日曜日, 4月 17, 2005

回避の手段 

 人類の祖先が二足歩行を始めたのはおよそ400万年前だと考えられている。道具を使い始めたのが約250年前。
二足歩行を始めたことで、両手が解放され自由になる。そのことが人類の祖先が道具を使い始めたことと関係していると思われていた。
それにしては400万年前と250万年前では、少し間隔が空きすぎているというもの。
では、何が二足歩行を始めたことと密接に関係しているのかというと、どうも明確な答えはない。
道具を使わなければならない状況が起こり、それが二足歩行を促したのか。その逆だとしても長い間隔が説明をすっきりとはさせてくれない。
環境の変化、つまり、森がサバンナとなってしまって、樹上生活が出来なくなったことが、二足歩行の引き金を引いたのだという考え方もある。
ところが、人類の祖先達がサバンナへと生活圏を移したのは約170万年前だということが分かっている。
確かに、それよりも以前に人類の祖先達の生活の場であった森は小さくなっていた。
ここに、面白い説がある。ニナ・ジャブロンスキーとジョージ・チャプリンが唱えたもので、人類の祖先は立ち上がることで威嚇や譲歩を表現し、無駄な暴力を避けたのではないか。それが、二足歩行の起源に関係しているのではないのかというもの。
ゴリラやチンパンジーといった類人猿の行動がヒントのもと。森林面積の縮小によって生活の場も小さくなり、群れと群れとの縄張りが非常に近くなった状況では争いも頻発したであろう。
そんな時に、いきなり暴力手段に訴えるのではなく、立ち上がることに伴うジェスチャーによって衝突を避ける。
本当だとすると、非常に面白い。
その後、人類は言葉を獲得し、更なる直接の暴力を回避する手段を手にした。現在の人類と共存していたネアンデルタール人は、言語能力が乏しかったという。話すことが出来なかったわけではない。話すことは出来たが限られた発音しか出来なかったらしい。
その差が、生き延びた現世人類と滅んでしまったネアンデルタール人との差となっているのだろう。

今日、町村外相が中国を訪問して、李肇星外相と釣魚台で会談する。
6日の反日北京デモが16日には上海に飛び火。抗日勝利60周年ということと、日本が国連の常任理事国入りを目指していることが、大規模デモに火を付けた。サンフランシスコの華人団体「グローバル・アライアンス」の呼びかけが発端とも報じられている。もとより詳細は分からない。

様々な主張がある。その主張の表現の形態としてデモがある。
ただ、それが暴力を伴った場合、デモは暴動と化してしまう。デモは許されても暴動は許されない。

人類は、二足歩行を始めて以来、数々の衝突回避の手段を手に入れてきた。
同時に、繰り返してはならないという最悪の事態を繰り返しても来たということも事実。
その事実に向き合いつつも、折角の手段を有効に使うということをいつも忘れないでおきたいと感じている。


<<一言主>>
○1986年のハレー彗星の調査で60%の有機物が含まれていることが確かめられた。

○AIDSはアフリカのミドリ猿が自然宿主だと考えられている。

○ナマケモノの祖先はメガテリウムという大型動物。

○1918年のスペイン風邪の流行時にはウルフ彗星が地球に接近していた。

○現在まで約1000個の彗星が知られている。

○現在、年間約10個の彗星が地球の軌道と交差している。

○1969年のマーチソン隕石はアミノ酸などの有機化合物が初めて確認された隕石。

○スペイン風邪は、スペイン国王アルフォンソ13世が罹患したことから「スペイン風邪」と呼ばれた。

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