土曜日, 2月 21, 2004
寺に想う
「日本の伝統的な心の拠り所というと神道を思い浮かべることが多い。だけど、そうして思い浮かべておいて待てよと立ち止まる。
そういえば、明治時代の初めに行われた廃仏毀釈によって神社と仏教寺院が完全に分離される前までの1000年以上の間は神社と寺院は不可分一体で同じ敷地に仲良く同居していたわけだよね」
「そうね。お寺の境内に鎮守として神社があるというのは今でも見られる形よね。
それに、浅草寺の横に神社が鎮座していることからも分かるように、かつては同じ地にあった一対の神社とお寺を見つけるということも難しくないわね。
だから、神社とお寺というのを別々に考えるというのは日本の伝統にはなかった」
「無かったわけだけど、例えば江戸時代に本居宣長は古事記から仏教的なものを漉しとってしまって純粋神道的な世界を構築することで神道学を構築したんだね。これは平田篤胤も同じ」
「でも、そもそも古事記が編纂された藤原不比等の時代は、飛鳥寺こと法興寺、川原寺こと弘福寺、大官大寺、本薬師寺の飛鳥四大寺が平城京遷都(710年)に伴って次々と奈良に移すとともに再編を行った時期と重なるわね。
面白いことだけど、それまで地方の神社であった伊勢神宮に大きな地位が与えられたのも同じ時期に当たるのよ。
つまりは、純粋な神道学を構築した人々が聖典とした古事記の編纂自体に仏教思想が分離し難いほどに織り込まれている。旧神道と仏教との思想的合作となっていることが時代背景から窺える」
「奈良四大寺は大安寺と改称された大官大寺、薬師寺、そして移転に反対し、というより反抗して奈良に頑なに留まろうとした法興寺こと元興寺。それから、川原寺こと弘福寺から藤原氏が名跡を購入したと考えられてもいる藤原氏の氏寺である興福寺。こうした寺院は梅原氏によると神社と相似形を描いているとされている」
「まず、国家社寺として、アメテラスを祀る伊勢神宮と薬師如来を祀る薬師寺、釈迦如来を本尊とする大安寺が相似形を作る。
それから、これはもう奈良に足を踏み入れた人なら気づくことだけど、タケミカズチ、フツヌシ、アメノコヤネ、ヒメカミを祀る春日大社と藤原氏の氏寺である山階寺を引き継ぐ興福寺。これは隣接しているし、藤原氏の氏族社寺として相似形を形成している。
そして、国家社寺、藤原氏社寺の支配下に置かれた旧氏族社寺としてオオクニヌシを祀る出雲大社、タケミナカを祀る諏訪大社、オオモノヌシを祀る三輪大社と仏教を広めた蘇我氏の元興寺が相似形を作っている」
「こうして考えると寺院と神社を分けて考えるという未だに続いている二分法が如何に不自然なものかということが分かる。
寺社仏閣って言うくらいだからね。お寺廻りをする時は境内にある小さな神社にも目を留めるようにすると何かが見えてくるかも」
四国霊場巡礼も良いけれども、百寺巡礼というのも洒落ている。何よりも四国以外に住む人が地元近くの由緒ある寺院を再認識するとともに、更に近辺に足を伸ばす良い契機となるだろう。
五木寛之の百寺巡礼 ガイド版〈第3巻〉京都1 TRAVEL GUIDE BOOK
五木 寛之
秩父巡礼(2002年9月29日)
秩父札所(1番-34番)
そういえば、明治時代の初めに行われた廃仏毀釈によって神社と仏教寺院が完全に分離される前までの1000年以上の間は神社と寺院は不可分一体で同じ敷地に仲良く同居していたわけだよね」
「そうね。お寺の境内に鎮守として神社があるというのは今でも見られる形よね。
それに、浅草寺の横に神社が鎮座していることからも分かるように、かつては同じ地にあった一対の神社とお寺を見つけるということも難しくないわね。
だから、神社とお寺というのを別々に考えるというのは日本の伝統にはなかった」
「無かったわけだけど、例えば江戸時代に本居宣長は古事記から仏教的なものを漉しとってしまって純粋神道的な世界を構築することで神道学を構築したんだね。これは平田篤胤も同じ」
「でも、そもそも古事記が編纂された藤原不比等の時代は、飛鳥寺こと法興寺、川原寺こと弘福寺、大官大寺、本薬師寺の飛鳥四大寺が平城京遷都(710年)に伴って次々と奈良に移すとともに再編を行った時期と重なるわね。
面白いことだけど、それまで地方の神社であった伊勢神宮に大きな地位が与えられたのも同じ時期に当たるのよ。
つまりは、純粋な神道学を構築した人々が聖典とした古事記の編纂自体に仏教思想が分離し難いほどに織り込まれている。旧神道と仏教との思想的合作となっていることが時代背景から窺える」
「奈良四大寺は大安寺と改称された大官大寺、薬師寺、そして移転に反対し、というより反抗して奈良に頑なに留まろうとした法興寺こと元興寺。それから、川原寺こと弘福寺から藤原氏が名跡を購入したと考えられてもいる藤原氏の氏寺である興福寺。こうした寺院は梅原氏によると神社と相似形を描いているとされている」
「まず、国家社寺として、アメテラスを祀る伊勢神宮と薬師如来を祀る薬師寺、釈迦如来を本尊とする大安寺が相似形を作る。
それから、これはもう奈良に足を踏み入れた人なら気づくことだけど、タケミカズチ、フツヌシ、アメノコヤネ、ヒメカミを祀る春日大社と藤原氏の氏寺である山階寺を引き継ぐ興福寺。これは隣接しているし、藤原氏の氏族社寺として相似形を形成している。
そして、国家社寺、藤原氏社寺の支配下に置かれた旧氏族社寺としてオオクニヌシを祀る出雲大社、タケミナカを祀る諏訪大社、オオモノヌシを祀る三輪大社と仏教を広めた蘇我氏の元興寺が相似形を作っている」
「こうして考えると寺院と神社を分けて考えるという未だに続いている二分法が如何に不自然なものかということが分かる。
寺社仏閣って言うくらいだからね。お寺廻りをする時は境内にある小さな神社にも目を留めるようにすると何かが見えてくるかも」
四国霊場巡礼も良いけれども、百寺巡礼というのも洒落ている。何よりも四国以外に住む人が地元近くの由緒ある寺院を再認識するとともに、更に近辺に足を伸ばす良い契機となるだろう。
五木寛之の百寺巡礼 ガイド版〈第3巻〉京都1 TRAVEL GUIDE BOOK
五木 寛之
秩父巡礼(2002年9月29日)
秩父札所(1番-34番)
金曜日, 2月 20, 2004
石油について考える
「今日、地震で火災になった北海道の苫小牧の出光興産北海道製油所で原油から出るスロップ(Slop)が1万リットルほど流出したそうよ」
「2003年9月の十勝沖地震の時に火災があったタンクの近くらしいね。
地震の影響で配管に亀裂が入っていたかもしれないという話しもあるみたい」
「原油を精製することでガソリン、灯油、重油などの石油製品になる。つまり、原油が石油製品の源。
で、今回の事故で流出したスロップ(Slop)というのは石油と水それから沈殿物の混合したもの。原油と混入している水を重力分離して原油だけを分離する。そして、分離後の水を更にスロップ・タンク(SLOP TANK)で残っている原油を分離するということを繰り返す。
で、紛らわしいのが原油と石油との区別よね」
「石油は自然生成物である鉱物油の総称だね。
原油と天然ガソリンを合わせて石油と言うと分かりやすい。但し、石油には石油製品が含まれるから、石油イコール原油プラス天然ガソリンとはならないけど」
「ちなみに、日本は原油を248,496千キロリットル輸入して239,307千キロリットルを消費している。つまり石油製品に変えている。日本でも生産をしている分が820千キロリットルあるんだけどね。
その大量に輸入された原油からスロップをどんどん分離していって、その後で沸点の差を利用して蒸留装置や分解装置で色々な石油製品に精製されていく」
「そうやって多くのエネルギー材料を生み出す原油だけど、どうやって出来たのかってことに関しては2つの説がある。2つの説があるってことは完全に解明されているというわけではないということなんだけど。
有力なのは有機起源説。一般に知られているのも、こちらの有機起源説だね。この考え方によると、プランクトンの死骸が海底に蓄積し様々な力によって原油が形成されたというもの。ということは、現在、原油が吹き出ているところというのは、かつては海の底だったってことになる。
もう一つの考え方は、炭酸ガスを含む水がアルカリ金属と高温・高圧という環境の下で化学反応を起こして出来たんだというもの。こちらは無機起源説なんて言われている」
石油神話―時代は天然ガスへ 文春新書
藤 和彦 (著)
メジャー神話、OPEC神話、枯渇神話という石油に関する3つの神話は改めなければならない時期に入っているという....
