土曜日, 10月 23, 2004
鬼王神社(新宿_都)
東京都には平 将門に纏わる場所が幾つかある。
多摩地方の青梅しかり、京都から首が飛来したという大手町の将門塚しかり、神田明神しかり。
そして、この鬼王神社も将門ゆかりの伝説を持つ。
社伝によると、承応2(1653)年に大久保村の聖地とされてきた地に稲荷社が氏神として建立。神社としての体裁を整えたのはこの時というが、古来から聖地とされてきたという伝承があることは注目すべきだろう。
宝暦2(1752)年に月夜見命、大物主命、天手力男命からなる鬼王権現を大久保村の田中清衛門が熊野から勧請したという。しかし、この鬼王権現という名は熊野には見ることが出来ない。むしろ、鬼王は平 将門の幼名である外部鬼王に由来し、神社成立以前から聖地とされてきた鬼王神社の地は平 将門に所縁の地であるとの伝説のほうが魅力的と言える。
果たして、天慶の乱を起こし親皇を名乗り東国独立を目指し大和朝廷軍の藤原秀郷に討たれた平 将門(903-940)の怨霊を鎮めるためか封じ込めるための神社か。
[鬼王神社水鉢]
文政年間(1818-1829)頃に制作された珍しい様式の水鉢。
何と、鬼が頭上に水鉢を抱えている。
この水鉢は、もともとは加賀美某の屋敷にあったものという。この水鉢から毎夜、水を浴びる音がしたので家臣が斬り付けると病厄が家人を襲ったので鬼王神社に寄進されたとされている(天保4[1833]年)。
写真で向かって右側の肩に確かに刃傷のようなものがある。
夫婦木神社(大久保_都)
新宿区の歴史案内図には出ていなかったけど、縁起の良さそうな名前につられて大久保通りから路地に入る。
昔は詣でる人も多かったかもしれない。今は鳥居が無ければ民家と間違えるような趣き。
皆中稲荷(百人町_都)
天気が良いと気持ちも良い。今日は大久保を散歩。これから集まりがあるので新宿まで出て来た。
ここは徳川幕府ゆかりの場所。その門前の大久保通りが今はコリアンタウンとなっている。美味しい食材ならここ。
金曜日, 10月 22, 2004
里山風景 at 武蔵村山
君と歩んだこの路の
肩を並べた坂道を
勢いに任せて下る一時(ひととき)に
触れる手と手は
スローモーション
木曜日, 10月 21, 2004
諏訪神社(高田馬場_都)
早稲田大学の理工学部のすぐ北。帰りに立寄る。治安の問題だろうか、ここは夜になると門が閉まって境内に立ち入ることは叶わない。
戸塚、大久保、百人町の総鎮守。
上の写真では暗くて分かりにくいので再度。
少し休もう
走ることではそこにある幸せは写らないよ
歩こうゆっくりとゆったりと
また走るため?
いいや 考えるのはよそう もう十分じゃない?
何も考えずにただ歩こう
ゆっくりとゆったりと
今まで見えなかったものが見えるかもしれない
何も分からないかもわからない
目に浮かぶ景色は変わらないかもしれない
それでも歩こう
ゆっくりとゆったりと
君の春はここにあるのだから
[西武拝島線武蔵砂川駅近くを砂川の見影橋から望む]
--和さん、今日は有難う。
走ることではそこにある幸せは写らないよ
歩こうゆっくりとゆったりと
また走るため?
いいや 考えるのはよそう もう十分じゃない?
