土曜日, 10月 09, 2004

吉野探訪記 

2004-1009-1305.jpg

後で整理する前に備忘メモ。
新幹線が遅れたために、京都からは特急ではなく急行を乗り継いで橿原神宮経由で吉野入り。
金峯山寺吉水神社勝手神社、濃霧の中を吉野水分神社、桜本坊、竹林院、如意輪寺を巡る。

[横川(よかわ)覚範の首塚]
上千本の中ほどにある。ここまで、車道とは別に遊歩道がある。しかし、私が足を運んだ時は草が茂っていたのと台風の雨のために泥濘行軍。
少々、疲れて、この辺りで休憩。
源 義経は吉水院(吉水神社)に身を隠したものの金峰山衆徒の与力を得ること叶わず、武蔵坊弁慶、佐藤忠信、伊勢三郎、常陸坊海尊、鷲尾七郎、片岡八郎らとともに山中の水分神社まで逃れた。
しかし、横川の覚範が追捕の兵を繰り出し、首塚の背後の中院谷で佐藤忠信が戦火を交え、丁度、この辺りで覚範を討ち取って源 義経を逃した。
『義経記』によると、覚範の首はこの場所に埋葬されたという。




水分神社に至る途中、上千本の覚範首塚近くの神社。

縁起の良い駅 

2004-1009-1615.jpg

近鉄吉野線の駅。
福神、通過するだけで良いことがありそう。


蔵王堂御開帳 

2004-1009-1457.jpg

次に拝観出来るのは60年後。
三世の権現としばし語らう。


雨の吉野 

2004-1009-1235.jpg

新幹線が遅れたので、およそ1時間遅れで到着。こちらは意外に雨が強くない。それでも、近鉄では台風接近のために運転中止の場合があるというアナウンスが繰り返されていた。


新幹線、機能停止 

2004-1009-0622.jpg

台風22号の影響で掛川から先で東海道新幹線は運転を見合わせとのこと。
旅行を取やめてほしい旨のアナウンスしきり。とはいっても、払戻しが出来るのは新幹線だけ。
運行情報を聞きながら、取りあえず駅にて待機。

金曜日, 10月 08, 2004

[美]国吉康雄(1889-1953年) 

国吉康雄(1889-1953年)は、17歳で渡米し、生活苦にもめげずに画家となる夢を棄てず、1916年に33歳でアート・スチューデンツ・リーグに入学し芸術家としての才能を磨き、やがて1940年代には"米国人"画家としての地位を確立するに至った画家。
当時の米国は日本人排斥運動などが巻き起こっていた時代。日本と米国が戦火を交えた時代でもあった。そうした中で敢えて日系人社会のあったロサンゼルスを離れてニューヨークに移って画家となる夢を実現させた軌跡には励ましを与えられる。

国吉康雄、「カフェ」

なお、国吉康雄は岡山出身だが、岡山県は、備中国赤浜(現、総社市)生まれの雪舟(応永27[1420]-永正3[1506])、岡山池田藩支藩鴨方藩出身の浦上玉堂(兵右衛門君輔、延享2[1745]-文政3[1820]年)、坂田一男(明治22[1889]-昭和31[1956]年)、西江原村(現、井原市)に生まれた平櫛田中(ひらぐしでんちゅう:田中倬太郎、明治5[1872]-昭和54[1979])と多くの芸術家を輩出している。

余裕あれば憂いなし 

2004-1008-0656.jpg

今を生きよう
昨日につらいことがあったなら
今を楽しもう
明日に厳しさが待ち構えているのなら

--高田馬場にて


日本にも熱い時代があった 

日本近代史上最大と言われる民衆蜂起「秩父困民党事件」を題材にし緒形直人、藤谷美紀、杉本哲太が出演する映画『草の乱』と多摩地方は八王子の谷野村の戸長、須長漣造が決起した「武相困民党事件」を題材にした阿部昭三氏による劇『地鳴り』という作品が9日から公開される。
秩父困民党事件は明治14(1881)年から始まる松方正義大蔵卿によるデフレ政策に喘ぐ農民達の声に押されての決起。この民衆蜂起が警察のみならず軍隊の出動で壊滅した後に多摩地方で武相困民党の結成される。武相困民党は武装蜂起ではなく穏便な方法によって政府に多摩住民の窮状を訴えようとしたものの解散に追い込まれたという(色川大吉『困民党と自由党』(揺籃社 1984) )。
両事件は明治17(1884)年に起きており、三条実美をしてフランス革命前夜を連想させる雰囲気が関東一円に広がっていたという。
ちなみに、この明治14(1881)年に自由党も解散し、穏健派は星亨のもとに集まる。そして、この星亨こそが明治26(1893)年に衆議院議長として三多摩の神奈川県から東京府への移管を成立させることになる。


