木曜日, 4月 28, 2005
ドキドキ度
ゴールデンウィーク前日。楽しいことというのは始まるまでが本当に楽しくて、当日になると楽しさはあっという間に過ぎてしまう。考えてみると前日というのが一番楽しさというかワクワク度のピークなのかも。
小学校の時の遠足の前日とか、中学校の時の修学旅行の前日とか。高校くらいになると、流石(さすが)に運動会や修学旅行の前日に同じ程度のワクワク感を味わうことはなかった。
そういえば、旅行の前日にドキドキしたのも小さい時分がピークで、成長していくに従って段々と胸の高鳴りというのが減ってきた。以前は飛行機に乗る前は非常に緊張した。その後に巻き起こるだろう、自分にとっては大きな出来事に対する過剰な期待感の裏返しとしての緊張。
名古屋大学医学部第一内科の林博史さんが興味深い説を提唱している。
哺乳類の寿命というのは心拍数に反比例するのだという。人間の場合、一生の間に心臓がドキンドキンと脈打つ数、心拍の数はおよそ15億だとされている。人間の場合としたが、生きている間に心臓が脈打つ回数というのはネズミからサル、犬、クジラに至るまで大体同じなのだという。15億という数字だから、15億1000回と15億5000回というような4000回の違いというのも擦(か)れてしまう。そういうことで消え去ってしまう違いというのを考えたとしても、哺乳類ならほぼ同じ心拍数だというのことには自然の不思議さを感じてしまう。ネズミが1億回の心拍で人間が10億回の心拍を一生の内に刻むのだと説明されても、多分、違和感を覚えることはないだろう。
ここからが肝心。
寿命と心拍数の関係は次のようになるというのだ。
寿命(分) = 一生の心拍数 ÷ 1分当りの心拍数
一生の心拍数は、ドキドキしている場合は20億前後。だから、ざっくりとみて、15億から23億くらい。成人の安静時の正常な心拍数は、通常毎分60回から100回。一生の心拍数が20億回で、1分当りの心拍数が60回とすると、
2,000,000,000 ÷ 60 = 33,333,333.3分
分で表示されてもピンとこないので年に直してみる。
33,333,333.3分 ÷ ( 60 × 24 × 365 ) = 63.4年
なるほど。
でも、人の寿命というのは、その人の接する環境に大きく影響されるのではないのか。そういう声も聞こえてきそう。例えば、半世紀前の人と現在の人の寿命が異なっているのは心拍数に違いが出たからということが原因ではなかろうと。
しかし、どうだろう。現在の刺激の溢れている世界と、半世紀前の刺激が今ほどではなかった時代とでは、同じ出来事や同じモノに出くわした時の驚き具合がかなり違ったのではないだろうか。
半世紀前というから分かり難い。子供と時と大人になってからの、旅行前日のドキドキ度を思い起こして比較してみるとよい。
すると、心拍数と寿命の間には反比例の関係があるというのは、一生のドキドキ度一定の法則と言い換えることも出来るのではないか!
うん?
心拍数をドキドキ度とすると、その心拍数は一生の間で一定になるのだから、結局は同じことを別の言い方でしただけ?
人生には誰にでも3度のチャンスがあると言われる場合がある。同じように、ドキドキ度あるいはドキドキ回数は誰でも同じである。つまり、人生の前半でドキドキし過ぎてしまった場合は後半はそれほどドキドキしないとか。そんなことは言えないだろうか。
また、体が大きくなった時のドキドキ度と心拍数の関係と小さい時での関係は違うのではないか。
まだ、ゴールデンウィーク前だというのに、すっかりお休みモードに入ってしまって、要らぬ妄想を巡らせている。
<<一言主>>
○短期記憶 [名詞]たんき_きおく / 一時的に情報を脳に保持すること。
○マジックナンバー [名詞]短期記憶で一度に保持することが出来る数字の羅列のこと。7±2個とされる。
○短期記憶の限界 短期記憶の保持時間は15秒から30秒とされる。
○友愛数 [名詞]ゆうあい_すう / 2つの数の約数の和がお互いの数自身となるような数の組み合わせのこと。220と284は、220が 1、2、4、5、10、11、20、22、44、55、110 を約数とし和が284となる。284は、1、2、4、71、142 を約数として持っていて、その和は220となる。
○数多 [副詞]あまた / 許多とも書く。数が多いこと。昔は少し余る程度の数量を表し、動詞の「余る」「余す」の「あま」と語源を同じにする。転じて、数え切れないほどという意味を持つようになった。
○余る [動ラ五(四)]あま_る / [1]必要以上にあること。「夏場を除くと電気は余る」[2]限度を超え、黙ってやり過ごすことができないこと。「目に余る言動」[3]基準を上回ること。「まだまだカラスは目に余るね。」
○嘉瑞 [名詞]かずい / 幸先の目出度い徴候。「頻降嘉瑞」晁端礼、『黄河清』。
○井上嘉瑞 [固有名詞]いのうえ_よしみつ(1902-56) / 欧文印刷研究家。日本郵船勤務時代にヨーロッパ各地を訪問し数々の活字の収集を行った。後、嘉瑞工房を設立。
