土曜日, 7月 31, 2004
祭りだ、花火だ、一応花火
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今日は隣町の立川は国営昭和記念公園の花火大会。
村山からでもドカンドカ?ンと大きな音が聞こえる。
音だけではなくて、もちろん高く打ち上げられた花火は良く見える。
で、写真を一枚と思ったけれど、なかなかうまくはいかない。
シャッターのチャンスと花火が綺麗になる瞬間が一致しない。
この写真も、花火と言わなければ、随分と変てこな写真。。。
時間の順序が逆だけど、昼間は子供祭りで神輿(みこし)が町内を練り歩いた。
わっしょい。わっしょい、と威勢が良い声、声、声。
いやぁ、暑いのに子供は元気一杯。
後ろから小道具を持って付いていく自治会のおじさんも元気一杯。
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そうそう、この写真の雲。台風の余波なのか。
こちら側は晴れているのに、雲のあるほうは雨が降っている。
こちらとあちらは度々入れ替わって、というような一日だった。
まぁ、祭りに花火の日だから空模様も興奮したのかも。
金曜日, 7月 30, 2004
変わらないもの
多くのものが変わっていき
僕が記憶している物事も淡いセピア色になっていく中で
何事もなかったかのようにそこにある
有り続けるものがある
それがどんなにありふれたものであったとしても
とりたててどうということのないものでも
僕の記憶の中で
あの時を過ごした、そうあの時の確かな証拠として
僕の記憶の奥底のものとしっかりとつながり合う
あの時、ともに共感し、一緒に笑った
それが確かに事実だったのだと証明してくれるもの
どんなにありきたりのものだったとしても
見えない心の
つかむことの
握り締めることの出来ない思い出の
それ以上確かではありえない証拠となってくれている
[大南1丁目にあるスーパー、クリハラ。この前にある西へと延びる通りに面したところに僕はかつて住んでいた。僕はまだ武蔵村山を離れていないけれども、いろいろな事情があって、今はその家はない。その家はないだけではなくて、周囲の風景もすっかり塗り替えられてしまっている。]
僕が記憶している物事も淡いセピア色になっていく中で
何事もなかったかのようにそこにある
有り続けるものがある
それがどんなにありふれたものであったとしても
とりたててどうということのないものでも
僕の記憶の中で
あの時を過ごした、そうあの時の確かな証拠として
僕の記憶の奥底のものとしっかりとつながり合う
あの時、ともに共感し、一緒に笑った
それが確かに事実だったのだと証明してくれるもの
どんなにありきたりのものだったとしても
見えない心の
つかむことの
握り締めることの出来ない思い出の
それ以上確かではありえない証拠となってくれている
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[大南1丁目にあるスーパー、クリハラ。この前にある西へと延びる通りに面したところに僕はかつて住んでいた。僕はまだ武蔵村山を離れていないけれども、いろいろな事情があって、今はその家はない。その家はないだけではなくて、周囲の風景もすっかり塗り替えられてしまっている。]
木曜日, 7月 29, 2004
大雨、びしょり
横向き、西向きへんてこ台風接近中。昨夜、いきなり、ざぁーと唐突に降り始めて、朝もかなり。
今日は所用でずっと中野坂上。よりによって、こういう日に台風とデートだなんて。珍しく、テレビでお出かけ前のお天気チェック。雨は結構激しくなりそう。こういう時は傘をさしても、横から後ろから斜めからと風と一緒に仲良く雨が押し寄せてくれるから、どのみちびしょ濡れ。
と思ったら、陽射しが痛いほど晴れたり、そんな天候たから、一日中、まるで蒸し風呂のようだった、ふぅ。
[武蔵村山への窓口、西武拝島線武蔵砂川駅。昨日の撮影]
[大南3丁目、立川市砂川との境目の道]
今日は所用でずっと中野坂上。よりによって、こういう日に台風とデートだなんて。珍しく、テレビでお出かけ前のお天気チェック。雨は結構激しくなりそう。こういう時は傘をさしても、横から後ろから斜めからと風と一緒に仲良く雨が押し寄せてくれるから、どのみちびしょ濡れ。