しかし、身の回りの生活に何と石油製品の多いことでしょう。
「2003年9月の十勝沖地震の時に火災があったタンクの近くらしいね。
地震の影響で配管に亀裂が入っていたかもしれないという話しもあるみたい」
「原油を精製することでガソリン、灯油、重油などの石油製品になる。つまり、原油が石油製品の源。
で、今回の事故で流出したスロップ(Slop)というのは石油と水それから沈殿物の混合したもの。原油と混入している水を重力分離して原油だけを分離する。そして、分離後の水を更にスロップ・タンク(SLOP TANK)で残っている原油を分離するということを繰り返す。
で、紛らわしいのが原油と石油との区別よね」
「石油は自然生成物である鉱物油の総称だね。
原油と天然ガソリンを合わせて石油と言うと分かりやすい。但し、石油には石油製品が含まれるから、石油イコール原油プラス天然ガソリンとはならないけど」
「ちなみに、日本は原油を248,496千キロリットル輸入して239,307千キロリットルを消費している。つまり石油製品に変えている。日本でも生産をしている分が820千キロリットルあるんだけどね。
その大量に輸入された原油からスロップをどんどん分離していって、その後で沸点の差を利用して蒸留装置や分解装置で色々な石油製品に精製されていく」
「そうやって多くのエネルギー材料を生み出す原油だけど、どうやって出来たのかってことに関しては2つの説がある。2つの説があるってことは完全に解明されているというわけではないということなんだけど。
有力なのは有機起源説。一般に知られているのも、こちらの有機起源説だね。この考え方によると、プランクトンの死骸が海底に蓄積し様々な力によって原油が形成されたというもの。ということは、現在、原油が吹き出ているところというのは、かつては海の底だったってことになる。
もう一つの考え方は、炭酸ガスを含む水がアルカリ金属と高温・高圧という環境の下で化学反応を起こして出来たんだというもの。こちらは無機起源説なんて言われている」
石油神話―時代は天然ガスへ 文春新書
藤 和彦 (著)
メジャー神話、OPEC神話、枯渇神話という石油に関する3つの神話は改めなければならない時期に入っているという....
しかし、身の回りの生活に何と石油製品の多いことでしょう。
木曜日, 2月 19, 2004
全地球史
「理系とか文系という区分という区分があるけど。きっちり分かれるものじゃないよね。
便宜的に分けた結果のはずなのに、その区分にかえって縛られて、自分は文系だから理系には関心がないとか。自分は理系だから文系の分野の才能がないとか。そんなことが当たり前のように言われたりする。
でもさぁ、理系出身の作家の人だっているし、数学者が哲学者であったり、経済学者が物理学者だったり、そういうこともある。
それに、もともと、人間の自然な興味とか関心というのは2分化出来ないというのが普通じゃないかと思うんだけど」
「区分が芽生え始めたのはニュートンからとかと言われているわね。それでも完全に2つに分断されているわけではなかったわけよね。
そして、19世紀には完全に分かれた。分かれたのだけれども、それでも曖昧なところがあって、両方に通じているけれども、どちらかと言えば物理が得意だから理系の区分に含まれる分野を専門にしているということがあった。
分かれているようで分かれていない」
「昔、学生だった時に、いや今でも好きなんだけど、歴史が好きでね。科目が日本史と世界史に分かれていたから、その区分にそって年表を作って悦に入っていた。すると、当然だけど、日本史の中に世界史のところに出てくる項目が顔を出す。そうすると、年表を別々に作るのではなくて一緒に合わせて作ったほうが二度手間にならないし分かりやすいって気づいたんだ。
それに、歴史の中でも文明の起源に当たるところ、高校の科目にはないけど、考古学が対象とするところは理科でいうところの地学の項目と重なってくる。
そうすると、地学の項目も歴史の年表に入れたほうが理解しやすいという、そういう結論になってしまったということがあったなぁ」
「そうよね。
その気持ちは理解出来る。だから、全地球史なんて言葉を耳にすると、凄く期待しちゃう。普通に言われている全地球史というのは文字通り地球の歴史を取り扱うのだけど、人類の歴史とか人類と自然環境との関わりといったところまでは含むようなものにはなっていない。」
「それでも、地球物理学と地質学、生物学との垣根を地球史ということをキーワードとして乗り越えようとしているという点は評価して良いと思うな。
それに、全地球史の試みの中で『地球史七大事件』として、
(1)46億年前の地球誕生と核・マントル分化
(2)40億年前のプレートテクトニクスの開始
(3)27億年前のマントル対流が一層対流になるマントルオーバーターン
(4)19億年前に起こった最初の超大陸の誕生
(5)7.5億年前に発生したマントルへ海水の逆流の開始
(6)2.5億年前のアフリカスーパープルームの誕生と史上最大の生物絶滅
(7)人類と科学の誕生
ということを挙げている。ここに(7)として人類と科学の誕生ということが挙げられているということは全地球史の試みは人類の歴史も十分に視野に入れていると言えるんじゃない」
全地球史解読
熊沢 峰夫, 伊藤 孝士, 吉田 茂生
便宜的に分けた結果のはずなのに、その区分にかえって縛られて、自分は文系だから理系には関心がないとか。自分は理系だから文系の分野の才能がないとか。そんなことが当たり前のように言われたりする。
でもさぁ、理系出身の作家の人だっているし、数学者が哲学者であったり、経済学者が物理学者だったり、そういうこともある。
それに、もともと、人間の自然な興味とか関心というのは2分化出来ないというのが普通じゃないかと思うんだけど」
「区分が芽生え始めたのはニュートンからとかと言われているわね。それでも完全に2つに分断されているわけではなかったわけよね。
そして、19世紀には完全に分かれた。分かれたのだけれども、それでも曖昧なところがあって、両方に通じているけれども、どちらかと言えば物理が得意だから理系の区分に含まれる分野を専門にしているということがあった。
分かれているようで分かれていない」
「昔、学生だった時に、いや今でも好きなんだけど、歴史が好きでね。科目が日本史と世界史に分かれていたから、その区分にそって年表を作って悦に入っていた。すると、当然だけど、日本史の中に世界史のところに出てくる項目が顔を出す。そうすると、年表を別々に作るのではなくて一緒に合わせて作ったほうが二度手間にならないし分かりやすいって気づいたんだ。
それに、歴史の中でも文明の起源に当たるところ、高校の科目にはないけど、考古学が対象とするところは理科でいうところの地学の項目と重なってくる。
そうすると、地学の項目も歴史の年表に入れたほうが理解しやすいという、そういう結論になってしまったということがあったなぁ」
「そうよね。
その気持ちは理解出来る。だから、全地球史なんて言葉を耳にすると、凄く期待しちゃう。普通に言われている全地球史というのは文字通り地球の歴史を取り扱うのだけど、人類の歴史とか人類と自然環境との関わりといったところまでは含むようなものにはなっていない。」
「それでも、地球物理学と地質学、生物学との垣根を地球史ということをキーワードとして乗り越えようとしているという点は評価して良いと思うな。
