日曜日, 5月 15, 2005

旅をしたい 

 可笑しな雨模様。晴れていたと思って洗濯物を干したら、干し終わった途端ににわか雨。
にわか雨の向こうの空には日の光。
洗濯物は乾いたけれど、これではどうもすっきりしない。そんな塩梅。
雨が上がったと思って外に出たら、日が差しているのに、小雨がパラリ。

今日は、旧国名一覧のページを更新。旅行記などの見出しにするつもり。
日本全国あちこち、津々浦々、行けると良いのにと、いつも思う。
作家の五木さんは、行った場所を日本地図の上に印を付けるということをしている、というのを読んだことがある。
司馬遼太郎氏も街道を行くで各地を旅していた。
旅は日常を離れる機会。自分の日常を離れているからこそ、新鮮な発見もある。しかし、旅先では非日常の面だけに閉じこもり、その地で生活している人々の日常に目を向けるのではなければ、どこへ足を伸ばしても同じではないかと考えている。少し大袈裟ではある。
観光地とされている場所に、観光シーズンにのみ赴くということを繰り返してきた。そうすると、どこも同じだと感じてしまう。観光客という形で統一された嗜好を持つ全国の人々を受け入れているのだから、観光地が画一化してしまうのは仕方のないところ。
それなら、こちらが画一化から一歩抜け出してみよう。それだけで違った側面が見えてくる。
加えて、日本全国、どこへ行っても同じというのが実は表面的なことでしかないということに気がついた。
何年か前、九州の佐賀から熊本まで各駅停車で旅をしたことがある。どうして各駅停車に乗ったのか記憶は朧げ。兎も角も急ぐ旅ではなかった。
途中、何度も長い停車。待ち合わせの停車だったのだろうか。
その停車の度に乗客がかなり入れ替わる。初めは気付かなかったが、面白いことが分かったのだ。乗客が入れ替わると、列車の中で話される言葉が変わる。佐賀から熊本までは距離がある。長い距離の中で徐々に佐賀の言葉が熊本の言葉に変わっていった。
それだけではなく、おそらくは県境だと思うのだが、そこで言葉のイントネーションが大きく変化したのに驚いたのことを覚えている。
佐賀市と熊本市の中心部で言葉を交わしても、このような見事な違いには出会わなかった。
東京には方言がないと言われる。しかし、私の暮らしている場所は多摩弁とも言うべき方言が残っている。年配の方々と話すと良く分かる。年配の人だけかというと、そうでもない。地元出身の高校生などのアクセントも、聞き慣れれば違いが分かる。行政上の市町村の境目で明確にアクセントが違うということはないが、地域での違いというのも、地元にずっと暮らしていると聞き分けることが出来る。私自身は、そうしたイントネーションで話すことは難しい。聞き分けることが出来るだけ。

東京の周辺部でさえ、である。
全国、津々浦々、旅をして観光地ではない所に足を伸ばすと、きっと考えもしなかった驚きがあるに違いない。
時間を見つけて、少しづつ、あちこちと出かけてみたい。

<<一言主>>
○「御」を言葉の頭に付けると尊敬語になる場合と謙譲語になる場合がある。

○話す相手との関係が近い場合、言葉の頭に「御」を付けると、一般的には謙譲語になる。
○「おる」は「いる(居る)」の謙譲語。

○おる: お・る/を・る/居る (動ラ五)[文]ラ変
存在していること、留まっていること。

○京都によくある門跡寺院。門跡とは、もともとは皇族などの高い身分の方々が住まう寺院のこと。

○法親王の居住する寺院を江戸時代には宮門跡と呼んだ。

○摂関家の子弟がいる寺院を江戸時代には摂家門跡と言った。

○門跡寺院の住持のことも門跡と言う。
例えば、2005年4月20に99歳で亡くなった上井寛圓師(かみい_かんえん)は大覚寺門跡だった。

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