水曜日, 4月 27, 2005
遠いところは最先端
日本の南端、父島列島、母島列島、聟島列島、そして硫黄列島を合わせて小笠原という。東京都に属しているが、東京からは南南東へおよそ1,000キロ。
小笠原に人が定住したのはそれほど昔のことではないとされている。加えて、最初に定住したのは日本人ではなく、欧米人とハワイの人々。江戸時代の1830(天保元)年のことであり、定住したのは総勢約20名。
島々を発見したのは、上州館林城主として徳川家康に仕えた小笠原貞頼[参照](1593[文禄2]年)。大阪からの航海の途上で発見したという。残念ながら小笠原貞頼の家系は後に断絶したとされる。時代は下って徳川吉宗の時代に、断絶してしまった小笠原家の旧家臣が、かつての主君貞頼の子孫を探し、彼を立てて小笠原への渡航を許可される。
ところが、彼らは無残にも海の藻屑と消えてしまう。
このような経緯があって、日本人が小笠原に定住したのは、欧米系の人々の定住から32年を経た1862(文久2)年のこと。八丈島からの移住だった。
欧米系住民が日本に組み入れられることを了承したのは1875(明治8)年。その翌年には、明治政府は小笠原が日本の正式な領土であることを宣言するとともに、幕末の混乱期に引き上げ、日本人が居なくなっていた小笠原に再び日本人移民37名を送った。
最初に定住したのが欧米系の人々であるということも、欧米系の人々と日本人がかなりの初期から一緒に住んでいたということにも驚かされる。
まだまた、驚くことがある。
いつか小笠原の地を踏んでみたいと考えているが、その動機の大きな一つとなっていることでもある。
小笠原では英語と日本語の混合した言葉が日常で用いられているという。考えてみれば当たり前なのだが、日本人は日本語のみを話すという固定概念に知らぬ間に縛られてしまっている自分にとっては新鮮な驚き。小笠原の言葉に関する研究に関しては、「小笠原文化に関する研究」が詳しい。小笠原方言と呼んでよいか、それとも、世界各地にある混成言語ピジン・クレオールと同列に位置するものではないのかとも勝手に思いを馳せてしまう。
現在の国際言語は間違いなく英語。そのために、英語を早い時期から教育すべきだという議論を良く耳にする。その一方で、母国語である日本語をきちんと話せないようでは真の国際人ではないという主張もある。更に進めて、日本語を国際的に通用するような努力を少しはすべきではないかという意見がちらほらとあるのも確か。
何事も中庸を以(も)って良しとする日本であるから、日本語をうんと簡略化して日本人以外の人々にも話し易いようにしたピジン・日本語(簡略版日本語)としての役割と日本人にとっての英語入門の機能を小笠原の言葉は秘めているのではないだろうか。
多くの単語を双方で必死に暗記することなく、気軽に、日本語と英語とでコミュニケーションを図ることが出来るならば、世界はうんと広がる。日本人は簡略英語で、英語の分かる外国人は簡略日本語でそれぞれ話す。こうすると、それぞれストレスが少なくて済むような気がする。
九州の五島列島出身の知人によれば、五島列島の古い言葉には半島の単語と考えられるものが残っていたという。もしかすると、対馬とか壱岐、五島列島など昔から朝鮮半島と交流の深かった場所では、現在に至るまでの小笠原と同じような混合された言葉が話されていたのではないだろうか。
そもそも、琉球方言やアイヌ語以外とは明確な繋がりを見出せていない日本語自体も、東西南北様々な言葉が混ざり合って出来たような気がしないこともない。
<<一言主>>
20年も経てば辞書にもなるかもねの一言主。
○風味 [名詞]ふうみ / [1]味わい。主として食べ物に対して使う。また、言外に美味しいという意味合いを含んでいることが多い。[2]風情
○風情 [名詞]ふぜい / おもむきがあること。
「桜も満開となり、春爛漫の風情である」、「それはそれでなかなかの風情ですよ」
○趣き [名詞]おもむ_き / [1]様子 [2]味わい、風味。趣きは対象となるモノから直接に発せられるのではなく周囲の空気から発せられる。 [3]気配 [4]事情。この事情は相手の周辺の気配で知るというところから。
○味覚 [名詞]大きく分類すると甘い、辛い、酸っぱい、苦いの4種類。
○辛い [形]から_い / 塩を舐めた時の感覚。主として、主にナトリウムイオンによって引き起こされ、舌の前側部で感じる。
○酸っぱい [形]すっぱ_い / レモンを口にしたときに感じる感覚。水素イオン濃度にによって舌の側部で感じる。
○甘い [形]あま_い / 砂糖などを口にしたときに感じる感覚。舌の先端部で感じる。