それに、全地球史の試みの中で『地球史七大事件』として、
(1)46億年前の地球誕生と核・マントル分化
(2)40億年前のプレートテクトニクスの開始
(3)27億年前のマントル対流が一層対流になるマントルオーバーターン
(4)19億年前に起こった最初の超大陸の誕生
(5)7.5億年前に発生したマントルへ海水の逆流の開始
(6)2.5億年前のアフリカスーパープルームの誕生と史上最大の生物絶滅
(7)人類と科学の誕生
ということを挙げている。ここに(7)として人類と科学の誕生ということが挙げられているということは全地球史の試みは人類の歴史も十分に視野に入れていると言えるんじゃない」
全地球史解読
熊沢 峰夫, 伊藤 孝士, 吉田 茂生
青は時を刻む
「『上海が世界最大のノートPC生産基地に、台湾3社覇権争い』という記事があったけど、これを上海が、『世界最大のノートPC』を、生産する基地になったと読み間違えるのは私だけ?」
「いや、これは傑作。
ひょっとすると、ウケを狙って題をつけたかな。まさか、それはないだろうけど。
言葉って、こういうところが面白いね。
あまりに大きいから中国で作ったほうが良いのだろうな、とか。それに、陸上輸送は道路の関係で大変だから上海なのか、とか。
ない、ない」
「それはそれとして。
生物の時間概念は脳の中で放出されるタンパク質の周期が原因というわね。
生物の体の中には、こうした体内時計が無数にあって、どうやら相互に時間を調整しあっているのだって」
「渡り鳥が方角を正確に知ることが出来るのも、自分の中にある時計と太陽の位置によって方角を確かめているんだっていうよね。
人間にも、そうした時計のメカニズムが備わっていて、時差ボケというのは、そのメカニズムに調整できない狂いが生じたという結果らしい」
「人間の生活時間は25時間でそれを1日単位で調整しているというものね。でも、振り子時計で時を刻むということがタンパク質の放出の周期的パターンによって生み出されているというのは面白い」
「体内時計っていったけど、おおむね1日という意味で概日時計と呼ばれているんだよね。
渡り鳥や人間だけではなくて、そして哺乳類だけではなくて地球上の生物は全て、この
概日時計を持っていると言われている。
そして、その概日時計は外部刺激入力系である光受容器から光刺激を受け取って、その刺激を時計発振を行う振動体で周期的振動を作り出して、リズム発現系である出力機構から時計信号が出される。
ここで、発振部分でクリプトクローム(Cryptochrome;CRY)という網膜にある色素が振動の発生に関係しているということらしい」
「クリプトクローム(Cryptochrome;CRY)は波長420ナノメートルの青い光を吸収するのよね。それに、クリプトクローム(Cryptochrome;CRY)は網膜だけではなくて皮膚にも、そして脳の中にもある。これらが相互に連携しあって時間を調整しているという、そういうことらしいわね」
「すると、青い色を沢山見せたりすると時間を錯覚するようになるのかもね。
イタリアの青の洞窟なんかに長い時間いると時間の感覚が狂うとか。さっき昼ご飯を食べたばかりなのに、洞窟を出たらもう一度スパゲッティを食べたくなるとか」
「そうなるのはあなただけ」
時間の分子生物学 講談社現代新書
粂 和彦 (著)
「いや、これは傑作。
ひょっとすると、ウケを狙って題をつけたかな。まさか、それはないだろうけど。
言葉って、こういうところが面白いね。
あまりに大きいから中国で作ったほうが良いのだろうな、とか。それに、陸上輸送は道路の関係で大変だから上海なのか、とか。
ない、ない」
「それはそれとして。
生物の時間概念は脳の中で放出されるタンパク質の周期が原因というわね。
生物の体の中には、こうした体内時計が無数にあって、どうやら相互に時間を調整しあっているのだって」
「渡り鳥が方角を正確に知ることが出来るのも、自分の中にある時計と太陽の位置によって方角を確かめているんだっていうよね。
人間にも、そうした時計のメカニズムが備わっていて、時差ボケというのは、そのメカニズムに調整できない狂いが生じたという結果らしい」
「人間の生活時間は25時間でそれを1日単位で調整しているというものね。でも、振り子時計で時を刻むということがタンパク質の放出の周期的パターンによって生み出されているというのは面白い」
「体内時計っていったけど、おおむね1日という意味で概日時計と呼ばれているんだよね。
渡り鳥や人間だけではなくて、そして哺乳類だけではなくて地球上の生物は全て、この
概日時計を持っていると言われている。
そして、その概日時計は外部刺激入力系である光受容器から光刺激を受け取って、その刺激を時計発振を行う振動体で周期的振動を作り出して、リズム発現系である出力機構から時計信号が出される。
ここで、発振部分でクリプトクローム(Cryptochrome;CRY)という網膜にある色素が振動の発生に関係しているということらしい」
「クリプトクローム(Cryptochrome;CRY)は波長420ナノメートルの青い光を吸収するのよね。それに、クリプトクローム(Cryptochrome;CRY)は網膜だけではなくて皮膚にも、そして脳の中にもある。これらが相互に連携しあって時間を調整しているという、そういうことらしいわね」
「すると、青い色を沢山見せたりすると時間を錯覚するようになるのかもね。
イタリアの青の洞窟なんかに長い時間いると時間の感覚が狂うとか。さっき昼ご飯を食べたばかりなのに、洞窟を出たらもう一度スパゲッティを食べたくなるとか」
「そうなるのはあなただけ」
時間の分子生物学 講談社現代新書
粂 和彦 (著)
水曜日, 2月 18, 2004
カネボウに思う
「カネボウが産業再生機構に支援を要請したね。
昨年の10月には化粧品業界4位の花王と合弁計画を出したと思ったら出資額で交渉が上手くいかなかったとかで、今年の1月には改めて化粧品事業を従業員を含めて花王に完全売却すると発表したばかりだったのに」
「今度、発表した計画では化粧品事業を全てカネボウ本体から分離して別会社を設立するらしいわね。カネボウの抱えている債務の多くも、新しく設立する会社に移すことでカネボウ本体の再建を目指すということみたい。
その新会社に産業再生機構が50%以上出資するけど、カネボウも株式を持つっていうから、カネボウ本体から化粧品部門を分離しても化粧品事業から将来にわたって得られるであろう収益を享受することは出来るということになるわ」
「カネボウにとって化粧品事業というのは大黒柱だからね。
そもそも花王との交渉が纏まらなかったのも稼ぎ頭の化粧品事業をカネボウから完全に切り離すことに躊躇する向きがあったからだとか言われている。
その点、今度の計画は化粧品事業を新会社に完全に移すとは言ってもカネボウは株主として収益を得ることが出来し、やがて産業再生機構が新会社の株式を売却する際には再生がなった暁の元気なカネボウが分離した化粧品会社の株式を買い戻すという選択肢もありうる。加えて、化粧品事業を分離するときにカネボウ本体の昨年9月末で629億円もあった債務も新会社に移すというのだから一石二鳥の計画と言えるのかもね」
「化粧品事業は売上高の4割、年間300億円もの営業利益を出すっていうじゃない。
