水曜日, 8月 04, 2004
空いているってユトリだね
会社はもう夏休みシーズンなのだろうか。
今日、都心に出かけたら電車がいつもよりも空いていた。ひょっとして、たまたま時間帯がそういう時間帯なのかと思ったら、あにはからんや、帰りの電車も空いていた。
でも、あいも変わらず、乗っている中年サラリーマンは疲れきって座席に沈んでいる。会社でも家庭でも気の休まる時というものがないのかも。
見ているこっちが気の毒になってくる。そういう心身ともに疲れきっている人々に「シルバーシートには」「譲り合って」とかいうアナウンスは虚しく響いていた。
それはともあれ、まだお盆の時期ではないのに、どうしてこんな空いていたのだろう。学生が帰省してしまったということを考えても、まだ空いていたように感じた。
そして、わが町、武蔵村山はいつでも「空いている」。
適度な「空き方」というのはヒトに優しい。なんと言っても、ヒトとヒトとの間にゆとりが生まれ、他人を思いやるだけの余裕が出来るから。
[かつての日産自動車村山工場]
[現在の日産自動車村山工場跡]
今日、都心に出かけたら電車がいつもよりも空いていた。ひょっとして、たまたま時間帯がそういう時間帯なのかと思ったら、あにはからんや、帰りの電車も空いていた。
でも、あいも変わらず、乗っている中年サラリーマンは疲れきって座席に沈んでいる。会社でも家庭でも気の休まる時というものがないのかも。
見ているこっちが気の毒になってくる。そういう心身ともに疲れきっている人々に「シルバーシートには」「譲り合って」とかいうアナウンスは虚しく響いていた。
それはともあれ、まだお盆の時期ではないのに、どうしてこんな空いていたのだろう。学生が帰省してしまったということを考えても、まだ空いていたように感じた。
そして、わが町、武蔵村山はいつでも「空いている」。
適度な「空き方」というのはヒトに優しい。なんと言っても、ヒトとヒトとの間にゆとりが生まれ、他人を思いやるだけの余裕が出来るから。
[かつての日産自動車村山工場]
[現在の日産自動車村山工場跡]
火曜日, 8月 03, 2004
違う、違う
変な夢を見る。
登場人物は全員、実在の人物で、何らかの意味での知り合い。テレビで知っているとか、雑誌で見たというような一方的な関係ではない関係。
それなのに、場面設定が全く違う。
海があって、単線の2両編成の電車が走っている。その電車に僕が乗っている。
そこに入れ替わり立ち替わり色々な人が乗ってきて、降りていく。中には夢が続いている時間ずっと一緒の人もいた。
夢が覚めた後まで、その人達と一緒だったかどうかは定かではもちろんない。
おかしいのは、その情景には全く見覚えがないということ。私の地元の武蔵村山で考えて見る。
武蔵村山は、かつて担任の音楽の先生、この先生は非村山人だけれども、その人が『東京のチベット』と呼んだように海などはない。
ひょっとすると、海のように見えたのは河だったかもしれない。でも、そういった海と少しでも間違うような、そう、例えば片目でウィンクした瞬間の風景だったとしても、そんな河はない。せいぜい、ちょろりと流れる空堀川や残堀川。空堀川や残堀川は大きな川でじゃない。小川程度。
それじゃぁ、テレビで見た風景か、旅行に行った時に目にした風景かもしれない。ぴったりとする風景は記憶にないけれども、どこかの風景なのかもしれない。あるいは、そうした色々な風景のジグソーパズル的組み合わせかも。何せ、夢の中の話なのだから正確であることを期待するのが難しいというもの。
それはそれで良しとしよう。
百歩譲って。
でもしかし、何故、出てくる知り合いの服装のセンスが決定的に違っているのだろう。センスは長いこと会っていないうちに向上したり、失われたりしたのかもしれない。それは有り得ない話じゃぁない。
それも良しとしよう。
