水曜日, 8月 18, 2004

朝日式駒鳥型グライダー 



汐留にて。

昭和15年完成の日本初の量産グライダー。


自分もファイト 

28年ぶりの体操王国の復活に卓球の愛ちゃんのベスト16進出。
昨日はテレビの前で興奮。
愛ちゃんが球を返す度に、自分も雑誌を振っていたからねぇ。もう、王子サーブになったら大変。雑誌がグニョリと宙を舞う。
馬鹿丸出しだ。でも、力が入ると止められない。

王子サーブというのは大阪市阿倍野区の王子卓球クラブを主催する作馬六郎氏が1971年の世界選手権で優勝したベンクソン選手のしゃがみ込みサーブにヒントを得て考案したものという。作馬氏自身は選手経験がないながらも、王子クラブからは2001年世界選手権で3位になった武田明子選手などが輩出しているという。愛選手もその一人。
これは、全部、友人のKさんに教えてもらった耳情報。

そんな感慨に浸りながら、自分はスポーツ選手でもないのに今日からファイトなんて思ったりする。
スポーツやっていないなぁ、最近。学生の頃は大学時代を除いて部活は体育系だったのに。
でも、違うこともやってたから、スポ根という学生時代を過ごしたわけではない。
昔から確立した一つの分野に集中するというのではなくて、その谷間に落ち着くというのが常だったような気がする。一番しっくりするんだなぁ、谷間っていうのは。
谷間の話じゃなくてスポーツの話。
社会人に成り立ての頃は公共のプールに何日か置きに行って軽く泳いでいた。それも、思いっきり競泳用パンツで。
目立とうとしたわけではもちろんない。そもそも、目立つのはあまり好きではない。
水泳命となったわけでもない。
大学時代の体育の授業で強制的に購入させられたものをそのまま履いていただけ。その体育の授業で水泳を履修したのも水泳が好きだったからではない。
東京とは言っても辺境の地、武蔵村山で伸び伸びと育ったせいか、土地や出身のせいにしてはいけないのだけれど、気が付いたら履修届の期限が来ていた。ということを友人と遊びに行っている先で友人から知らされた。その帰りに履修届を出せば良いのに、次の日に履修届を出しに行くと空きがあったのは水泳だけだった。つまりはそういうことなのだ。そうやって公共のプールで水泳に励んだ。
ところが、そのプールは大きなデパートの近くにあってデパートのお美しい方々がしょっちゅうお見えになる。
その中で貧弱な体に競泳用パンツを履いてさっぱりの泳ぎをしたわけだ。
近眼だからね、眼鏡を外したら周囲は気にならない。
思い出すと恥ずかしいということは無かったりするけど、もう一度同じことをやれと言われると躊躇する。
そんな話じゃなくて、そうそう、最近は机に向っての仕事が多いから腰が痛い。腰痛というやつ。あぁ、そのままだ。
これではいかん、というので朝晩必ず腕立て伏せと腹筋をするようにした。していると書けないのは始めてから間もないから。
それで、ファイトなのだ。
こんな所に書いてしまったからには続けなければならない。。。。

