているビジネスマンにこそ、この書を薦めたいね」
「ビジネスマンは読まないでしょうね。読むべきだってということは賛成する。
この本の中に未来の東京のビジネスシーンが出てくるでしょ」
「家庭に食料品などを配送する企業の紹介だね。
それだけだと、なんだということになる。でも、その企業が遺伝子関連企業だってことがミソ。遺伝子関連企業って言い方はちょっとアレだけど」
「アレってアレよ。
遺伝子操作、遺伝子組み換えが当たり前になった時代にあっては、あらゆる食料品の安全性を消費者が求めるようになるのが当たり前。そうなると、あらゆるものの遺伝子情報と個人のアレルギー情報などをデータベース化しているような企業が台頭してくるというシナリオはありうるわね」
「便利で安全だというのは分かるけど、プライバシーの点で不安なというか危険なところがあるように思えるけど」
「そうすると、どういうビジネスが必要になってくるのかって所に思考を巡らすことが可能でしょ。
だからこそ、ビジネス書としても読みたい一冊だと思うな」


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22世紀から回顧する21世紀全史
ジェントリー リー (著), マイクル ホワイト (著), Gentry Lee (原著), Michael White (原著), 高橋 知子 (翻訳), 対馬 妙 (翻訳)

変わるもの変わらないもの 

「歴史の都というと京都と奈良。
確かに京都は桓武帝による794年の平安京遷都から1000年以上もの間、日本の首都だったということから多くの歴史的建造物が残されているわ。
でもね、東京も事実上は徳川家が江戸に入府した時から数えて約300年もの間首都だったわけでしょ」
「だから、歴史的な建造物が多く残っていても良いはずだと。
そう言うんでしょ。
戊辰戦争だとか、関東大震災とか、太平洋戦争時の大空襲によって、その度毎に壊滅的な打撃を受けたということは考慮しなくちゃいけないよ」
「京都だって応仁の乱で焼かれているわ。
まぁ、そういうことを割り引いても、もう少し江戸の面影が残っていても良いようにも思えるのよ。ほら、江戸時代には大名屋敷がそこいらじゅうにあったわけでしょ」
「大名屋敷は痕跡がすっかり無くなってしまっているわけじゃないけど。京都で残っている歴史のような残り方はしていない。
明治維新後に江戸が首都ではなくて、一時考えられていたように大阪に首都が置かれていたりしたのなら、江戸も京都のようになっていたかもしれないね」
「でしょ。
東京の場合は町並みも道筋もすっかり変わってしまっているところが多いように思うのよ。江戸時代の痕跡が薄くなってしまったということも残念だけど、戦前の町並みの痕跡というのもすっかり無くなってしまっているでしょ」
「ここにある『東京の戦前 昔恋しい散歩地図』を見ると結構変わっているんだなぁって。
逆に、変わっていないところを見つけると嬉しくなるよ」
「東京という街は50年後には、今までと同じようにすっかり変貌を遂げてしまっているんでしょうね」

東京の戦前 昔恋しい散歩地図
アイランズ (編集)

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金曜日, 2月 13, 2004

喪失の国、日本 

本の題名が洒落ている。思わず、その題名に引き寄せられて本書を手にとった。欧米の人達の目から見た日本像というのは数多ある。
インド人の目から見たというのはどうなのだろうか。私は初めてである。
著者は92年4月から94年1月まで日本に市場調査の為に滞在したとのこと。そして、日本の現状とインドとを比較して驚き嘆き感嘆する。
日本の文化が並べる文化であり、インドの文化が混ぜる文化だというのは面白い観察だ。今まで、そういうことは考えつきもしなかった。言われてみると、その通りだと頷けるところもある。何と言っても、インドはカレーの国。カレーは色々な素材を入れてぐつぐつとやるではないか。
それはそうなのだが、日本でも鍋がある。鍋に麺から魚から肉から何でも入れてグツグツとやる。だから、日本とインドとで違いはないとも言えるかもしれない。そうではあっても、その視点が非常に興味深いと感じた。
例えば、日本の文化は恥じの文化だと言われているが、その恥は、著者はそうした言葉を直接には使ってはいないのだけれども、相対的な恥であって絶対的な恥ではないのだと看破している。
それは見事な洞察だと言って間違いないだろう。日本における恥じらいの度合いが変化してきたというわけではない。もともと、日本における恥という概念は仲間内だけでは恥を極度に感じるけれども、仲間でない人々の前では恥じを全く感じないという、そういう恥じなのである。これは、薄々は日本人自身も感じていると思う。但し、本質的であるだけに、そして日本の文化が恥じの文化であるという考えが浸透しているだけに、そうしたことを簡単には認めることは難しいということはあるだろう。
その点、インド人である著者には何ら躊躇いもない。
ここまでで終わってしまうと本書の面白さを半分も伝えたことにはならないだろう。
本書は単に日本とインドの文化を比較しただけではなく、急速に失われていきつつある日本の文化の証言者として、その喪われつつあるものを指摘している。
「ラスト・サムライ」で日本の武士道という古風なものに注目が集まっている時期だけに、インド人の目を通して日本が90年代を境に喪っていったものを再認識するには良い機会を提供してくれる。