その事業を分離しなければならないという事態だっただから、カネボウと花王との交渉が紆余曲折を経て破談になったという経緯も想像の範囲を越えるものではないと思うわ。
ほら、個人だってそうでしょ。マレッジ・ブルーなんかね」
「そうして最後に産業再生機構を選んだというわけか。
産業再生機構といえば平成15年4月16日に、株式会社産業再生機構法によって設立された株式会社組織。株式会社というのが意外と言えば意外。資本金は505億700万円で株主は預金保険機構と農林中央金庫なんだね。もっとも、特別に法律で設立された会社であるというところが一般の株式会社とは異なる。それに、国が機構の役員、産業再生委員会委員の選任の認可権と予算の認可権を持っている」
「主務官庁は内閣府、金融庁、財務省、経済産業省。実務上は内閣府を主管省庁としているのよね」
「しかし、カネボウがねぇ。
感慨深いものがあるなぁ。
カネボウというと、その起源は1886年11月に三越、白木屋、大丸といった繰綿問屋が設立した有限責任東京綿商社。商社だったわけだね。でも、直ぐに紡績そのものに進出する。捌ききれなかった綿花を紡績するということで、翌年には紡績所を兼営している。そして、商社から紡績会社へと軸足を移して名前も鐘淵紡績としている」
「創業時における大転換と言ってもいいでしょうね。
さらに、後に紡績業の先が見えてくると多角化に乗り出し、その柱が化粧品事業だったわけね。これが第2の大転換。その多角化は1968年から伊藤淳二社長による『ペンタゴン経営』として本格化したけれども、多角化の路線自体は戦後に武藤絲治社長によって開始されたと言われるわね」
「武藤絲治氏というとカネボウの実質的創設者とも言われる武藤山治氏の子だったよね。
武藤家といったら岡山の大原家と並んで労働問題に経営者としての限界はあったにせよ真剣に取り組んだ家。さらに、武藤山治氏は一度はメインバンクの三井銀行が支援を打ち切ったことからカネボウを去っているものの、労働者の運動によって復帰したという経歴の持ち主。文字通りのカネボウの祖。カネボウ・コレクションでも知られている」
「カネボウは紡績会社だったのよね。
今ではすっかり化粧品会社というイメージになっているけど。
もっとも、綿紡織事業から撤退するという発表は今年の1月29日に発表されているわね。だから、綿紡織事業もやっていたのよね」
「完全撤退というのは国内ね。
全額出資子会社のカネボウ繊維でね。明治22年からのかつてのコア事業。114年の歴史ということになるね。
でも、企業は業態を越えて生き残っていくということの良い例なのかもしれないね。
元気なカネボウを心待ちにしておこう」
昨年の10月には化粧品業界4位の花王と合弁計画を出したと思ったら出資額で交渉が上手くいかなかったとかで、今年の1月には改めて化粧品事業を従業員を含めて花王に完全売却すると発表したばかりだったのに」
「今度、発表した計画では化粧品事業を全てカネボウ本体から分離して別会社を設立するらしいわね。カネボウの抱えている債務の多くも、新しく設立する会社に移すことでカネボウ本体の再建を目指すということみたい。
その新会社に産業再生機構が50%以上出資するけど、カネボウも株式を持つっていうから、カネボウ本体から化粧品部門を分離しても化粧品事業から将来にわたって得られるであろう収益を享受することは出来るということになるわ」
「カネボウにとって化粧品事業というのは大黒柱だからね。
そもそも花王との交渉が纏まらなかったのも稼ぎ頭の化粧品事業をカネボウから完全に切り離すことに躊躇する向きがあったからだとか言われている。
その点、今度の計画は化粧品事業を新会社に完全に移すとは言ってもカネボウは株主として収益を得ることが出来し、やがて産業再生機構が新会社の株式を売却する際には再生がなった暁の元気なカネボウが分離した化粧品会社の株式を買い戻すという選択肢もありうる。加えて、化粧品事業を分離するときにカネボウ本体の昨年9月末で629億円もあった債務も新会社に移すというのだから一石二鳥の計画と言えるのかもね」
「化粧品事業は売上高の4割、年間300億円もの営業利益を出すっていうじゃない。
その事業を分離しなければならないという事態だっただから、カネボウと花王との交渉が紆余曲折を経て破談になったという経緯も想像の範囲を越えるものではないと思うわ。
ほら、個人だってそうでしょ。マレッジ・ブルーなんかね」
「そうして最後に産業再生機構を選んだというわけか。
産業再生機構といえば平成15年4月16日に、株式会社産業再生機構法によって設立された株式会社組織。株式会社というのが意外と言えば意外。資本金は505億700万円で株主は預金保険機構と農林中央金庫なんだね。もっとも、特別に法律で設立された会社であるというところが一般の株式会社とは異なる。それに、国が機構の役員、産業再生委員会委員の選任の認可権と予算の認可権を持っている」
「主務官庁は内閣府、金融庁、財務省、経済産業省。実務上は内閣府を主管省庁としているのよね」
「しかし、カネボウがねぇ。
感慨深いものがあるなぁ。
カネボウというと、その起源は1886年11月に三越、白木屋、大丸といった繰綿問屋が設立した有限責任東京綿商社。商社だったわけだね。でも、直ぐに紡績そのものに進出する。捌ききれなかった綿花を紡績するということで、翌年には紡績所を兼営している。そして、商社から紡績会社へと軸足を移して名前も鐘淵紡績としている」
「創業時における大転換と言ってもいいでしょうね。
さらに、後に紡績業の先が見えてくると多角化に乗り出し、その柱が化粧品事業だったわけね。これが第2の大転換。その多角化は1968年から伊藤淳二社長による『ペンタゴン経営』として本格化したけれども、多角化の路線自体は戦後に武藤絲治社長によって開始されたと言われるわね」
「武藤絲治氏というとカネボウの実質的創設者とも言われる武藤山治氏の子だったよね。
武藤家といったら岡山の大原家と並んで労働問題に経営者としての限界はあったにせよ真剣に取り組んだ家。さらに、武藤山治氏は一度はメインバンクの三井銀行が支援を打ち切ったことからカネボウを去っているものの、労働者の運動によって復帰したという経歴の持ち主。文字通りのカネボウの祖。カネボウ・コレクションでも知られている」
「カネボウは紡績会社だったのよね。
今ではすっかり化粧品会社というイメージになっているけど。
もっとも、綿紡織事業から撤退するという発表は今年の1月29日に発表されているわね。だから、綿紡織事業もやっていたのよね」
「完全撤退というのは国内ね。
全額出資子会社のカネボウ繊維でね。明治22年からのかつてのコア事業。114年の歴史ということになるね。
でも、企業は業態を越えて生き残っていくということの良い例なのかもしれないね。
元気なカネボウを心待ちにしておこう」
火曜日, 2月 17, 2004
イコンの歴史
「外を歩いていたら、前にいる女の人が片方の足はスニーカー、もう片方はサンダルという非常に珍しいコーディネートをしていたよ。
ふと隣りを見ると、連れの男の人もどうやら片方だけサンダル。ジーンズで隠れてしまっているため確証を得ることは出来なかったけど。
これって流行なの。そうだとすると面白いね。
それとも、片方だけサンダルにするとスキップがし易いとか、万が一身に危険が迫ったときにサンダルを飛ばして応戦するとか」
「そんなの初めて聞いたけど。
それって本当?