と思ったら、陽射しが痛いほど晴れたり、そんな天候たから、一日中、まるで蒸し風呂のようだった、ふぅ。
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[武蔵村山への窓口、西武拝島線武蔵砂川駅。昨日の撮影]
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[大南3丁目、立川市砂川との境目の道]
水曜日, 7月 28, 2004
確かめられない
どこかに出掛けたりすると必ずその土地の風景や情景をパチリとカメラに収める。その一方で、普段、自分が暮らしている場所を写真に撮るということはあまりなかった。たまにはあったけど。それは自分の住んでいる場所を、この場所以外に住んでいる友達に紹介するような、つまりはヨソ向きのというか、とにかく日常のワンシーンではなかった。
でも、最近、ふと気付くと、自分の暮らしている場所がどんどんと変わっている。思い起こすと、中学校への通学路にあった森も空き地もない。
それらがどんな表情をしていたかも確かめられない。
武蔵村山市大南1丁目付近。昔の香蘭の裏、村山幼稚園の西の、変わらぬ茶畑。
でも、最近、ふと気付くと、自分の暮らしている場所がどんどんと変わっている。思い起こすと、中学校への通学路にあった森も空き地もない。
それらがどんな表情をしていたかも確かめられない。
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武蔵村山市大南1丁目付近。昔の香蘭の裏、村山幼稚園の西の、変わらぬ茶畑。
火曜日, 7月 27, 2004
また一つ、消えていく
緑ヶ丘(村山団地)の山梨中央銀行が隣町の立川支店と11月15日に統合されるという案内を受けとる。
新しい支店は立川の柏町になるとのこと。
またひとつ銀行が村山から消えていく。
そういえば、昔は旧日産村山工場正門の前にも銀行があった。確か、何かの記念硬貨を並んで買った。それよりも、その近くの電話ボックスの前で待ち合わせをした、ほろ苦い思い出が頭をよぎる。
あの時の電話ボックスはもうないし、銀行も、日産の工場もない。
でも、あの頃のことは忘れない。
[立川バスの日産前停留所。まだ、携帯電話などなかった頃、ここに電話ボックスがあった。待ち合わせの目印だった電話ボックス。あの貼り紙が懐かしい。しばらくは跡が残っていたのを覚えている。]
新しい支店は立川の柏町になるとのこと。
またひとつ銀行が村山から消えていく。
そういえば、昔は旧日産村山工場正門の前にも銀行があった。確か、何かの記念硬貨を並んで買った。それよりも、その近くの電話ボックスの前で待ち合わせをした、ほろ苦い思い出が頭をよぎる。
あの時の電話ボックスはもうないし、銀行も、日産の工場もない。
でも、あの頃のことは忘れない。
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[立川バスの日産前停留所。まだ、携帯電話などなかった頃、ここに電話ボックスがあった。待ち合わせの目印だった電話ボックス。あの貼り紙が懐かしい。しばらくは跡が残っていたのを覚えている。]
月曜日, 7月 26, 2004
『海山十題』
横山大観の『海山十題』が上野の東京芸術大学美術館で公開されている。
今回の展示の目玉は『海山十題』の一連の作品の中で散逸していた「龍踊る」などの作品が一堂に集まっていること。
時代が変わっても、横山大観の作品には訴えかけてくるものがあると紹介されていたが、至極もっとも。
藝術家といえども、その生きた時代とは無縁では有り得ない。
この『海山十題』は、太平洋戦争を目前として、戦闘機を購入するために連作されたとして有名。
横山大観(1869-1958)は水戸藩士の家に明治元年に生まれる。岡倉天心の薫陶を受け、モノを忠実に再現する絵画ではなく、モノの奥にある精神を描くことを決意。
これは、後に朦朧体という会が手法へと結実していく。そこには、日本古来の大和絵の単純な発展ではなく、西洋画をも取り入れた大いなる展開を見て取ることができる。