○二本松嘉瑞 [固有名詞]にほんまつ_かずい / 松竹大船の『宇宙大怪獣ギララ』、『昆虫大戦争』を撮影した監督。
小学校の時の遠足の前日とか、中学校の時の修学旅行の前日とか。高校くらいになると、流石(さすが)に運動会や修学旅行の前日に同じ程度のワクワク感を味わうことはなかった。
そういえば、旅行の前日にドキドキしたのも小さい時分がピークで、成長していくに従って段々と胸の高鳴りというのが減ってきた。以前は飛行機に乗る前は非常に緊張した。その後に巻き起こるだろう、自分にとっては大きな出来事に対する過剰な期待感の裏返しとしての緊張。
名古屋大学医学部第一内科の林博史さんが興味深い説を提唱している。
哺乳類の寿命というのは心拍数に反比例するのだという。人間の場合、一生の間に心臓がドキンドキンと脈打つ数、心拍の数はおよそ15億だとされている。人間の場合としたが、生きている間に心臓が脈打つ回数というのはネズミからサル、犬、クジラに至るまで大体同じなのだという。15億という数字だから、15億1000回と15億5000回というような4000回の違いというのも擦(か)れてしまう。そういうことで消え去ってしまう違いというのを考えたとしても、哺乳類ならほぼ同じ心拍数だというのことには自然の不思議さを感じてしまう。ネズミが1億回の心拍で人間が10億回の心拍を一生の内に刻むのだと説明されても、多分、違和感を覚えることはないだろう。
ここからが肝心。
寿命と心拍数の関係は次のようになるというのだ。
寿命(分) = 一生の心拍数 ÷ 1分当りの心拍数
一生の心拍数は、ドキドキしている場合は20億前後。だから、ざっくりとみて、15億から23億くらい。成人の安静時の正常な心拍数は、通常毎分60回から100回。一生の心拍数が20億回で、1分当りの心拍数が60回とすると、
2,000,000,000 ÷ 60 = 33,333,333.3分
分で表示されてもピンとこないので年に直してみる。
33,333,333.3分 ÷ ( 60 × 24 × 365 ) = 63.4年
なるほど。
でも、人の寿命というのは、その人の接する環境に大きく影響されるのではないのか。そういう声も聞こえてきそう。例えば、半世紀前の人と現在の人の寿命が異なっているのは心拍数に違いが出たからということが原因ではなかろうと。
しかし、どうだろう。現在の刺激の溢れている世界と、半世紀前の刺激が今ほどではなかった時代とでは、同じ出来事や同じモノに出くわした時の驚き具合がかなり違ったのではないだろうか。
半世紀前というから分かり難い。子供と時と大人になってからの、旅行前日のドキドキ度を思い起こして比較してみるとよい。
すると、心拍数と寿命の間には反比例の関係があるというのは、一生のドキドキ度一定の法則と言い換えることも出来るのではないか!
うん?
心拍数をドキドキ度とすると、その心拍数は一生の間で一定になるのだから、結局は同じことを別の言い方でしただけ?
人生には誰にでも3度のチャンスがあると言われる場合がある。同じように、ドキドキ度あるいはドキドキ回数は誰でも同じである。つまり、人生の前半でドキドキし過ぎてしまった場合は後半はそれほどドキドキしないとか。そんなことは言えないだろうか。
また、体が大きくなった時のドキドキ度と心拍数の関係と小さい時での関係は違うのではないか。
まだ、ゴールデンウィーク前だというのに、すっかりお休みモードに入ってしまって、要らぬ妄想を巡らせている。
<<一言主>>
○短期記憶 [名詞]たんき_きおく / 一時的に情報を脳に保持すること。
○マジックナンバー [名詞]短期記憶で一度に保持することが出来る数字の羅列のこと。7±2個とされる。
○短期記憶の限界 短期記憶の保持時間は15秒から30秒とされる。
○友愛数 [名詞]ゆうあい_すう / 2つの数の約数の和がお互いの数自身となるような数の組み合わせのこと。220と284は、220が 1、2、4、5、10、11、20、22、44、55、110 を約数とし和が284となる。284は、1、2、4、71、142 を約数として持っていて、その和は220となる。
○数多 [副詞]あまた / 許多とも書く。数が多いこと。昔は少し余る程度の数量を表し、動詞の「余る」「余す」の「あま」と語源を同じにする。転じて、数え切れないほどという意味を持つようになった。
○余る [動ラ五(四)]あま_る / [1]必要以上にあること。「夏場を除くと電気は余る」[2]限度を超え、黙ってやり過ごすことができないこと。「目に余る言動」[3]基準を上回ること。「まだまだカラスは目に余るね。」
○嘉瑞 [名詞]かずい / 幸先の目出度い徴候。「頻降嘉瑞」晁端礼、『黄河清』。
○井上嘉瑞 [固有名詞]いのうえ_よしみつ(1902-56) / 欧文印刷研究家。日本郵船勤務時代にヨーロッパ各地を訪問し数々の活字の収集を行った。後、嘉瑞工房を設立。
○二本松嘉瑞 [固有名詞]にほんまつ_かずい / 松竹大船の『宇宙大怪獣ギララ』、『昆虫大戦争』を撮影した監督。