何かの意味合いがあるのかな。それはそれとして、この画像を見て。イコンなんだけど」
「イコンというとフォーサイス(Frederick Forsyth)。ではなくて、東方正教会で用いられてきた板絵の聖画像。
そうそう、今、パソコンで良く使われるアイコンと同じ語源だね。象徴というか像っていう意味。そうか、あのカップルの片方サンダルも何かの象徴なのかもしれない」
「その片方サンダルはいいけど。
イコンって見ていると自然と心が癒されるような気がしてこない?函館でハリストス正教会を見学したことがあるけど、何ともいえない安らぎを覚えるような場所だったわ」
「そのイコンにも長い歴史があることは知っているよね。
特にキリスト教は偶像崇拝を禁止する旧約聖書の理念を受け継いでいる。そこから、イコンを否定するということもあった。イコンは偶像に他ならないという観点からね。しかし、イコンは決して偶像ではないんだ、形式的にはイコンに対して礼拝しているようであっても、それはイコンを信仰しているのではなくて、信仰しているのはあくまでもイコンに描かれた原像なんだということで決着が図られている」
「受肉の信仰という概念でしょ。そうした概念が東方教会で定着したというのはギリシア文明に源を発する思考方法が根底にあるんでしょうね。おそらく」
「そうした自然の流れでイコンが流行したと考えられているね。あまりにも流行しすぎた。キリスト教は原則として偶像崇拝を禁じているから、見逃すということは出来ない。そこで、726年に東ローマ皇帝レオン3世が遂にイコンの崇拝を禁止する。これが第1回イコノクラスム(Iconoclasm)、つまり聖画像破壊論争の発端となるんだよね」
「この禁止令のせいで、まるで明治維新後に起きた廃仏毀釈令の影響のようにイコンが次々と破壊されたというし、関係した文書類まで廃棄されてしまったらしいわね。だから、どうして、こういう禁止令が出たのかという点に関しては明確な証拠を見つけることは出来ないらしいのよね。東ローマ帝国はイスラム圏と国境を接していたというより、首都のすぐ近くまでイスラム圏であった関係で、厳格な偶像崇拝を禁止するイスラムの影響が背景としてあったとも言われている」
「それ以外にも首都コンスタンティノープルでの地震の原因が人々のイコンの崇拝に帰せられたとか、イコンの収入による修道院が裕福になったことへの非難が背景としてあったのだとかいう指摘がされているね」
「イコン破壊運動の中にあって、特に貧しい下層のキリスト教徒はそれでもイコンを捨てるということはしなかった。
そこで、754年に再びコンスタンチヌス5世によるイコノクラスム(Iconoclasm)が発令される。この時は、前回のイコノクラスムが不徹底だと考えられたのかイコンだけではなく聖遺物、聖人そして聖母への崇拝も禁止される」
「それでも、そうしたものを下層のキリスト教徒は捨てることをしなかった。民衆の支持を得ていた証左とも言える。
そうした動きを受けて、787年に開かれた第7回全地公会議、つまり第2回ニカイヤ(Nicaea)公会議で当時のレオ4世王妃イレーネ(Irene)によってイコン崇拝に理論的正当性が付与される。それがイコンを崇拝しているのではなくてイコンに表現されている原像を崇拝しているんだっていうことだね。
このイレーネは後に東ローマ皇帝になる人物であるから影響力があった」
「それで目出度し目出度しとはならなかったわよね。
偶像崇拝否定派からの揺り戻しがある。それがレオン5世(813-820)による再度のイコノクラスム(Iconoclasm)。その後、皇帝テオドラが再びイコンを容認してから以降、ようやく東方教会においてイコンが公認化されたわけよね」
「改めてイコンを見てみると歴史が滲み出ているね」
イコンの道―ビザンティンからロシアへ
川又 一英
[参照]
14世紀のイコン
All Catholic Church Ecumenical Councils - All the Decrees
ふと隣りを見ると、連れの男の人もどうやら片方だけサンダル。ジーンズで隠れてしまっているため確証を得ることは出来なかったけど。
これって流行なの。そうだとすると面白いね。
それとも、片方だけサンダルにするとスキップがし易いとか、万が一身に危険が迫ったときにサンダルを飛ばして応戦するとか」
「そんなの初めて聞いたけど。
それって本当?