大南公園西通:武蔵村山的情景 



この通りを抜けて七小・四中への道との十字路を越えてさらに進むとプリンスの森。


火曜日, 8月 17, 2004

雨の武蔵村山 



雨は全てを包み込む

雨は全てを流し去る

心のシミも

消したい過去も

だから
大切にしまっておきたい過去があるなら

そっと
そっと傘を優しく広げよう


汐留のシンデレラ 



誰でも、ここではシンデレラ。


ソノウチ考エテミヨウ 

毎日、こう日記とも感想とも区別の付かないことを書き綴っている。日記自体は遥か昔、小学生低学年から書き続けている。紆余曲折を経て今も曲り形(なり)にも続いている。
紆余曲折というのはきっちりと続けてはいないという意味。
過去を忘れてしまいたい。大袈裟に言うと過去を葬ってしまいたいと考えた時期も少しは、人並みにあった訳で、そういう時期には直前に書いていた日記なんかは破ってしまっていたりする。
それ以外は学習ノートのようなものに書いたものがあることになる。でも、所詮は幼き頃の日記。読み返してみると実に実に取るに足らない内容のオンパレード。
初恋のことなんかもうボロボロ。自分の人生に決定的な影響を及ぼしているのは、おそらく大学時代でも就職した時でもない。ましてや高校時代でもないように思っている。
これは、日記を読み返しての話だけれど。
決定的なんて言うと、高校生になる前に自分の就きたい職業などを決めていたのかというように受け取られる。
けれど、そういう意味じゃぁない。
そういう意味なら、何も分かっていなかっただろう。もちろん、今でも世間の何たるかとか世の中が実際はどう動いているのかとか、実際に動かしている人から見ると何も分かっちゃいないのだろう。
そういう意味じゃなくて、何となく、あぁ、自分はこういう具合に生きていくんだろうな。とかいうことが分かり始めたという意味。
その時から長い長い月日が経ったけど自分を形造っている基本的なものは全く変わっていないように思っている。
何を書こうとしているんだろう?
そうそう、日記は下書きはしないし、文章を後で推敲するなんてこともしない。
このブログも、思いつくままを日記のように書きなぐっているので、筋が違っていたり起承転結がなっていなかったり。でも、日記だしと。
後で読み直してみて、(読み直したりなんかほとんどしないのだけど)誤字なんかは直したりはする。
そのくらい。
過去の日記もブログ化したら面白いかなとは思う。
そのうち考えてみよう。。。。。

汐留の光景 



もうすぐお昼だけど人はまばら。

観光客も今日は少ない。


機械と人の変換ミス 

財団法人日本漢字能力検定協会が一般から募集した漢字の変換ミスの例をネットで公開している。
変"漢"ミスコンテストと銘打った収集例の中には、
横溝正史(1902/5/24?1981/12/28)の『犬神家の一族』が『犬が三毛の一族』となるケースがトップで紹介されている。
これは結構面白い。
ちなみに、今はパソコンに向っているのだけれど、確かに「犬神家(いぬがみけ)」と入力しようと「犬が三毛」となる。う?ん、再現性があるわけだ。
こうなると、どの日本語変換(FEP)ソフトでもそうなのかどうなのか試して見たくなる。
まぁ、これは時間を見つけて試して見ることにしよう。
ちなみに今使っているのはマイクロソフトのIME2000。
私のパソコンだと、「犬神(いぬがみ)」と入力して変換しても「犬が身」となる。なかなかシュールだと感じるのは私だけの慣性なのか?
三毛の犬、それはひょっとすると犬のように見えるけれども猫であって、そういう犬のような猫を飼っている一族がいる。これだけでも、ミステリーだ。
はたまた、私のパソコンのように「犬が身毛の一族」となるとさらにシュール度が増す。これはひょっとすると、「犬が身、毛の一族」であって「犬の身の上」とかなり毛深い「毛の一族」の話なのかもしれない。
その他にも、『根気よく待ったかいがあった』が『婚期よく待ったかいがあった』とか『誤りの無いようにしなさい』が『誤りの内容にしなさい』なんてあったなどと聞くと思わずくすりとする。
で、これまた自分のパソコンで再現してみると、『根気よく待った』は『今期良く待った』に。じゃぁ、前期はどうだったの?とパソコンに聞いても仕方がない。
これって、口に出して発音したのを普通に耳にしても間違える可能性があるのかもしれない。なんて思ったりする。
日本語というのは漢字とひらがなとカタカナで文章を表現している。これが、ひらがなだけとかカタカナだけだったらどうなるか。
意味を読み取るのが難しくなるのではないのか。
梅棹忠夫氏が『日本語の将来』の中で、「漢字かなまじり」表記では、国際社会に対応できないとして「ローマ字表記」を提案している。こうした主張自体は決して新しいものではない。明治以来ある。
で、何が言いたいのかというと、この本の中で当然、上のような同音異義語に基づく変換ミス、この場合はパソコンではなくて人間がミスることについても触れられている。
結論は同音異義語を減らせば良いではないかというもの。
考えさせられる。
そう、梅棹忠夫氏の主張は日本語そのものを改造しようとも受け取れる点で過激と言える。
などと考えながら、今日も一日が始まる。

