土曜日, 8月 14, 2004

変わりゆくもの、 


変わらぬもの。

変わっていくものの中で変わらぬもの。

決めるのは誰でもない

自分自身と気付いた。

(旧在日米軍立川基地再開発地)

五日市街道 


迷い猫捜しで知られる阿豆佐味天神の前。
武蔵村山から立川へはここからか一本前の道から南北道路を利用する。

明日はお盆 


大切だけど会えなくなってしまった人が明日は帰って来る。
少し雲ってきて、どうやら明日は今日ほどには晴れないらしい、と天気予報。
大切な人がどこまで帰って来ているかも予報してくれたらいいのに。
でも、大丈夫。
心は晴れているから。

武蔵砂川-玉川上水間 


一体、いつまで続くやら、武蔵村山的情景シリーズ。
正確には隣の立川になるけど双方とも村山市民の玄関口ということで西武拝島線の線路。
何と単線!

金曜日, 8月 13, 2004

国立音楽大学講堂:武蔵村山的情景 


昔でいうところの東大南にある。この裏が旧村山東高校(統合によって廃校。武蔵村山地区単位制高等学校[H12]を経て、現在は上水高校[H15]。)、東には早稲田実業がグラウンドを借りていたが、今は拓殖大一高校がある。ちなみに、国立はくにたちと読む。
国立音楽大学は四中の音楽のサイトー先生の母校。

脳力高気圧に吹かれて 

頭が良いとか、悪いとか。結構基準が難しい。学校の成績が良ければ頭が良いのか、会社での成績が良ければ頭が良いのか。何でも知っていれば頭が良いのか。回転が速ければ頭が良いのか。
考えるとキリがない。
でも、文句なしに脳ミソの力がある人というのはいる。丁度、筋肉モリモリで24時間ぶっ通しで走りつづけても大丈夫な人のように。脳ミソがモリモリの人。
そういう人を私は密かに、脳力のある人と呼ぶことにしている。もっとも、脳力という言葉自体は普及しているから、そう珍しい呼び方でもない。
中でも、圧倒的に、ボディビルダーのように脳ミソのヒダがきっとムッチリとクッキリとしているだろう人に接すると、脳力高気圧に晒されたように感覚に陥る。
私自身の脳力が低気圧と化しているので、そういう方と話したり、あるいはボケーとただ隣に置物のように座っているだけで、凄い勢いで、台風のように脳力風が吹いてくる。
しっかりと脳ミソのヒダを立てて置かないと飛ばされて、折角のヒダが偏平足になってしまうような、そういう風。
その風に耐えて吹かれているとあら不思議、筋肉と同じで数日間は脳ミソ痛に悩まされるが、その後はヒダがモリモリとしてくる。
これは不思議なことだと常々思っている。


玉川上水駅:武蔵村山的情景 

西武拝島線の駅。武蔵砂川駅が出来る前は村山への唯一の玄関口だった。但し、駅は村山の市域ではない。
モノレールの駅も隣接。

「くじら」:武蔵村山的情景 


Y字路。
左に行けば旧武蔵村山東高校、右に行けば村山市民の憩いの場の大南公園。
さてと、公園でブラリとしましょうか。

永遠にない、その日のために 


綺麗事を言うのはたやすい

今まで何をしてきたのか

このままでいいのか

あの日、君は夢があると

明るい陽射しの中で笑顔を見せた

もう一度だけ
たった一度だけでも

また会える日のために

君への話しを組立ている

さえき南の林:武蔵村山的情景 


大南三丁目一体には旧日本陸軍、少年飛行隊の基地跡が点在していた。
多くが住宅地に変わる中で、ここは残っている。写真では分かりづらいが、盛り上がっているのは昔の建物の土台。

木曜日, 8月 12, 2004

玉川上水駅:武蔵村山的情景 

多摩モノレールの駅。西武拝島線とともに、陸の孤島武蔵村山の玄関口。

水曜日, 8月 11, 2004

明日への備え 

まばゆいばかりの幻想は黄泉の国へのプレリュード

かすかに煌めく太陽は明日への希望の道標(みちしるべ)

叶わなぬ今日を憎むより

今は輝いてはいないことに苦しむより

必ず来る明日を自分の力で磨きあげよう

大南郵便局:武蔵村山情景 

あっちゃんへのラブレターはここから。。。

火曜日, 8月 10, 2004

あき店舗 

かつてのコンビニ。何やら自然食品販売会場に。

あの夏の続き 

手紙、ありがとう
あの日も同じくらい暑かったね
積み重ねてきた日々が懐かしくなる
突然だけど、ありがとう
僕はあの時のまま
そのままで
変わらないといえばウソになるけど
君の笑顔が、いつも僕のことを元気にしてくれた、あの頃のように
僕の不器用な心が君を切なくさせた夏と同じように
止めてしまっていた時計をまた進めることができる
だから、無くしてしまったものなどないんだよ
取り戻さなければならないものもない
二人が全てだった白い夏の日々の続き
今、ここから始めよう

ガンバレ、H氏 

H氏から久方ぶりに電話。

「最近忙しくてねぇ」

何も用事が取り立ててないとは言っても、連絡を貰うというのは嬉しいもの。
H氏が外国との交渉を行っている霞ヶ関の公務員。
そう、いわば明日の日本を担う逸材なのだ。
忙しいのも無理はない。
もっとも、私ごときの立場では、H氏がどれほどに忙しいのか理解出来るわけはない。
何せ、それってさっさとやれば半日仕事じゃないの、というようなことを3日も4日も掛けてやり続け、忙しい忙しいというのが口癖になってしまっているような方々が結構いたりする。
そういう基準で「忙しい」という言葉を受け取ってしまってはならないだろう。