何かの意味合いがあるのかな。それはそれとして、この画像を見て。イコンなんだけど」
「イコンというとフォーサイス(Frederick Forsyth)。ではなくて、東方正教会で用いられてきた板絵の聖画像。
そうそう、今、パソコンで良く使われるアイコンと同じ語源だね。象徴というか像っていう意味。そうか、あのカップルの片方サンダルも何かの象徴なのかもしれない」
「その片方サンダルはいいけど。
イコンって見ていると自然と心が癒されるような気がしてこない?函館でハリストス正教会を見学したことがあるけど、何ともいえない安らぎを覚えるような場所だったわ」
「そのイコンにも長い歴史があることは知っているよね。
特にキリスト教は偶像崇拝を禁止する旧約聖書の理念を受け継いでいる。そこから、イコンを否定するということもあった。イコンは偶像に他ならないという観点からね。しかし、イコンは決して偶像ではないんだ、形式的にはイコンに対して礼拝しているようであっても、それはイコンを信仰しているのではなくて、信仰しているのはあくまでもイコンに描かれた原像なんだということで決着が図られている」
「受肉の信仰という概念でしょ。そうした概念が東方教会で定着したというのはギリシア文明に源を発する思考方法が根底にあるんでしょうね。おそらく」
「そうした自然の流れでイコンが流行したと考えられているね。あまりにも流行しすぎた。キリスト教は原則として偶像崇拝を禁じているから、見逃すということは出来ない。そこで、726年に東ローマ皇帝レオン3世が遂にイコンの崇拝を禁止する。これが第1回イコノクラスム(Iconoclasm)、つまり聖画像破壊論争の発端となるんだよね」
「この禁止令のせいで、まるで明治維新後に起きた廃仏毀釈令の影響のようにイコンが次々と破壊されたというし、関係した文書類まで廃棄されてしまったらしいわね。だから、どうして、こういう禁止令が出たのかという点に関しては明確な証拠を見つけることは出来ないらしいのよね。東ローマ帝国はイスラム圏と国境を接していたというより、首都のすぐ近くまでイスラム圏であった関係で、厳格な偶像崇拝を禁止するイスラムの影響が背景としてあったとも言われている」
「それ以外にも首都コンスタンティノープルでの地震の原因が人々のイコンの崇拝に帰せられたとか、イコンの収入による修道院が裕福になったことへの非難が背景としてあったのだとかいう指摘がされているね」
「イコン破壊運動の中にあって、特に貧しい下層のキリスト教徒はそれでもイコンを捨てるということはしなかった。
そこで、754年に再びコンスタンチヌス5世によるイコノクラスム(Iconoclasm)が発令される。この時は、前回のイコノクラスムが不徹底だと考えられたのかイコンだけではなく聖遺物、聖人そして聖母への崇拝も禁止される」
「それでも、そうしたものを下層のキリスト教徒は捨てることをしなかった。民衆の支持を得ていた証左とも言える。
そうした動きを受けて、787年に開かれた第7回全地公会議、つまり第2回ニカイヤ(Nicaea)公会議で当時のレオ4世王妃イレーネ(Irene)によってイコン崇拝に理論的正当性が付与される。それがイコンを崇拝しているのではなくてイコンに表現されている原像を崇拝しているんだっていうことだね。
このイレーネは後に東ローマ皇帝になる人物であるから影響力があった」
「それで目出度し目出度しとはならなかったわよね。
偶像崇拝否定派からの揺り戻しがある。それがレオン5世(813-820)による再度のイコノクラスム(Iconoclasm)。その後、皇帝テオドラが再びイコンを容認してから以降、ようやく東方教会においてイコンが公認化されたわけよね」
「改めてイコンを見てみると歴史が滲み出ているね」
イコンの道―ビザンティンからロシアへ
川又 一英
[参照]
14世紀のイコン
All Catholic Church Ecumenical Councils - All the Decrees
自然資本
「社会経済における生産物というのは資本と労働、そして土地から産み出されると整理されているね。
整理の話だから物的資本と労働と土地だけに無理に分ける必要はなくて、他に考慮しなければならないような重要な要素があれば加えて考えれば良いということになる。
例えば、地域開発という視点、良くグローカルなんて言われるけど、そういう考え方だね、その視点で重要なものを考えると5つあるって言われることが多い」
「資本といっているけど設備のことが念頭にあるんでしょ。だから設備資本あるいは物的資本よね。労働力も資本なわけだから人的資本。それに、資本と言った時に普通は思い浮かべる金融資本。そして、土地資本」
「土地資本というのは、土地だけでなくても良いよね。
水資源でも良いし、鉱物でも良いわけで、自然資本として括って考えられるんじゃない?」
「それから社会のインフラ、これは社会資本ね。
これで5つの資本。順番違うけど、語呂の良いところで、自然資本、社会資本、人的資本、物的資本、金融資本」
「このうち、企業ベースでは社会資本や自然資本というのは軽視されがち。
直接的に利益に結びつかないから仕方がないとは言えるのだけど」
「社会資本や自然資本というのが企業の利益に直接結びつくとは考えられないとは言えないわよ。
特に、社会資本に関しては社会資本を収益の源としている企業というのは少なくはないでしょ。道路関係しかり、空港関係しかり。それ以外でも総合電機の中にも社会インフラを提供していますということを売り文句にしているというところがあるわ」
「それはそうだけど、全ての企業が社会インフラを重視しているわけではないよね。
自然資本に関してはなおさら。それでも、社会経済活動は地球全体で一つのエコシステムになっているわけだから、企業が自然資本や社会資本を軽視した行動ばかりに走ると後からブーメランのようにその竹箆返しが来るという可能性が高い」
「一般論としてはそうでしょうね。
軽視していると言ったけど、日本の製造業は公害へ対応はおそらく世界でも高いレベルにあると言えるし、自動車産業などでは電気自動車の開発などで自然に優しい方向へと舵を切っている。こうした取り組みは企業における自然資本の重視と言えるわ。
だから、全ての企業が自然資本を軽視しているわけではないし、むしろ重視する方向にあるというのが現在の流れではないかしら?」
「何だか、言いたかったことを全部先に言われたって感じ。
そうした流れを指摘した上で、ポール ホーケンなどは視点そのものの転換を唱えているね。
曰く『人間にとってよいことは、世界にとっても当然よいことだ』は間違えで反対なんだと。そして、産業資本主義からの脱却して自然資本主義を標榜すべきだと。
こういうと理想論的な響きなんだけど、著者達はそうした動きが既に進んでいますよということを、君が挙げたような例でもって示しているね」
「確かにかつては理想論でしかなかったとは言えるわね。でも、気付いてみたら現実が理想論のほうに近づいていたっていうところかしらね。
そして、そうした動きこそが、かつてローマクラブが警鐘を鳴らした『成長の限界』を突破する鍵になるんだってところが、」
「なかなか人類もやるじゃないと」
「そういうこと」
自然資本の経済―「成長の限界」を突破する新産業革命
ポール ホーケン (著), L.ハンター ロビンス (著), エイモリ・B. ロビンス (著), Paul Hawken (原著), L.Hunter Lovins (原著), Amory B. Lovins (原著), 佐和 隆光 (翻訳), 小幡 すぎ子 (翻訳)
整理の話だから物的資本と労働と土地だけに無理に分ける必要はなくて、他に考慮しなければならないような重要な要素があれば加えて考えれば良いということになる。
例えば、地域開発という視点、良くグローカルなんて言われるけど、そういう考え方だね、その視点で重要なものを考えると5つあるって言われることが多い」
「資本といっているけど設備のことが念頭にあるんでしょ。だから設備資本あるいは物的資本よね。労働力も資本なわけだから人的資本。それに、資本と言った時に普通は思い浮かべる金融資本。そして、土地資本」
「土地資本というのは、土地だけでなくても良いよね。