公園西バス停:武蔵村山的情景 



市内巡回のシャトルバスの停留所。

大南公園の西にある。

月曜日, 8月 16, 2004

仙台四郎が映画化へ 

以前、松島に行った時に近くの塩釜でサメの刺身を食した。ではなくて、その松島の観光店にはダルマや招き猫ではなくて、「仙台四郎」の人形が置いてあった。
それまでは、全く「仙台四郎」のことは知らなかったので、お店の人にあれこれと尋ねたり、これまたどこにでも置いてあった「仙台四郎」に関する簡単なパンフレットに目を通したことを覚えている。
その「仙台四郎」が『四郎伝、伝』として2005年夏に映画になるという。
「仙台四郎」は明治時代初期に実在した知的障害者。四郎の人柄が良かったことと、四郎が立ち寄る店は繁盛した。逆に後に繁盛しなかった店には、どうやっても四郎は足を向けなかったというので、「福の神・仙台四郎」として神様扱いを受けた人物。
なんと微笑ましいエピソード。
そういえば、かつて日本には障害者を表現は適切ではないのかもしれないけれども、この世以外のところからやってきた神様の使いというように考えることがあったということを聞いたことがある。

ファーレ立川のアート 



1994年に設置されたファーレ立川内のパブリックアート。

村山の隣街、立川の文化都市としての第一歩がここから始まった。

ただ今、造成中:武蔵村山的情景 



ついこの間まで畑だったところ。

思えば、あれが最後の収穫だったのか。

仙台四郎が映画化へ 

以前、松島に行った時に近くの塩釜でサメの刺身を食した。ではなくて、その松島の観光店にはダルマや招き猫ではなくて、「仙台四郎」の人形が置いてあった。
それまでは、全く「仙台四郎」のことは知らなかったので、お店の人にあれこれと尋ねたり、これまたどこにでも置いてあった「仙台四郎」に関する簡単なパンフレットに目を通したことを覚えている。
その「仙台四郎」が『四郎伝、伝』として2005年夏に映画になるという。
「仙台四郎」は明治時代初期に実在した知的障害者。四郎の人柄が良かったことと、四郎が立ち寄る店は繁盛した。逆に後に繁盛しなかった店には、どうやっても四郎は足を向けなかったというので、「福の神・仙台四郎」として神様扱いを受けた人物。
なんと微笑ましいエピソード。
そういえば、かつて日本には障害者を表現は適切ではないのかもしれないけれども、この世以外のところからやってきた神様の使いというように考えることがあったということを聞いたことがある。

血液型って 

血液型による性格の分類とか占いとかを信じている人は結構いる。
そんなもの信じてはいないよと、星座占いと同じように否定する人も、ここ一番という決断の場面に遭遇したりすると、ちょっとだけ頼ってしまう。
それが現実というもの。
他人が思い悩んで血液型占いにすがっているのを目にすると、そんなものに頼るなんてと思う人が多いのに。
それを否定はしない。
科学的な、例えば心理学などが、そうした人生のここぞという場面での決断に指針を与えてくれるならば問題はない。血液型じゃなくて心理学を信じなさいと堂々と言えるだろう。しかし、心理学は学問であって占いや宗教とは違うので、血液型占いが与えるようなものを必要としている人に対して救いの手を差し伸べるということは期待出来ない。
それでも、血液型「学」と本当の学問である心理学とは接する領域を持ってしまっているので、論争が巻き起こることになる。

