木曜日, 6月 02, 2005

ぴーぴー豆 

ぴーぴー豆 お豆 隠岐の豆

小さく 目立たず ひっそりと

けれど しっかり 根を張って

ふくふく風を ものとせず

人に媚びたる花つけず

島で愛され生きている

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海士町で黒うには旬のうにで、それ以外の「うに」は昨シーズンのものという説明を受けた。「うに」に詳しくない私は、そこで納得。「黒うに」が「うに」の生物学的な種類だとは思わなかった。
もちろん、「ばふんうに」や「紫うに」は知っていた。しかし、「くろうに」というのは知らなかった。

「くろうにというのは種類ですよ」

長崎は五島列島出身で物心付いた頃からうにを採っていたというO女史に教わる。

「あかうにとくろうにというのがあって」

赤オニと黒オニ?
そんなはずはない。それでは岡山県ではないか。
何でも、「赤うに」はうに漁の最後に採れるうにで、「黒うに」は最初に採れるものとか。
だから、海士町で「黒うに」は「旬のうに」という説明だったのだ。
納得、納得。

うにというのは、海胆とか海栗と書く。単に「うに」だと石炭のことを言う場合がある。口にしているのは「脳みそ」なんて言っていた人もいるけれど、冗談で、本当は卵巣。
考えてみると大きな卵巣。
「うに」はウニ綱の棘皮(きよくひ)動物。身体の下に口があって、上に肛門がある。逆のほうが良さそうに思ってしまうのは人間の側からの発想だろう。
海の流れのほうに排泄物を流したほうが「うに」の生活環境にとっては優しい。

この棘皮(きよくひ)動物は、ウニ綱以外に、ヒトデ綱、蛇尾綱、ウミユリ綱、それからナマコ綱という具合に分類されている。
ちなみに、蛇尾綱というのはクモヒトデなどのこと。

ウニ綱は、更に、正形ウニ類とカシパン類、ブンブク類に分けられる。
一般に「うに」と言ったら正形ウニ類に分類されるもの。
黒うに、赤うに、馬糞うにも正形ウニ類。

その「うに」の卵巣をお寿司のネタにしたり、生でペロリと食してしまっているわけだけれど、順調にいけば、卵が放出されるということになる。
海に放出された卵は海中でオスが放った精子に出会い受精。数日で孵化ということになる。
孵化したての「うに」は「うに」の格好はしていない。それでも「うに」は「うに」。
受精卵が分裂して細胞期と呼ばれる時期を経てプリズム幼生というツルンとした状態になる。
このツルンとした状態から4本腕が生えてきて4腕期プルテウス幼生となり、6本足の6腕期プルテウス幼生、8本足の8腕期プルテウス幼生を経て海中漂流生活を終えて、糖類をグリコシド結合で結合したグリセロ糖脂質の作用で稚ウニとなる。
稚ウニは「うに」の縮小版。

本当は、このような幾多の旅を経て立派な大人の「うに」になるわけだが、私の食した「うに」はもはや別の形になってしまっている。

<<一言主>>
○北海道の江別市に最初に定住したのは立花由松。1867年のこと。

○江別への集団移住は1871(明治4)年の宮城県桶谷領からの21戸76人。

○江別への屯田兵は1878(明治11)年に岩手県から10戸56人。

○江別の屯田兵は江別太屯田兵と呼ばれ、当初の10戸、後に分家によって12戸となり12戸屯田と呼ばれた。

○江別への屯田兵入植は第1次が宮城県から1878(明治11)年。第2次が東北4県から1884(明治17)年に75戸。第3次が1885(明治18)年に九州・中国の5県から45戸。第4次が1886(明治19)年に中国3県から28戸。

○江別は1908年に富士製紙会社北海道工場(現在の王子製紙江別工場)が建設されたことで人口が増加。1916年に町制を施行。

○江別という地名はアイヌ語で「鮫のいる川」を意味する「ユベオツ」とも、「大事な場所への入り口」を意味する「イブツ」とも言われている。

○石狩川の長さは268キロ。

○天塩川の長さは256キロ。

○十勝川の長さは156キロ。

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