水資源でも良いし、鉱物でも良いわけで、自然資本として括って考えられるんじゃない?」
「それから社会のインフラ、これは社会資本ね。
これで5つの資本。順番違うけど、語呂の良いところで、自然資本、社会資本、人的資本、物的資本、金融資本」
「このうち、企業ベースでは社会資本や自然資本というのは軽視されがち。
直接的に利益に結びつかないから仕方がないとは言えるのだけど」
「社会資本や自然資本というのが企業の利益に直接結びつくとは考えられないとは言えないわよ。
特に、社会資本に関しては社会資本を収益の源としている企業というのは少なくはないでしょ。道路関係しかり、空港関係しかり。それ以外でも総合電機の中にも社会インフラを提供していますということを売り文句にしているというところがあるわ」
「それはそうだけど、全ての企業が社会インフラを重視しているわけではないよね。
自然資本に関してはなおさら。それでも、社会経済活動は地球全体で一つのエコシステムになっているわけだから、企業が自然資本や社会資本を軽視した行動ばかりに走ると後からブーメランのようにその竹箆返しが来るという可能性が高い」
「一般論としてはそうでしょうね。
軽視していると言ったけど、日本の製造業は公害へ対応はおそらく世界でも高いレベルにあると言えるし、自動車産業などでは電気自動車の開発などで自然に優しい方向へと舵を切っている。こうした取り組みは企業における自然資本の重視と言えるわ。
だから、全ての企業が自然資本を軽視しているわけではないし、むしろ重視する方向にあるというのが現在の流れではないかしら?」
「何だか、言いたかったことを全部先に言われたって感じ。
そうした流れを指摘した上で、ポール ホーケンなどは視点そのものの転換を唱えているね。
曰く『人間にとってよいことは、世界にとっても当然よいことだ』は間違えで反対なんだと。そして、産業資本主義からの脱却して自然資本主義を標榜すべきだと。
こういうと理想論的な響きなんだけど、著者達はそうした動きが既に進んでいますよということを、君が挙げたような例でもって示しているね」
「確かにかつては理想論でしかなかったとは言えるわね。でも、気付いてみたら現実が理想論のほうに近づいていたっていうところかしらね。
そして、そうした動きこそが、かつてローマクラブが警鐘を鳴らした『成長の限界』を突破する鍵になるんだってところが、」
「なかなか人類もやるじゃないと」
「そういうこと」
自然資本の経済―「成長の限界」を突破する新産業革命
ポール ホーケン (著), L.ハンター ロビンス (著), エイモリ・B. ロビンス (著), Paul Hawken (原著), L.Hunter Lovins (原著), Amory B. Lovins (原著), 佐和 隆光 (翻訳), 小幡 すぎ子 (翻訳)
月曜日, 2月 16, 2004
原点に戻ろう
「14日に春一番が吹いたせいでポカポカ陽気だね。
なんでも、気象庁によると、春一番というのは(A)立春から春分までのあいだに、(2)日本海に低気圧があり、(3)強い南寄りの風(風向は東南東から西南西まで、風速8m/s以上)が吹き、(4)気温が上昇することを指すようだね。今年は昨年と比べ、関東と北陸は18日早く、九州南部は6日遅いんだそうだよ」
「こういうポカポカ陽気の日こそ、縁側ででも読書をして知識のリフレッシュをしないといけないわよ。
ポカポカしている日にお昼寝ばかりしていると頭までポッカポッカになってしまうわ。
ほら、今、あちこちの企業でバランスト・スコアカードの導入を検討しているでしょ。その中に指標どうしを因果関係で結びつけて図示して考えようっていう戦略マップという考え方がある。その考え方の起源は昔のローマクラブの報告書にあるって知っている?」
「システム・ダイナミクスの考え方でしょ。システム・ダイナミクスというものが初めて本格的の応用されたのはローマクラブの報告書だと言うんだよね。
それに、キャプラン=ノートンがバランスト・スコアカードを世に問うた時には戦略マップという概念は無かったよね。それが、指標同士の因果関係を重視するシステム・ダイナミクスの側から疑問が呈されたわけだよね」
「そうそう。だから、指標同士の因果関係をチャートで示すシステム・ダイナミクスの考え方をバランスト・スコアカードにも取り入れて戦略マップという形にしたのよ」
「そこのところをもう一度押さえておく必要はありそうだね。
そうすると、4つの視点というのが絶対的なものではないということも理解できると思うよ」
成長の限界―ローマ・クラブ人類の危機レポート
ドネラ H.メドウズ (著)
なんでも、気象庁によると、春一番というのは(A)立春から春分までのあいだに、(2)日本海に低気圧があり、(3)強い南寄りの風(風向は東南東から西南西まで、風速8m/s以上)が吹き、(4)気温が上昇することを指すようだね。今年は昨年と比べ、関東と北陸は18日早く、九州南部は6日遅いんだそうだよ」
「こういうポカポカ陽気の日こそ、縁側ででも読書をして知識のリフレッシュをしないといけないわよ。
ポカポカしている日にお昼寝ばかりしていると頭までポッカポッカになってしまうわ。
ほら、今、あちこちの企業でバランスト・スコアカードの導入を検討しているでしょ。その中に指標どうしを因果関係で結びつけて図示して考えようっていう戦略マップという考え方がある。その考え方の起源は昔のローマクラブの報告書にあるって知っている?」
「システム・ダイナミクスの考え方でしょ。システム・ダイナミクスというものが初めて本格的の応用されたのはローマクラブの報告書だと言うんだよね。
それに、キャプラン=ノートンがバランスト・スコアカードを世に問うた時には戦略マップという概念は無かったよね。それが、指標同士の因果関係を重視するシステム・ダイナミクスの側から疑問が呈されたわけだよね」
「そうそう。だから、指標同士の因果関係をチャートで示すシステム・ダイナミクスの考え方をバランスト・スコアカードにも取り入れて戦略マップという形にしたのよ」
「そこのところをもう一度押さえておく必要はありそうだね。
そうすると、4つの視点というのが絶対的なものではないということも理解できると思うよ」
成長の限界―ローマ・クラブ人類の危機レポート
ドネラ H.メドウズ (著)
鑑真和上
「鑑真和上坐像というと脱活乾漆造の奈良時代の作で、日本の肖像彫刻の最古の作品とされるわね。
ただの坐像ではなくて、恐らくは鑑真和上自身の背丈と同じ寸法で製作されたのではないかと考えられている」
「像の高さが奈良時代の他の像と比較すると小さいんじゃないかっていうのが、その根拠になっているんだよね。
そのことを念頭に置いて、改めて見てみると、左右の目違いなどが際立ってくるように思えるね。鑑真和上をそのまま写し取ったような像に見えてくる」
「そうなのよ。それも多くの人が指摘していて、きっと、この坐像は鑑真が亡くなられた後に製作されたものではなくて、鑑真が生きているときに、しかも鑑真その人を目の前にして製作されたものに違いないと。
具体的な製作年代については『東征伝』に忍基が和上遷下の予知夢を見て模したという記述がある天平宝字7(763)年だと考えられている」
「像から伝わってくるオーラのようなものは、それこそ鑑真を目の前にして製作したが故に鑑真のパワーが坐像に写しこまれたのかもしれないな。
それに、像が製作された時には既に鑑真和上の命の灯火は消えようとしていただろうし。消えるというのは適切ではないか。菩薩界に入ろうとしていたというべきかな」
「鑑真というと11度目の航海でようやく日本の土を踏んだ人。尋常な意志の持ち主ではないわね。その像からですらオーラが出ているように感じるのは当然かもしれないわよ。鑑真は東大寺の大仏開眼の翌年、まぁ、日本が仏教を切望してしていた最中だと言っても良いわね、その時、天平勝宝5(753)に日本に渡ってきた。その時既になんと67歳」
「67歳にして、その気力というのに圧倒される。そして、東大寺に居を許されると同時に戒壇建立と授戒伝律を任される。日本仏教の総帥として迎え入れられたということになるね。