○苦い [形]にが_い / ニコチン、カフェインなどアルカロイドや窒素を含む有機物等によって起こる感覚で舌の奥で感じる。
小笠原に人が定住したのはそれほど昔のことではないとされている。加えて、最初に定住したのは日本人ではなく、欧米人とハワイの人々。江戸時代の1830(天保元)年のことであり、定住したのは総勢約20名。
島々を発見したのは、上州館林城主として徳川家康に仕えた小笠原貞頼[参照](1593[文禄2]年)。大阪からの航海の途上で発見したという。残念ながら小笠原貞頼の家系は後に断絶したとされる。時代は下って徳川吉宗の時代に、断絶してしまった小笠原家の旧家臣が、かつての主君貞頼の子孫を探し、彼を立てて小笠原への渡航を許可される。
ところが、彼らは無残にも海の藻屑と消えてしまう。
このような経緯があって、日本人が小笠原に定住したのは、欧米系の人々の定住から32年を経た1862(文久2)年のこと。八丈島からの移住だった。
欧米系住民が日本に組み入れられることを了承したのは1875(明治8)年。その翌年には、明治政府は小笠原が日本の正式な領土であることを宣言するとともに、幕末の混乱期に引き上げ、日本人が居なくなっていた小笠原に再び日本人移民37名を送った。
最初に定住したのが欧米系の人々であるということも、欧米系の人々と日本人がかなりの初期から一緒に住んでいたということにも驚かされる。
まだまた、驚くことがある。
いつか小笠原の地を踏んでみたいと考えているが、その動機の大きな一つとなっていることでもある。
小笠原では英語と日本語の混合した言葉が日常で用いられているという。考えてみれば当たり前なのだが、日本人は日本語のみを話すという固定概念に知らぬ間に縛られてしまっている自分にとっては新鮮な驚き。小笠原の言葉に関する研究に関しては、「小笠原文化に関する研究」が詳しい。小笠原方言と呼んでよいか、それとも、世界各地にある混成言語ピジン・クレオールと同列に位置するものではないのかとも勝手に思いを馳せてしまう。
現在の国際言語は間違いなく英語。そのために、英語を早い時期から教育すべきだという議論を良く耳にする。その一方で、母国語である日本語をきちんと話せないようでは真の国際人ではないという主張もある。更に進めて、日本語を国際的に通用するような努力を少しはすべきではないかという意見がちらほらとあるのも確か。
何事も中庸を以(も)って良しとする日本であるから、日本語をうんと簡略化して日本人以外の人々にも話し易いようにしたピジン・日本語(簡略版日本語)としての役割と日本人にとっての英語入門の機能を小笠原の言葉は秘めているのではないだろうか。
多くの単語を双方で必死に暗記することなく、気軽に、日本語と英語とでコミュニケーションを図ることが出来るならば、世界はうんと広がる。日本人は簡略英語で、英語の分かる外国人は簡略日本語でそれぞれ話す。こうすると、それぞれストレスが少なくて済むような気がする。
九州の五島列島出身の知人によれば、五島列島の古い言葉には半島の単語と考えられるものが残っていたという。もしかすると、対馬とか壱岐、五島列島など昔から朝鮮半島と交流の深かった場所では、現在に至るまでの小笠原と同じような混合された言葉が話されていたのではないだろうか。
そもそも、琉球方言やアイヌ語以外とは明確な繋がりを見出せていない日本語自体も、東西南北様々な言葉が混ざり合って出来たような気がしないこともない。
<<一言主>>
20年も経てば辞書にもなるかもねの一言主。
○風味 [名詞]ふうみ / [1]味わい。主として食べ物に対して使う。また、言外に美味しいという意味合いを含んでいることが多い。[2]風情
○風情 [名詞]ふぜい / おもむきがあること。
「桜も満開となり、春爛漫の風情である」、「それはそれでなかなかの風情ですよ」
○趣き [名詞]おもむ_き / [1]様子 [2]味わい、風味。趣きは対象となるモノから直接に発せられるのではなく周囲の空気から発せられる。 [3]気配 [4]事情。この事情は相手の周辺の気配で知るというところから。
○味覚 [名詞]大きく分類すると甘い、辛い、酸っぱい、苦いの4種類。
○辛い [形]から_い / 塩を舐めた時の感覚。主として、主にナトリウムイオンによって引き起こされ、舌の前側部で感じる。
○酸っぱい [形]すっぱ_い / レモンを口にしたときに感じる感覚。水素イオン濃度にによって舌の側部で感じる。
○甘い [形]あま_い / 砂糖などを口にしたときに感じる感覚。舌の先端部で感じる。
○苦い [形]にが_い / ニコチン、カフェインなどアルカロイドや窒素を含む有機物等によって起こる感覚で舌の奥で感じる。