「山十題」の山は富士山。富士山を描く濃淡の使い方には明らかに印象派の影響がある。一方、「海十題」は、存念の画家と言われる大観らしく、全体としては太平洋を中心として描いていると考えられるけれども、決して特定の海を描いているのではなく、大観の心象たる海を描いている。その海は、日本人ならば、誰でも故郷を、遊びし頃を、それぞれに思い浮かべる海と言える。
波の表現は朦朧体であるが、そこには西洋海がの遠近法を光の表現法とともに見ることが出来る。
1930年代の国民精神総動員運動の中の「海ゆかば」に代表される海洋国家日本と「海十題」は時代の中で共鳴しあっている。
また、「山十題」にも「海十題」にも描きこまれている不自然なほどに存在感を持つ太陽は、言うまでもなく日が昇る勢いの日本を象徴している。一見して太陽とは思えないほどの日の丸は将に時代が要請したものと言えよう。
しかし、戦後も何十年も経過して、当時の戦時高揚の空気を推し量ることが困難になりつつある現代においては、『海山十題』は当時とは別の輝きを放っている。
それは、画家の精神を体現しているにも関わらず、絵画が描かれた瞬間に、絵画は画家の精神から離れ鑑賞するものが価値を附加するようになるからなのかもしれない。
今回の展示の目玉は『海山十題』の一連の作品の中で散逸していた「龍踊る」などの作品が一堂に集まっていること。
時代が変わっても、横山大観の作品には訴えかけてくるものがあると紹介されていたが、至極もっとも。
藝術家といえども、その生きた時代とは無縁では有り得ない。
この『海山十題』は、太平洋戦争を目前として、戦闘機を購入するために連作されたとして有名。
横山大観(1869-1958)は水戸藩士の家に明治元年に生まれる。岡倉天心の薫陶を受け、モノを忠実に再現する絵画ではなく、モノの奥にある精神を描くことを決意。
これは、後に朦朧体という会が手法へと結実していく。そこには、日本古来の大和絵の単純な発展ではなく、西洋画をも取り入れた大いなる展開を見て取ることができる。
「山十題」の山は富士山。富士山を描く濃淡の使い方には明らかに印象派の影響がある。一方、「海十題」は、存念の画家と言われる大観らしく、全体としては太平洋を中心として描いていると考えられるけれども、決して特定の海を描いているのではなく、大観の心象たる海を描いている。その海は、日本人ならば、誰でも故郷を、遊びし頃を、それぞれに思い浮かべる海と言える。
波の表現は朦朧体であるが、そこには西洋海がの遠近法を光の表現法とともに見ることが出来る。
1930年代の国民精神総動員運動の中の「海ゆかば」に代表される海洋国家日本と「海十題」は時代の中で共鳴しあっている。
また、「山十題」にも「海十題」にも描きこまれている不自然なほどに存在感を持つ太陽は、言うまでもなく日が昇る勢いの日本を象徴している。一見して太陽とは思えないほどの日の丸は将に時代が要請したものと言えよう。
しかし、戦後も何十年も経過して、当時の戦時高揚の空気を推し量ることが困難になりつつある現代においては、『海山十題』は当時とは別の輝きを放っている。
それは、画家の精神を体現しているにも関わらず、絵画が描かれた瞬間に、絵画は画家の精神から離れ鑑賞するものが価値を附加するようになるからなのかもしれない。
日曜日, 7月 25, 2004
武蔵村山の風景
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ここからが「東京のチベット」として有名な武蔵村山市。
左に見える白い塀は日産自動車村山工場の跡地。現在、再開発が進められ大南側の旧正門から反対側まで見渡せます。かつては、様々な建物が並んでいました。
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[大南1丁目]
そして、ここが私、竹内が育った場所。えーと、別にバス停の前で育ったという訳ではありません。小学校の頃は、ここからバスに乗って(ちなみに実際に乗るのは反対側のバス停)、第一小学校に通っていました。
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バス停のあった所から少し北に進んで東に曲がり、村山幼稚園の前を通り過ぎていくと第四中学校。
かつては周囲に緑が沢山ありましたが、今ではびっしりと住宅が立ち並んでいます。それでも、古びた校舎はそのまま。