何も考えずにただ歩こう
ゆっくりとゆったりと
今まで見えなかったものが見えるかもしれない
何も分からないかもわからない
目に浮かぶ景色は変わらないかもしれない
それでも歩こう
ゆっくりとゆったりと
君の春はここにあるのだから
[西武拝島線武蔵砂川駅近くを砂川の見影橋から望む]
--和さん、今日は有難う。
まだ雨
昨日ほどではないけれども汐留では雨。風も強い。
村山では降っていなかったから、都心でも直に止むだろう。
同じ東京都とは言っても天候が違うのは毎度のこと。
***K
武蔵村山的情景
荒れ狂う雨ひ水は流れ落ち
龍が暴れるように流れ落ち
池を小川を充ち満たせ
土に滲み 底に浸み 大きな大地に呑み込まれ
今の生命(いのち)の 芽吹く生命(いのち)の糧となる
--トトロの森にて
水曜日, 10月 20, 2004
台風接近
ヤツがやって来る
天を切り裂き
空気を折り畳み
雷雲を引き連れ
再びヤツが戻って来る
赤坂トンネル:武蔵村山的情景
明るい色
闇を包む色
鈍色
全ての色を溶かし込み
混沌として続くトンネル
その輝きは月の明かりにも似て
火曜日, 10月 19, 2004
洲崎神社(横浜_武蔵)
横浜駅からすぐ近くにある古社。
というより、京浜急行の神奈川駅からのほうが近い。でも、今回はそれを知らなかったので横浜の駅からゆるりと歩いた。
この神社は、建久2(1191)年に源頼朝が安房国の安房神社を勧請したのが始まり。
かつては鎌倉幕府直轄の神社として隆盛を誇ったという。
[美]歌川広重、東海道五拾三次之内
歌川広重(1797-1858)は歌川豊広の弟子。しかし、その画風に狩野派や南画を取り入れ、「東海道五拾三次之内」で堅固な構築力と抒情性を実現したとして知られる。
今回のデザインは平木浮世絵美術館所蔵の保永版による。平塚は神奈川県、四日市は三重県、土山は滋賀県。
「東海道五拾三次(保永堂版)、土山」 、「東海道五拾三次(保永堂版)、平塚」、「東海道五拾三次(保永堂版)、四日市」
今回のデザインは平木浮世絵美術館所蔵の保永版による。平塚は神奈川県、四日市は三重県、土山は滋賀県。
「東海道五拾三次(保永堂版)、土山」 、「東海道五拾三次(保永堂版)、平塚」、「東海道五拾三次(保永堂版)、四日市」
また台風
また台風がやって来る。
超大型台風23号。
この台風は、国際名称では「トカゲ」。
台風の名称は全部で140個。
一連の名称は国連の特別組織である世界気象機関の下部組織である WMO/ESCAP Typhoon Committeeで定められたもの。
具体的にどんな名前かということは気象庁のページで見ることが出来る。
今回の23号は4列目にある。
もう出現している24号はノックテン(Nock-ten)でトカゲの下にある。
私が吉野に向った9日に新幹線を足止めさせた台風22号はマーゴン(MA-ON)。トカゲの上の行にある。
この140個の名称は一巡すると最初の名前に戻る。
十干十二支のように。
ちなみに、形が大きいものは「大形」を、規格や規模が大きいものは「大型」を使うというとのこと。というより、形が大きいだけのものには「大形」を、形が大きくてかつ規格や規模も大きいものと形は大きくはないけれども規格や規模が大きなものは「大型」を使うというべきかもしれません。
台風の場合は「大形」ではなく「大型」。
野山北:武蔵村山的情景
焼き付けておこう
今この時は再びは訪れないから
目に映る緑はキャンバスに落とすと一人歩きする
経験は記憶に定まるとスクリーンで観る映画になる
止めることの出来ない変容
造られる記憶
くず、黒蜜かけ
吉野へ行った折に買った「くず」。
乾燥したものを買ってきたので、店の人に教えて貰った通りに数時間うるかしてから茹でる。
非常にこしの強い弾力性は初体験。
月曜日, 10月 18, 2004
[美]ピカソ
Pablo Ruiz Picasso(1881-1973)
マチスとともに20世紀を代表する画家。
とはいえ、マチスとは対照的に奔放な画風と絵画に留まらない創造性を発揮したことに特徴。