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喪失の国、日本―インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」 文春文庫
M.K.シャルマ (著), 山田 和

承久の変が産んだ伝説 

「後鳥羽法皇(1180-1239)は後白河帝の死後親政を敷いて、その後も土御門帝、順徳帝、仲恭帝の3代24年間院政を執ったという実力派。そうした実力派が政治の実権を鎌倉に握られたままで満足出来るわけがない。
実際、実朝の暗殺後、政治の実権を再び京都の朝廷に戻すべく幕府に叛旗を翻す。だけど、御家人達の結束は固く京都勢は敗れ去ってしまう」
「承久の変だね。
勝った鎌倉幕府は仲恭帝を廃帝し、替わって後堀川帝を立てる。ここに、天皇の権威は崩れ去ったと言えるね。さらに、土御門上皇を土佐へ順徳帝を佐渡へ、後鳥羽法皇を隠岐に流した。皇族、しかも天皇位にあった人を流すというのだから凄まじい。でも、それは、それだけ朝廷の力を恐れていたということの裏返しとも言えるね。まぁ、朝廷そのものの力というよりは朝廷が関東以外の武家勢力によって担がれるということを恐れたということになるだろうけど」
「そうした鎌倉幕府の朝廷に対する恐れと権力から疎外された関東以外の武家勢力の思いが伝説を産んだとも言えるわね。
後鳥羽法皇にも順徳上皇にも通説とは異なる伝説が言い伝えられている。
後鳥羽法皇の場合、通説では大阪から海に出て姫路に上陸、播磨から船坂峠を越えて備前に入り院庄から美作、伯耆へと向かったとされる。だけど、実際は法皇を慕う地元武士による法皇の奪回を恐れて姫路ではなく尾道から三原付近に上陸。御調(みつぎ)、吉舎(きさ)を通って高野の功徳寺で冬を過ごして王貫峠(おうぬきだわ)を越えて出雲に至ったとされる。このルートはほぼ現在の国道184号線に沿うもので、このルート上には馬洗(ばせん)川、皇渡(おうわたり)、仮屋谷(かりやだに)、皇宇根(おううね)、仁賀(にか)などの法皇との関係を思わせる地名が残っているという点が根拠を与えているわ」
「ただ、その後鳥羽法皇の足跡が仁多で途絶えているというところが伝説が伝説で留まっていて通説にはならない所以なのかも。
順徳上皇に関しても、実は佐渡を阿部頼時の助けで抜け出して、越後、庄内、最上川、丹生川、そして御所山(船形山)に至ったという伝説があるね。
この場合にも御所という文字通りの地名が残っている」
「順徳上皇は最終的には正厳に移り寛元4(1246)年に崩御。御所神社に祀られたということになっている」
「いづれも通説では取り上げられることはない。だけど、その地方に長い間伝説として伝わってきたんだという事実は興味深いね」


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後鳥羽伝説殺人事件
内田 康夫 (著)

木曜日, 2月 12, 2004

ゴシックは異国の香り 

「ゴシックっていうと何やら異国情緒的じゃない?」
「それはもっともな感想じゃないかと思うよ。
ローマ帝国が滅亡した後、ヨーロッパは暗黒の闇に包まれたって言われるでしょ。そして、この時代の美術も、ローマ風文化を意味するロマネスクに対して、ヨーロッパを席捲したゴート族の野蛮な文化という侮蔑の意味合いを込めたゴシックっていう呼び方がされた。
これは、もうそれ自体、ローマ文化こそがヨーロッパ文化の正統な流れであって、それ以外の流れは本流ではないんだっていう考え方が入っている」
「だから、確かにヨーロッパ生まれなのだけれども、現在にまで本流として流れているものとは違うという異国情緒のようなものを感じてしまうのね」
「まぁ。異国情緒というのは適切ではないのかもしれないけど。感じは分かるよ。非キリスト教的というような言われ方も場合によってはしたりする」
「非キリスト教的というのはどうかしら。だって、ほら、ゴシック美術っていうのは、ゴシック芸術じゃなくてゴシック美術って言う呼び方をするけど、教会建築を中心に花開いたんだから」
「おっしゃる通り。ローマ様式の教会建築はドームが特徴なのに対して、ゴシック建築の場合は、ドイツの美学者ヴォーリンガーのいうところの『垂直衝動』によって特徴付けられているね」
「そうそう。そこを忘れてはダメ。
ゴシック建築の文様は、そもそも、ギリシアにおける自然との親和関係とは正反対に、荒々しい自然と対峙してきた非ローマ民族の心を占めていた自然に対する畏怖を抽象化したものだって言われるんだからね」