鑑真和上は756年には大僧都、続いて大和上という号を受ける。ここで鑑真和上が常人ではないところは、政治への関係を絶って僧綱を辞し後進の育成に励んだという点」
「それは真似しようと思っても真似出来ない。
鑑真が日本への渡航を決心したのは榮叡と普照という日本人僧が懇願したことが直接の契機だとされている。その時、鑑真は揚州の大明寺にあって名声が十分に確立していたわけよね。
それを捨てて、しかもその結果として失明までしてしまうのだけれども、それでも諦めずに日本へとやってきたわけでしょ。
将に仏教に生きた人と言えるわね」
「揚州江陽県に持統2(688)に生まれ、南山律宗の祖である道宣の弟子の道岸に菩薩戒を受け恒景より具足戒を受け、大明寺に居を定めた時点で54歳。若いとは言えない。
やっぱり、その仏教にかけたヴァイタリティにだけでも敬服せざるを得ない」
ただの坐像ではなくて、恐らくは鑑真和上自身の背丈と同じ寸法で製作されたのではないかと考えられている」
「像の高さが奈良時代の他の像と比較すると小さいんじゃないかっていうのが、その根拠になっているんだよね。
そのことを念頭に置いて、改めて見てみると、左右の目違いなどが際立ってくるように思えるね。鑑真和上をそのまま写し取ったような像に見えてくる」
「そうなのよ。それも多くの人が指摘していて、きっと、この坐像は鑑真が亡くなられた後に製作されたものではなくて、鑑真が生きているときに、しかも鑑真その人を目の前にして製作されたものに違いないと。
具体的な製作年代については『東征伝』に忍基が和上遷下の予知夢を見て模したという記述がある天平宝字7(763)年だと考えられている」
「像から伝わってくるオーラのようなものは、それこそ鑑真を目の前にして製作したが故に鑑真のパワーが坐像に写しこまれたのかもしれないな。
それに、像が製作された時には既に鑑真和上の命の灯火は消えようとしていただろうし。消えるというのは適切ではないか。菩薩界に入ろうとしていたというべきかな」
「鑑真というと11度目の航海でようやく日本の土を踏んだ人。尋常な意志の持ち主ではないわね。その像からですらオーラが出ているように感じるのは当然かもしれないわよ。鑑真は東大寺の大仏開眼の翌年、まぁ、日本が仏教を切望してしていた最中だと言っても良いわね、その時、天平勝宝5(753)に日本に渡ってきた。その時既になんと67歳」
「67歳にして、その気力というのに圧倒される。そして、東大寺に居を許されると同時に戒壇建立と授戒伝律を任される。日本仏教の総帥として迎え入れられたということになるね。
鑑真和上は756年には大僧都、続いて大和上という号を受ける。ここで鑑真和上が常人ではないところは、政治への関係を絶って僧綱を辞し後進の育成に励んだという点」
「それは真似しようと思っても真似出来ない。
鑑真が日本への渡航を決心したのは榮叡と普照という日本人僧が懇願したことが直接の契機だとされている。その時、鑑真は揚州の大明寺にあって名声が十分に確立していたわけよね。
それを捨てて、しかもその結果として失明までしてしまうのだけれども、それでも諦めずに日本へとやってきたわけでしょ。
将に仏教に生きた人と言えるわね」
「揚州江陽県に持統2(688)に生まれ、南山律宗の祖である道宣の弟子の道岸に菩薩戒を受け恒景より具足戒を受け、大明寺に居を定めた時点で54歳。若いとは言えない。
やっぱり、その仏教にかけたヴァイタリティにだけでも敬服せざるを得ない」
日曜日, 2月 15, 2004
色即是空、空即是色
「何もない空間。そこにあるのは無のみ。それが真空」
「だけど、その真空の宇宙空間に浮かんでいる星同士は引力で引かれ合う。何もないのだけれども力が伝播する。
磁力が伝わる。これは、どう説明するのかっていう問題がある」
「磁力は物質ではないわ。
でも、力が伝わる。こうしたことの説明として、真空には物質はないのだけれども電磁場という『場』を作り出す潜在的な力があるんだって、そういうことが言われるわね。
細分化という科学の王道に沿って考えていって、その先に見えてきたのが物質と物質との間の相互作用というものの重要性。今のところ、この相互作用というのは、重力、電磁気力の他、素粒子のレベル、つまり一見すると私達の日常生活には縁がないレベルということになるけど、そこで働く強い相互作用と弱い相互作用というのがあるということが知られている」
「強い相互作用というのは素粒子(クォーク)間に働く力のことで、弱い相互作用というのはベータ崩壊等に関係する力のことだ。まぁ、そこは置いておいて、『場』という考え方は、場自体、電磁場で説明するほうが良いかな。電磁場自体がエネルギーを持つことが出来るんだと、そう説明が付けられる。
この考え方が確率的な思考方法に結びつくと面白いことになる」
「人生は全て確率的。確定的だと思えることも、単に時間の取り方が違うだけ。全ては移ろいやすく。全ては儚い」
「『場』はエネルギーを持っている。持っているけれども、そのエネルギーというものは實は非常に揺らいでいる。
この辺りのことは物質である粒子の位置と運動量を同時に確定することは出来ないというハイゼンベルグの不確定原理という形で整理されているわけだ」
「難しい表現になっているけど『場』の持つエネルギーは決して安定しているものではないということね、つまるところ」
「そういうこと。
そのことと、物質とエネルギーとの間にある関係。これはアインシュタインが物質の質量をm、エネルギーをE、光の速度をcとすると、それらの間に E = mc2 という関係があるということを見つけている。
つまり、エネルギーが揺らぐと、無から物質が誕生するということなんだね」
「色即是空、空即是色」
物理学はいかに創られたか―初期の観念から相対性理論及び量子論への思想の発展 (上巻) 岩波新書 赤版 (50)
アインシュタイン (著), インフェルト (著), 石原 純
「だけど、その真空の宇宙空間に浮かんでいる星同士は引力で引かれ合う。何もないのだけれども力が伝播する。
磁力が伝わる。これは、どう説明するのかっていう問題がある」
「磁力は物質ではないわ。
でも、力が伝わる。こうしたことの説明として、真空には物質はないのだけれども電磁場という『場』を作り出す潜在的な力があるんだって、そういうことが言われるわね。
細分化という科学の王道に沿って考えていって、その先に見えてきたのが物質と物質との間の相互作用というものの重要性。今のところ、この相互作用というのは、重力、電磁気力の他、素粒子のレベル、つまり一見すると私達の日常生活には縁がないレベルということになるけど、そこで働く強い相互作用と弱い相互作用というのがあるということが知られている」
「強い相互作用というのは素粒子(クォーク)間に働く力のことで、弱い相互作用というのはベータ崩壊等に関係する力のことだ。まぁ、そこは置いておいて、『場』という考え方は、場自体、電磁場で説明するほうが良いかな。電磁場自体がエネルギーを持つことが出来るんだと、そう説明が付けられる。
この考え方が確率的な思考方法に結びつくと面白いことになる」
「人生は全て確率的。確定的だと思えることも、単に時間の取り方が違うだけ。全ては移ろいやすく。全ては儚い」
「『場』はエネルギーを持っている。持っているけれども、そのエネルギーというものは實は非常に揺らいでいる。
この辺りのことは物質である粒子の位置と運動量を同時に確定することは出来ないというハイゼンベルグの不確定原理という形で整理されているわけだ」
「難しい表現になっているけど『場』の持つエネルギーは決して安定しているものではないということね、つまるところ」
「そういうこと。
そのことと、物質とエネルギーとの間にある関係。これはアインシュタインが物質の質量をm、エネルギーをE、光の速度をcとすると、それらの間に E = mc2 という関係があるということを見つけている。
つまり、エネルギーが揺らぐと、無から物質が誕生するということなんだね」
「色即是空、空即是色」
物理学はいかに創られたか―初期の観念から相対性理論及び量子論への思想の発展 (上巻) 岩波新書 赤版 (50)
アインシュタイン (著), インフェルト (著), 石原 純