『私立幼稚園九州地区の教師研修大会で「血液型保育」推奨』という琉球新報の8月6日の記事で紹介された、私立幼稚園連合会九州地区会の第20回教師研修大会沖縄大会での教育評論家・阿部進氏の講演が心理学者の非難を受けている。
これが、もっと私的な会合での講演であれば「お話し」として、非難を浴びるということは無かったのかもしれない。ところが、この会合には文部科学省幼児教育課の蒲原基道課長も参加していたというのが心理学の立場からの反発を買った。
そう、これでは、文部科学省が意図していなかったとしても、文部科学省が血液型教育を黙認しているかの如く受け取られかねない。
もちろん、そうではないだろう。
この血液型講演で阿部進氏は
『教室内で自由に座らせると、B型の子は「先生の前に」、A型の子は「窓際や廊下など端の方に」、O型は「真ん中で群れになって」、AB型は「一番後ろ」など血液型により顕著な違い』
があり、この違いに着目して教育をというような趣旨のことを述べたらしい。

これに対して、こうした俗説を正すためにも
『阿部氏を攻めることよりも,まともな実験による反論が必要』
とか、そうは言っても
『まともな実験による反論といっても、「追試をしたが血液型による有意差はありませんでした」というだけではあまり説得力は無い』
としつつ、
『純粋に科学的レベルで血液型特有の行動傾向が認められようと、認められまいと、 とにかく、実用に耐えうるような顕著な差でなければ、日常生活行動の予測や、適性や相性の診断には使えない。そんな不確かな道具は、エラーを増やし差別や偏見を助長するだけだ。』(*1)
と至極常識的な反応をしている。

血液型「学」は科学ではなく、科学である心理学とは土俵が違う。ただ、重なるというか接する場面、上のようなケースでは重なってしまう訳で、そうした場合には科学たる心理学がそれこそ科学の力を発揮すべきだろう。
重ならないところ、血液型占いのようなところは、いわば信仰であり宗教のようなものだから、科学である心理学が立ち入る領域ではないと思う。

実は、一般の人は、そうした区分は百も承知で、血液型○○を見ているわけだから、心理学者が心配するほどのことはないのかもしれない。
ないのかもしれないのだけれど、先行きが見通せないご時世だからかテレビでも血液型「学」は取り上げられているし、仮に文部科学省のお墨付きが得られたんだというような解釈がされて教育現場に浸透するようなことにでもなると別の問題となってきてしまう(*2)。