赤坂池:武蔵村山的情景 

2004-0911-1129.jpg

晴れは午前中までで午後からは雨とのこと。写真は赤坂池。
晴れた日にはザリガニ釣りを楽しんだもの。その頃は確かフェンスは無かったように記憶している。しかし、記憶はウソをつくというから記憶違いかも。


君の選ぶ道 

2004-0918-1039.jpg

君が明日に悩み
何も手に付かなくなって
今日を無駄にしてしまいそうなら
もう一度思い出してほしい
君の歩いている道を
君が歩き始めた時を
その道は君が選ぶ道で
道は無数にあることを
目の前に沢山の道のあることを


[美]仏像の種類 

仏教は6世紀半ばに日本に公式に伝わる。
この時以降、多くの仏像が制作された。その種類は大きく分けて、如来、菩薩、明王、天部がある。
仏像群は当初、奈良を中心に造られ、現在でも奈良の地に残っている。明治時代、その芸術性の高さに米国の美術史家フェノロサが驚嘆したというのは有名な話。


木曜日, 10月 07, 2004

竹、竹、伸びる 

2004-1007-0548.jpg

すわ、昨夜の地震で一斉に伸びたか。と、思わせるほどの伸びッぷり。
萩原朔太郎ではないが「竹、竹、竹、竹、竹が生え」と表現したくなる。
雨後の筍とは、まさに、この状態。

--立川は上砂にて


湖南処理場前:武蔵村山的情景 

2004-0905-1053.jpg

写真は大南通りを湖南処理場前から眺めたもの。
第2次大戦時、この辺り一帯は旧陸軍の航空学校があった。戦後、荒れ地として放置された後に再開発。
今ではすっかり住宅街となっている。


水曜日, 10月 06, 2004

東京タワー 

2004-1006-0743.jpg

雲ひとつない背景に東京タワーはよく映える。
実は長いこと東京で暮らしていて(武蔵村山も一応は東京都)、一回も東京のシンボルである東京タワーに登ったことがない。
下にあるカフェには入ったことはあるのだけ


濡れる柿 

2004-1006-0540.jpg朝の一コマ。庭にある柿。今年は昨年と比べると少なめ。
柿は、どちらかというと、あまり食べないほう。けれど、この濡れている柿は食欲をそそる。

学園:武蔵村山的情景 

2004-0919-2038.jpg

空がこんなに高かったなんて

空気がこんなに澄んでいたなんて

雨あがりでなければ気付かなかった

いつもいつも気付かないままだった


火曜日, 10月 05, 2004

[美]琳派 

琳派というのは面白い。派とはいってもがっちりとした師弟関係で相伝される関係ではない。桃山時代後期の本阿弥光悦(1558-1637)、俵屋宗達から江戸中期の尾形光琳(1658-1716)・乾山(1663-1743)兄弟、光琳の弟子の渡辺始興(1683-1755)、に憧れた中村芳中(-1819)を経て、江戸後期の俵屋宗理(1760-1849)、酒井抱一(1761-1828)、抱一の弟子の鈴木其一(1796-1858)と流れる琳派。たとえ直接の師弟関係になくとも、先人の画風を尊敬し自分の作品に活かしていく。そのために、あたかも流派として相伝しているかのようになっている。

中村芳中、「扇面貼付屏風芥子図」

尾形光琳、「扇面貼付屏風梅図」

尾形光琳、「画帖二帖の内桔梗図」


ゆりの花、君は華 

2004-0919-1226.jpg

雨が降る
強く降る中
君が手を振る
僕に笑顔で
しっかり手を振る
濡れてなお咲く
ゆりの花のよに


月曜日, 10月 04, 2004

千年神社 

2004-1004-1519.jpg

所用のため川崎の新城に。地図を見ると近くに千年(ちとせ)なる縁起の良さそうな地名。しかも、同じ名前の神社があるので早速に足を伸ばす。御嶽、春日、神明社をまとめたもので昔からあった訳ではないとのこと。

日曜日, 10月 03, 2004

ダイヤモンドシティがやって来る 



日産村山工場の跡地に三菱商事とイオンのダイヤモンドシティという大規模ショッピングセンターが来るということを日経新聞で初めて知る。
発表は9月24日。
東京のチベット、武蔵村山に明るい話題。


[美]ブラック「使者」他 

一日中、雨のため家篭り。
テレビでイチロー選手の快挙を耳にしながら読書。
凡人は晴耕雨読の日々を淡々と送るのみとする。
もっとも、私の場合、晴耕雨読ではなくて晴「歩」雨読か。
日本全国あちこちくまなく歩いてみたいが時間はかかりそう。

少しだけ『美と歴史』を更新。
ブラック「使者」
ブラックはピカソと共にキュビスムの創始者の一人。
ド・ラ・フレネ「7月14日(パリ祭)」
セザンヌ「カルタ遊びをする人々」
フランス美術切手シリーズ(1961)

This page is powered by Blogger. Isn't yours?