木曜日, 5月 12, 2005

歴史は形状記憶合金 

 大型連休、ゴールデンウィークが終わった後の1週間というのはキツイ。まだ木曜日というのに、もう10日間くらい働いているような気がしてならない。
すっかりゴールデンウィーク中の生活サイクルに慣れたせいだろう。今週を乗り切れば、以前の生活サイクルに戻るとは思う。思うのだけれども、そうは言っても、やはり、今週はキツイ。
そう言えば、このゴールデンウィークの中の一つの5月1日はメーデー。つまり、労働者の祭典。労働者というと、工場で働いている人達を思い浮かべる。事務職というかホワイトカラーのサラリーマンは最初には浮かばない。
労働者という言葉自体がそれなりに古い起源を持っていることから来る、実態との差の違和感は仕方ない。
今の資本主義の始まりの始まりと言える産業革命は1760年前後のイギリスで始まったとされている。産業革命が進むに従って、工場制機械工業が産業の中心になってくる。工場制ということで、そこで働く人々は住んでいるところから工場まで通って仕事をして、時間になると家に帰っていく。そういう生活様式が18世紀後半のイギリスで定着する。18世紀後半というと、

1760年は日本でいうと宝暦10年になる。
桃園天皇の時代であり、  第10代将軍徳川家治(在位1760-1786)の時代。
田沼意次が印旛沼や手賀沼干拓に乗り出していた時期。日本では商人の経済力をもはや無視出来ないような局面になっていたわけで、日本でも変化の兆しが別の意味であったといえよう。
また、田沼が失脚すると、1788(天明8)年には松平定信が寛政の改革を開始している。

そういう時期に地球の反対側の島国で、ジェニー紡績機(1764年にハーグリーヴズが発明)、水力紡績機(1769年アークライトが発明)、ミュール紡績機(1779年クロンプトが発明)という様々な機械が生み出される。そして、1769年にはジェームス・ワットの蒸気機関の発明となる。
こうした一連の技術的な発明によって、家内制手工業から工場制手工業、そして機械制大工業へと本格的に移行していった。だから、ほぼ、産業革命と同時に現在の住む場所と働く場所の分離が開始されたといって良いと思う。
それは、労働者というものの始まりとも重なる。

だから、労働者の祭典と言われるメーデーも18世紀後半あたりが起源なのかというと、どうやら、そう簡単ではないらしい。
5月1日を労働者の祭典の日としたのは、1890年にフランスとアメリカの労働者がフランス革命100周年と1886年にアメリカで起きた労働時間短縮を求める労働争議の失敗を忘れまいとして5月1日にデモを行ったことにあるという。
では、なぜ、5月1日なのか。
この日はヨーロッパ、で春の始まりを祝う日だったからとされている。
起源はキリスト教がヨーロッパで広まるよりも古い。昔、昔のヨーロッパでは11月1日を1年の始まりとし半年後に祝典を開いたのだという。祝典の起源がキリスト教以前から伝来するものだったために、非常に異教徒色の強い土着的なものだったと言います。
その証拠に、後にキリスト教会はメーデーの祝典を禁止したりもしている。
結局は人々が先祖代代行ってきた祝典を止めにすることは出来ず、土着宗教の色彩を拭い去ってキリスト教の色合いを加える形で、祝典自体は存続。

それが、時代は変わって、性格も変え、19世紀後半に労働者の祭典となる。
このように、もともとは宗教性の強い行事が姿かたちを変えて現代にまで残っているという例は他にもある。
毎日見ているカレンダーの7つの曜日などは、キリスト教が公認される以前にローマ帝国で大きな影響力を持っていたミトラ教の思想がもとになっているとされる。
だから、本来はカレンダーは呪術的あるいは神聖な意味合いがあったりするのかもしれない。今は、そういう意味合いはほぼ失われている。

しかし、考えてみると、昔々の土着的な祭典というのは、素朴であって、理論的にしっかりとした宗教といった枠組みが前面に出ていたということなど無かったのではないだろうか。
すると、単なる骨休めのための一日、普段は行けない場所への旅行をするための一日となってしまっているようなメーデーは、昔々の春を祝って暖かくなった頃に、仕事の手を休めて喜び合った性格に結局は落ち着いているように思えてくる。

長い歴史の中で紆余曲折があって、本来の初めの形に落ち着いていく。
ひょっとすると、住むところと働くところとが離れているのが普通だという状況も、やがては昔からずっと続いてきた形に戻る日が来るのやもしれない。

<<一言主>>
○鳥屋に入る:とやにはいる。鳥屋に篭るとも。芸能界の人が、どこからもお呼びが掛からず、家に篭っていること。人気ががた落ちになってしまったことを指す。もともとは鷹が羽の生え変わる間に巣に篭ることを意味した。そのことから転じて、旅芸人が先立つものが無くて次の地に旅立つことが出来ない様を意味するようになった。

○スンニ派のスンニとは、預言者モハメッドのスンナ(言行)を重んずる人々の意味。

○インドネシアのスマトラ島からモルッカ海峡ティモール島まで拡がる島々をスンダ列島(Sunda Islands)という。

○スンダ列島は大スンダ列島と小スンダ列島からなる。

○大スンダ列島(Greater Sunda Islands)は、スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、セレベス島などからなる。。

○小スンダ列島(Lesser Sunda Islands)はバリ島から東の島々からなる。

○氷河期には、マレー半島、ジャワ島、スマトラ島、ボルネオ島が一つのスンダランド(Sundaland)という大陸を形成していた。

○重水素と三重水素の混合ガスを1億度以上の高温プラズマ化したうえで、核融合反応を起こさせる核融合炉をトカマク型という。

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