それでも、何故、話し方や話の内容が違ったのだろう。
夢は起きている時の記憶の整理のためという考えがあるようだから、丁度、記憶が混線している、個別の記憶がバラバラにされて再構成されるという状態の最中に夢を見ていたのかも。
ひょっとすると、そうやって過去の記憶がバラバラにされていく中で消し去られてしまった昔の知り合いの記憶があったかもしれない。
そう思うと、もう一度、あの不可解な夢を思い出したくもなる。
登場人物は全員、実在の人物で、何らかの意味での知り合い。テレビで知っているとか、雑誌で見たというような一方的な関係ではない関係。
それなのに、場面設定が全く違う。
海があって、単線の2両編成の電車が走っている。その電車に僕が乗っている。
そこに入れ替わり立ち替わり色々な人が乗ってきて、降りていく。中には夢が続いている時間ずっと一緒の人もいた。
夢が覚めた後まで、その人達と一緒だったかどうかは定かではもちろんない。
おかしいのは、その情景には全く見覚えがないということ。私の地元の武蔵村山で考えて見る。
武蔵村山は、かつて担任の音楽の先生、この先生は非村山人だけれども、その人が『東京のチベット』と呼んだように海などはない。
ひょっとすると、海のように見えたのは河だったかもしれない。でも、そういった海と少しでも間違うような、そう、例えば片目でウィンクした瞬間の風景だったとしても、そんな河はない。せいぜい、ちょろりと流れる空堀川や残堀川。空堀川や残堀川は大きな川でじゃない。小川程度。
それじゃぁ、テレビで見た風景か、旅行に行った時に目にした風景かもしれない。ぴったりとする風景は記憶にないけれども、どこかの風景なのかもしれない。あるいは、そうした色々な風景のジグソーパズル的組み合わせかも。何せ、夢の中の話なのだから正確であることを期待するのが難しいというもの。
それはそれで良しとしよう。
百歩譲って。
でもしかし、何故、出てくる知り合いの服装のセンスが決定的に違っているのだろう。センスは長いこと会っていないうちに向上したり、失われたりしたのかもしれない。それは有り得ない話じゃぁない。
それも良しとしよう。
それでも、何故、話し方や話の内容が違ったのだろう。
夢は起きている時の記憶の整理のためという考えがあるようだから、丁度、記憶が混線している、個別の記憶がバラバラにされて再構成されるという状態の最中に夢を見ていたのかも。
ひょっとすると、そうやって過去の記憶がバラバラにされていく中で消し去られてしまった昔の知り合いの記憶があったかもしれない。
そう思うと、もう一度、あの不可解な夢を思い出したくもなる。
月曜日, 8月 02, 2004
ブレーク
夏真っ盛りの8月に入ったからということからか、やけにキャンペーンの叫び声があちこちで聞こえた。
建物の中は冷房がガンガンに効いていて寒いくらいなのに、建物の入り口で建物の外に立って声を上げている人達はご苦労様。
暑いというより、ビルから吹き出る熱風で熱いと言いたくなるほどだろう。
その熱い中で流れるような人ごみに向って
「○○キャンペーン実施中で〜す」
と連呼する。
○○の所は、こちらも歩きながらなので良く聞こえない。実を言えば、後半の実施中で〜すという下りも、おそらくそうでも言っているのだろうという程度で聞き取れていない。これでは、英語のヒアリング試験なら絶対に穴埋めが出来ない。
その程度のリスニング。
叫んでいるほうも、熱いから声を張り上げるのも大変だし、多少は予定外の言葉を口にしているのかもしれない。
冷たい飲み物でも飲みながらゆっくりと叫べば良いのにと、単なる通行人の無責任でいい加減なことを頭に浮かべる。
「只今、ブレークダンスを○○していま〜す。ブレークダンス付きで〜す」
うん?
何だ。ブレークダンス?
そんなものが、一体、何に付いてくるんだ?