*1:岡山大学文学部心理学教室 長谷川芳典氏による論考
*2:優生学の歴史

スイマーに水掻きがあるならば 

15日も過ぎたし、そろそろ東京に人も戻ってくるかな。と思っていたけど、どうやら本当に今年は15日が中途半端に日曜日だったこともあってか分散休暇のようで、まだ空いている。
こういう空いている状況で仕事をするというのは、やりやすいなぁと朝からやる気。
ところがどうして、今日は月曜日なのに朝から会議。すっかり失念していた。会議があるということはオボロゲナガラ認識していた。でも朝いちだったなんて。
月曜日の、しかも休暇モードの中での朝。
これは、もう、私としては大人しく席に座ってじっくりと人の話を聞くなんていう状況からは最も対極にあるといっていい。
これが、何かを決めるというような、そして時間を区切って行うような類のものなら良かったろう。僅かながらでも脳ミソにエンジンがかかる可能性が残されているから。
そうは問屋が卸さないというのが世の常というもの。
「これから何をすべきか」
という議論を
「今までの路線で良いよね」
という暗黙のコンセンサスの下で
「それでも、今までのやり方だといけないから会議するんだよね」
という方向で行うものだから初めから迷宮のラビリンス。
結論はないわけで、それなら時間を決めれば良いものだけど、そういった不安は30分で解消されるわけではない。つまり、皆が持っている心の奥底の不安を炙り出すことなく再確認し合うという、そういう場。
だったら、
「このままじゃ良くないことは分かっているから、こうしましょう」
なんて、物知り顔で新しい提案をしようものなら大変なことになる。
誰もそういうことを望んで会議の場に座っているのではなくて、反対のことを望んで座っているということを十分に空気で感じなければいけない。
空気がさっぱりとした澱みをもってくる。いやいや、最初から澱んでいるのだけれど、各自の澱みを皆で確認しあうことで、心はさっぱりとしてくる。
などと考えていると、いろいろと他のことが気になってくる。
そういえば、北島康介が競泳男子100メートル平泳ぎで金メダルをとったなぁとか。
JOCのオリンピック歴代日本代表選手全記録によると競泳の男子100メートルで初めて金をとったのは、第10回ロサンゼルス大会(1932)での宮崎康二選手という人だったんだとか。
そうそう、水泳の選手の手の指と指との間には水かきのようなものがあるって、ソウル五輪で金メダルを獲得した鈴木大地選手が言っていたというのをどこかで聞いたなぁ。とか、頭の中は完全に別モードに染まる。
水泳の選手の指に水かきがある、そのものではないとしても近いものがあるとすると、ひょっとすると、サラリーマン生活うん十年という人の首にはネクタイくびれでもあるのではないか。きっと、そうに違いないと正面に座っている同僚の首を見てみる。
おっと、これは女性だった。女性はネクタイはしないからネクタイくびれはないはずだ。スカーフはするからスカーフくびれがあるかとも思ったが、それでは本論から逸れてしまう。真横をさり気無く確認する。やはり、ありそうではあるものの、何せYシャツを着ているので分かりにくい。しかも年齢的にまだネクタイくびれが出来るほど年季が入っているようには思えない。
そういう意味でいうと。。。。
おっと、会議の最中だった。どこまで進んだんだろうと耳をぴんと立ててみる。
なんだ、デジャブーか壊れたウォークマンのように同じことを繰り返しているじゃないか。
そうすると、ネクタイくびれの有無を確かめなければならない。
結局のところ、この会議の時間中にネクタイくびれの存在を確認するまでには至らなかったが、どうも気になって仕方がない。

大南通り:武蔵村山的情景 



大南を東西に貫くメインストリート。この通り西に大南の台所さえきがある。東には老舗のスーパー丸正があった。
そうそう、写真の端のマンションに四中のミウラ先生が住んでいたっけ。
懐かしい通り。

日曜日, 8月 15, 2004

断層:武蔵村山的情景 



右は10年以上前からある住宅街。
左は昨年まで駐車場、それ以前は子供の背丈ほどもある草が生い茂る地だったところに出来た南欧風住宅街。
地層のように時の証人となっている。

立川警察署 



砂川と立川を一直線に結ぶ「南北道路」の周辺は大震災時には災害基地になる。そのために、いくつかの公共施設が立ち並んでいる。
立川警察署も、その一つ。

大南図書館:武蔵村山的情景 



雨上がりを見計らって

知識を求め
足を伸ばす

司書は暗闇を照らし導く女神アテナ・パルテノス

あるいは魅惑のアフロディテ

誘う知識の部屋はエルギン・マーブル

雨の降る日に 



何を思うだろう

何を思い起こすだろう

誰を想うだろう

誰が覚えているだろう

雨の降る日に

路の濡れる日に

雨の日の彼女 

雨の日の彼女はカンガルー・ファイティング・ポーズ

左手にバッグを抱え

右手に傘をぶら下げて

両手のコブシをぎゅっと前に突き出してカンガルー・ファイティング・ポーズ

誰が相手なのか 何から身を守ろうというのか

地下道を早足で歩く彼女はカンガルー・ファイティング・ポーズ

近寄ってはいけない

迂闊に話掛けても危険な雰囲気 

危ない最高レベルの警告サイレンが鳴り響く

彼女の前を横切ってはいけない

並んで歩くなんてもってのほか

警告サイレンはゴングに変わる

道は途切れて切り取られて四角いリングが立ち上がる

それこそ彼女の思うがまま

ハイヒールが鋭い牙となって襲いかかる

雨の日の彼女はカンガルー・ファイティング・ポーズ

可愛い顔に似合わず野生の本能を剥き出しにして

早足で歩く彼女は雨の日の彼女はカンガルー・ファイティング・ポーズ

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