ロートレックの影響を受けた「青の時代」を経て「ばらの時代」、そして1904年頃からはブラックらとともにキュビズムの世界を開拓していく。キュビズムが極限まで達すると、1911年以降は総合的キュビズムという方向性を編み出していったことで知られる。但し、そこに留まることなく第一次世界大戦後には古典主義的な色彩を加味したキュビズムとでも言うべき絵画の制作を行った。
■美と歴史博物館を更新。
「オレンジを持つパロマ(1951)」、「3歳のパロマ(1952)」、「遊んでいるクロードとパロマ(1950)」、「絵を描くクロード(1951)」
マチスとともに20世紀を代表する画家。
とはいえ、マチスとは対照的に奔放な画風と絵画に留まらない創造性を発揮したことに特徴。
ロートレックの影響を受けた「青の時代」を経て「ばらの時代」、そして1904年頃からはブラックらとともにキュビズムの世界を開拓していく。キュビズムが極限まで達すると、1911年以降は総合的キュビズムという方向性を編み出していったことで知られる。但し、そこに留まることなく第一次世界大戦後には古典主義的な色彩を加味したキュビズムとでも言うべき絵画の制作を行った。
■美と歴史博物館を更新。
「オレンジを持つパロマ(1951)」、「3歳のパロマ(1952)」、「遊んでいるクロードとパロマ(1950)」、「絵を描くクロード(1951)」
すっかり秋
雨ばかりで、あまり実感することがなかったけれど、すっかり秋の気配。
朝晩は随分と寒く一枚上着が必要だし、雲の形も変わった。
でも、センターラインのような雲は初めて。
横田トンネル:武蔵村山的情景
君に伝えたいことがある
あの時、最後まで話すことが出来なかったこと
二人で歩いた、この路で
君がした質問の
僕が曖昧にした答えの続きを
日曜日, 10月 17, 2004
[美]ルーベンス
「美と歴史博物館」更新
■Rubens,「The Meeting at Lyons」、「The Marriage」、「The Birth of Louis XIII」
屋島、行ってみたいですね。
冬でも暖かいのでしょうか。
■Rubens,「The Meeting at Lyons」、「The Marriage」、「The Birth of Louis XIII」
屋島、行ってみたいですね。
冬でも暖かいのでしょうか。
虎狛神社(調布_武蔵)
深大寺の開山で高句麗の血を引く満功上人の祖父を祭神とする古刹。創建は飛鳥時代という。
この辺りは高麗の里と並んで高句麗ゆかりの史跡が多い。
青渭神社(調布_武蔵)
深大寺村の総鎮守。創建は先史時代に遡り、水神を崇めたのが始まりという。
今日は深大寺門前まで神輿が繰り出している。
深大寺(調布_武蔵)
高句麗帰化人の福満と地元の娘との子である満功上人によって天平五年に創建された古刹。当初は法相宗、現在は天台宗。
写真は元三大師こと慈恵大師を祭る元三大師堂。
深大寺温泉
温泉は嫌いではないので、つい。
深大寺と野川に挟まれた場所にある、この温泉、真っ黒なお湯が特長。あとは微妙な匂い。身体に染み入る。
布多天神(調布_武蔵)
延喜式内社。少彦名命と菅原道真を祀る。
当初は多摩川河畔の古天神という場所に鎮座し少彦名命を祀っていたという。多摩地方における多摩川の重要性が窺える。文明年間(1469-87)に多摩川の洪水によって、現在の地に遷座するとともに菅原道真公を合わせて祀るようになる。
この古社は調布という地名の由来となったことでも知られている。
曰く、廣福長者が布多天神社に参篭してお告げを受け、多摩川に晒した布を朝廷に献上。てつくり(調布)と呼ばれることになる。このために周囲がてつくり(調布)の里と呼ばれるようになったのだという。
[日露戦争記念碑]
新撰組局長近藤勇の子、瓊子(たまこ)と勇五郎の一人息子で、日露戦争で戦病死した近藤久太郎の名前が記念碑の裏側に刻まれている。
碑文は甲陽鎮撫隊率いる近藤勇を歓待した上石原宿名主勘六の長男中村克昌の筆による。
[狛犬]
調布市内で最古の狛犬。
境内で開催される布の市の繁栄を祈願して寛政8(1796)年に建立。
行楽日和
さわやかに
伸びやかに
ゆるゆると
そよぐ風
包むひかり
--南北道路にて。
あまりにも透き通る空に誘われて今日はぶらりと散歩路。