非常に気になったので、用事はあるのだけれども、知らぬ振りをしてUターン。これって周囲から見ると不審人物っぽいかも。
叫んでいる女の子目当てでグルリグルリしていると思われても仕方ない。ブレークダンスが付いているということのほうが数倍不審なのだ。
でも、男も叫んでいる。おぉ、そうすると、そのイケメンの男の子目当てにグルリとしていると思われるのか!
それは避けたい。
多少の躊躇いを感じる。
そうは言っても、ブレークダンスだぞ、ブレークダンス。躊躇っている場合か。
この際、周囲の無責任でいい加減な憶測の思惑の、え〜い、兎に角もそんなものに気を煩わされている場合ではない。
おっと、そんなことを考えている間いに肝心なところを通り過ぎてしまった。
やっぱり、遠くから聞くと
「ブレークダンスが付いてきま〜す」
と聞こえるよなぁ。
昔、流行ったよなぁ。小学校の頃、上手な子がいたっけ。イナギ君だったか。
何度も教えてもらって、真似して見るけど、何度やってもオズの魔法使いに出てくるブリキのロボット?のような動きしか出来なかった。
おぉ、いけないいけない。
また、通り過ぎてしまった。どうも、雑念が入る。
えぇっつ!
配るのを、叫ぶのを止めてしまったようだ。
エスカレータを4往復もしたというのに。。。。
それにしても気になる。
「ブレークダンスをお付けしま〜す」
というのは一体。。。。
建物の中は冷房がガンガンに効いていて寒いくらいなのに、建物の入り口で建物の外に立って声を上げている人達はご苦労様。
暑いというより、ビルから吹き出る熱風で熱いと言いたくなるほどだろう。
その熱い中で流れるような人ごみに向って
「○○キャンペーン実施中で〜す」
と連呼する。
○○の所は、こちらも歩きながらなので良く聞こえない。実を言えば、後半の実施中で〜すという下りも、おそらくそうでも言っているのだろうという程度で聞き取れていない。これでは、英語のヒアリング試験なら絶対に穴埋めが出来ない。
その程度のリスニング。
叫んでいるほうも、熱いから声を張り上げるのも大変だし、多少は予定外の言葉を口にしているのかもしれない。
冷たい飲み物でも飲みながらゆっくりと叫べば良いのにと、単なる通行人の無責任でいい加減なことを頭に浮かべる。
「只今、ブレークダンスを○○していま〜す。ブレークダンス付きで〜す」
うん?
何だ。ブレークダンス?
そんなものが、一体、何に付いてくるんだ?
非常に気になったので、用事はあるのだけれども、知らぬ振りをしてUターン。これって周囲から見ると不審人物っぽいかも。
叫んでいる女の子目当てでグルリグルリしていると思われても仕方ない。ブレークダンスが付いているということのほうが数倍不審なのだ。
でも、男も叫んでいる。おぉ、そうすると、そのイケメンの男の子目当てにグルリとしていると思われるのか!
それは避けたい。
多少の躊躇いを感じる。
そうは言っても、ブレークダンスだぞ、ブレークダンス。躊躇っている場合か。
この際、周囲の無責任でいい加減な憶測の思惑の、え〜い、兎に角もそんなものに気を煩わされている場合ではない。
おっと、そんなことを考えている間いに肝心なところを通り過ぎてしまった。
やっぱり、遠くから聞くと
「ブレークダンスが付いてきま〜す」
と聞こえるよなぁ。
昔、流行ったよなぁ。小学校の頃、上手な子がいたっけ。イナギ君だったか。
何度も教えてもらって、真似して見るけど、何度やってもオズの魔法使いに出てくるブリキのロボット?のような動きしか出来なかった。
おぉ、いけないいけない。
また、通り過ぎてしまった。どうも、雑念が入る。
えぇっつ!