「久しぶりで休めたよ」

とは言っていた。
でも、週末はきっちりと休む私とは違う。休めたというのは週末の休みを含めてのこと。つまり、ここ何ヶ月か週末にあるべきはずの休みが無かったのだという。
こういう人が明日の日本の道筋を付けるのだと納得。
えっ、私?
単なる国民。単なる国民でどこが悪いなどということは置いておく。
そういうことを言いたいのではない。

「ずっと徹夜のような日が続いてねぇ。きちんと横になって寝たというのも久しぶりだったんだ。座りながら、資料を抱えながら寝るという状況だったから。
でね、そんな日が続いたものだから横になって寝たら腰と言わず背中と言わず痛くなったよ、アハハハ」

ポイントはここなのだ。
あぁ、そうなのか。それではまるで、戦の最中は横になって寝なかったという独眼流政宗ではないか。
本当に忙しいというのはそういうことなのだろう。
そういえば、今ではのんびりとノホホンと過ごしているこの私の貴重な貴重な忙しい時期も1日3時間睡眠の状態がずっと続いたものだぁということをスルリと思い出す。
いやいや、そういうものとは比較にならないだろう。

いまや、すっかり、座っていると腰が痛くなるというのが日常と化しているのだから。


武蔵村山に文化の香りを 

上野といわず都心は色々な美術館、博物館があって羨ましい限り。
料金は別にしても、気軽に立ち寄って文化の香りに浸るということが出来る。
それに比べて、比べるのがいけないのかもしれないけど、わが町武蔵村山の周辺には文化的施設が少ない。
郷土資料館ならあるのだけれど。
だから、大抵の人は絵画とかそういう類のものを目にする機会が都心に住んでいる、この場合は23区内とか山手線の内側とか、そういう所に住んでいる人達よりも相対的に少ないと思う。
武蔵村山に住んでいる人の中でも、最近は都心のほうから越してきていて、仕事は都心でという人も少なくないと思う。でも、だからといって、そういう人達が仕事場の近くにある博物館とか美術館に足を運ぶ機会があるかというと、そうはないだろう。
勤めから帰る頃には閉まっているだろうし、週末に武蔵村山から都心までわざわざ出かけるというのは中々に難しい。何せ遠いから。上野までだって1時間以上はかかる。電車の乗り継ぎだとか、そもそも駅に行くまでの時間などを考えると1時間半以上は確実にかかる。
それに何よりも、そういう施設は週末には混む。特に、これはというような展覧会が行われている時はなおさら。時間をかけて足を伸ばしても、じっくりと見ることが出来ないという結果を経験したことも何度もある。
よく地方への巡回展というのがあるけれども、そうしたものを地方の博物館・美術館だけではなくて市民ホールとか、多摩でいったら「たましん」のホールとかも対象に含めてくれたら、どれほど有り難いことか。

武蔵村山情景:大南公園 

ゲートボール、野球と市民の憩いの場所

月曜日, 8月 09, 2004

日常は叙事詩 

ホメロスの叙事詩は繰り返しが多いという
あの膨大な詩篇を偉大なる口承詩人が創作し聴衆の前で披露出来たのは
その繰り返しが大いに役立ったのだという
僕らの生活も繰り返しの連続
ホメロスの叙事詩どころではない
毎日の生活の中からほぼ完全に繰り返されている場面を「同上」「同前」として省略してしまうとどうなるか
人生80年という、その余りにも長い時間
29,200日のサイクル、700,800時間の連続、その間に挟まる余白
ホメロスの叙事詩は繰り返しによっても創造性を失うことはない
繰り返しにこそ人々を物語に取り込む魅力がある
僕らの生活はホメロス以上に

ブログは連歌の香り 

連歌データベースが国際日本文化研究センターから公開されている。
連歌というのは、五・七・五の上の句と、七・七の下の句を別人が作り、ひとつの歌になるようにして次々と詠んでいくという和歌を使った遊び。
『連理秘抄』、『筑波問答』、連歌式目「応安新式」などで知られる二条良基(1320 - 1388)が興隆の基礎を作った。
ブログの作者は小さな宗祇のような気がする。

「京の今日」展 

来月の5日まで、京都文化博物館で「京の今日展」という洒落たネーミングの日本画の展覧会が開催されている。
何でも、京都日本画家協会所属の410人の画家の最新作が展示されるほか、京都で活躍した日本画壇を代表する22人の先達の作品も見ることが出来るとのこと。
展覧会は前期と後期に分かれていて、8月15日までは前期、それ以降は後期。
私が京都に行くのは丁度、後期に当る。
場所も烏丸御池から3分のところだし、時間が許せば行きたいところ。

インキュナブラ 

国立国会図書館のサイトで「インキュナブラ 西洋印刷術の黎明」というコーナーが設けられている。
解説によると、インキュナブラというのはラテン語incunabulumの複数形incunabulaで、「揺りかご」という意味から転じて「出生地」「初め」を意味するという。
そして、「初め」という意味から、書籍の世界では、「金属活字により印刷され、印刷年が1500年以前のものをインキュナブラと呼んで」いるという。
西洋の印刷、製本、装丁の歴史を知ることが出来る。

This page is powered by Blogger. Isn't yours?