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幻想の中世〈1〉ゴシック美術における古代と異国趣味 平凡社ライブラリー
ユルギス バルトルシャイティス (著), Jurgis Baltrusaitis (原著), 西野 嘉章 (翻訳)

理論は手で覚えよう 

ダイナミックDCFやキャッシュフローを分布という形で考え事業ポートフォリオ(概念ポンチ絵ではありません)を計算する方法が紹介されています。
この手の書籍が多い中で本書の特色は、手を動かしながら読み進めて行くというところにあるでしょう。
書名に「リアルオプション」と冠せられています。しかし、内容なそれに留まりません。どうして、普段、ビジネスの現場で用いられているDCF法やNPV法ではいけないのかということが、繰り返し繰り返し例を挙げて書かれている。何よりも、そうした例を実際にエクセルのシートで試してみることが出来るようになっている。さらに、試用版ではあるけれども高度なソフトウェアも付いている。欲を言えば、もう少し試用期間を長くして戴きたかったという点はありますが、それでも価値のある一冊です。


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実践リアルオプションのすべて−戦略的投資価値を分析する技術とツール
ジョナサン・マン (著), 川口 有一郎 (翻訳), 構造計画研究所 (翻訳)

火曜日, 2月 10, 2004

新元素誕生 

「米国物理学会のフィジカル・レヴューCにロシアの連合原子核研究所(Joint Institute for Nuclear Research)と米国のカリフォルニア大学(University of California)の研究者が新しい元素の合成に成功したと発表したわ」
原子番号115だね、ウンウンペンチウムと命名されている。カルシウムの同位体のカルシウム48のイオンをアメリシウムに加速器の中で激突させて作り出したらしいね」
「同位体というのは陽子数を示す元素番号は同じだけど中性子の数が異なるもののことよね。元素番号が同じてことは化学的性質は同じだけど、中性子の数が異なるから重さは異なるんだったわ。
寿命は、わずか0.09秒でヘリウムが放出されて原子番号113のウンウントリウムになるって。いわゆるアルファ崩壊。でも、このウンウントリウムも安定的ではなくて0.5秒で崩壊してしまうらしいわ。それでも、2000年に合成が発表された今までで最も重い元素である116の次に重いって」
「いわゆる超重元素ってことだね。超重元素はビックバンとか超新星爆発の際に大量放出されるとされている。だけど、いづれも存在の時間が短い。その中ではウンウンペンチウムとウンウントリウムは比較的安定的だと考えられているというよ。ということは、何らかの理論的糸口が見つかる可能性があるということだ。わくわくするよ」


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元素111の新知識―引いて重宝、読んでおもしろい ブルーバックス
桜井 弘 (編集)

月曜日, 2月 09, 2004

大股開きと威嚇の本能 

「男の人って電車で座席に座るときに大きく股を広げて座る人が多くない?」
「少なくとも、僕は股を大きく広げたりはしないよ。
だって、ほら疲れるから。股関節がね。
でも、多いとは言えるだろうね。あれって動物的な本能のせいじゃないのかな。
女性は防御的意味合いを含めて大抵は大きく股を広げて椅子に座ったりはしない」
「文化的な意味じゃなくってこと?」
「それもあるのだろうけどね。
いづれにしても、その根源は動物的な本能じゃないかって思うね。
ほら、動物の威嚇の行動では体を大きく見せるのは常套手段だって言うでしょ」
「襟巻きトカゲとか。猫が毛を逆立てるとか」
「それと同じで男性の場合はオレはこんなに大きいぞって。
凄いだろって、ね。
もう、そうすることの意味というのは薄れてきているのだろうけど、ほら、人間の脳というのは3つの部分からなるなんていうじゃない」
「爬虫類の脳、哺乳類の脳、それから霊長類の脳ね。
アメリカの神経生理学者ポール・マクリーン(Paul D. MacLean)はこの3つの脳を『三位一体の脳』なんてしゃれた名付けをして、この3つの脳が協調して作業しているって言った。
そこのところを考えると、動物的本能は3つの脳に確りと刻まれているわけね」
「動物の世界は弱肉強食だからね。闘うと負けちゃいそうなんて場合は体を大きく見せて本当は強いんだぞって、そういう具合にやる必要がある。
すると、電車で大きく股を開いて座っている男性も可愛く見えてくるよ、きっと」
「弱いものが強く、この場合は大きいことがイコール強いことだけど、そう見せるだけではないと思うわ。威嚇の機能は。
本当に、文字通り本当に強いものが相手に無駄な争いを避けさせるために体を大きく見せることもあると思う」
「なるほどね、それは言える」


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三つの脳の進化―反射脳・情動脳・理性脳と「人生らしさ」の起源
ポール・D. マクリーン (著), Paul D. MacLean (原著), 法橋 登 (翻訳)

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