配るのを、叫ぶのを止めてしまったようだ。
エスカレータを4往復もしたというのに。。。。
それにしても気になる。
「ブレークダンスをお付けしま〜す」
というのは一体。。。。
日曜日, 8月 01, 2004
夢を探しに
忘れたものを探しに行こう
思い出に浸って過去を懐かしむのではなく
描いていた明日の自分に出逢うため
終わってしまった昨日を美しく飾るのでは遅すぎる
追い掛けない夢はただの空想
諦めることの出来る夢は他人への羨望
過ぎてしまった時間は本心ではない言い訳
昨日から明日への忘れ物を見つけに行こう
それは自分が自分らしくあり続けるための自分からのプレゼント
[武蔵村山四中2年1組の仲間達と。みんな、あの頃の夢を実現しているだろうか。追い続けているだろうか。万が一、あきらめかけているなら、もう一度、馬鹿みたいに夢みても良いと思う。]
思い出に浸って過去を懐かしむのではなく
描いていた明日の自分に出逢うため
終わってしまった昨日を美しく飾るのでは遅すぎる
追い掛けない夢はただの空想
諦めることの出来る夢は他人への羨望
過ぎてしまった時間は本心ではない言い訳
昨日から明日への忘れ物を見つけに行こう
それは自分が自分らしくあり続けるための自分からのプレゼント
[武蔵村山四中2年1組の仲間達と。みんな、あの頃の夢を実現しているだろうか。追い続けているだろうか。万が一、あきらめかけているなら、もう一度、馬鹿みたいに夢みても良いと思う。]
わかりやすいが一番
上野公園にある東京国立博物館が9月のリニューアル・オープンに向けて本館の全室閉館となっている。
新しい展示では、日本美術の流れを「仏教の美術」、「宮廷の美術」、「禅と水墨画」、「茶の美術」、「武士の装い」、「浮世絵と衣裳」といった時代をテーマで切り分けるという。
年代、特に政治的な区分で美術を無理に分割するよりも、このようにテーマで分けたほうが自然に理解できるだろうなぁ、きっと。
京都に都が移ったから、鎌倉に幕府が出来た、江戸に幕府が出来たといってすぐに変化があったわけではないだろうし。
新しい展示では、日本美術の流れを「仏教の美術」、「宮廷の美術」、「禅と水墨画」、「茶の美術」、「武士の装い」、「浮世絵と衣裳」といった時代をテーマで切り分けるという。
年代、特に政治的な区分で美術を無理に分割するよりも、このようにテーマで分けたほうが自然に理解できるだろうなぁ、きっと。
京都に都が移ったから、鎌倉に幕府が出来た、江戸に幕府が出来たといってすぐに変化があったわけではないだろうし。
思い出は繰り返せない
思い出は繰り返すことができない
過去は辿(たど)れない
薄く淡くカゲロウのように
確かにあったことさえ記憶の底の奥深く
沈んでくすんで辿れない
覚えていますか。忘れた瞬間(とき)には過去も消え入る
何もない。ただ記憶だけが過去の存在証明
描こうとしても、同じには繰り返せない
思い出すことだけを繰り返し
戻れないことだけを確かめる
[中藤一寮の風呂場の前でバットを構えるたっちゃん。脇に見える建物でよくイタチョことヨーコちゃんやカトー君とママゴトにも興じた。そう、子供は文武両道なのだ!]
過去は辿(たど)れない
薄く淡くカゲロウのように
確かにあったことさえ記憶の底の奥深く
沈んでくすんで辿れない
覚えていますか。忘れた瞬間(とき)には過去も消え入る
何もない。ただ記憶だけが過去の存在証明
描こうとしても、同じには繰り返せない
思い出すことだけを繰り返し
戻れないことだけを確かめる
[中藤一寮の風呂場の前でバットを構えるたっちゃん。脇に見える建物でよくイタチョことヨーコちゃんやカトー君とママゴトにも興じた。そう、子供は文武両道なのだ!]