土曜日, 5月 07, 2005

心も晴れるといいね 

 空が晴れると気持ち良い

気持ちも晴れて澄み渡る

朝からの晴れも良いけれど

消え行く雲を見るもいい

心の中でモヤモヤと 澱(よど)ますものが晴れるよに

日が少しづつ顔を見せ 雲を押しやる様がいい

移ろい変わる様が良い

辛(つら)いことは いつまでも 続いているはずがない

空見上げれば すぐわかる

落ち込むことは いつまでも そこに居座る訳がない

雲が やがては 消えるよに

いつか 必ず晴れるよに

<<一言主>>
○実際に観測される気圧を現地気圧という。

○実際に観測される気圧を高度0メートル地点の気圧に直したものを海面気圧という。

○実際に観測される気圧を高度0メートル地点の気圧に直すことを海面更正という。

○海は地球表面積の約3/4。

○海の総面積は約3億6千万平方キロメートル。

○海の平均的な深さは3,800メートル。

○魚の群れが海面に集まることを「海が湧(わ)く」という。

金曜日, 5月 06, 2005

 

 今日はずいぶん静かだね

雨がしとしと降ってるね

雨が降るから静かなの?

音がすぅーと染みていく

外で遊べぬ子供たち

休み疲れた大人たち

みんな、おうちで和んでる

和んでいるから静かだね

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少し、金子みすゞ風に感傷に浸ってみました。
金子みすゞ、本名金子テルは1903(明治36)年4月11日に山口県大津郡仙崎通村、現在の長門市生まれの童謡詩人。童謡の大御所である西條八十に「若き童謡詩人の巨星」とまで言わしめた天才。しかし、悲しき人生。

「そもそも、みすゞは詩作を三冊の手帳に書き込んで、尊敬する西条八十のもとに送り届けてあったんだな。ところがなぜか、これが一年経ってもナシのつぶてになった。一説によれば、彼女はこのことに絶望して死を選んだとも言われている」
内田康夫著『遺骨』より「旅と歴史」の編集長藤田の言葉。

ちなみに、私は萩原朔太郎(1886-1942)も好きです。

青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え

という『竹』を初めて読んだ時、脳天を貫くような衝撃を覚えました。

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トップページ"だけ"を更新。
デザインをクールな感じに出来ないかなと試行錯誤してみたもの、朴念仁にはこれが限界。
<<一言主>>
○沖縄の与那国島の海底では人工物ともされるものが発見され古代遺跡の可能性が指摘されている。

○気圧とは空気の重さのこと。

○気圧の単位はhpa(ヘクトパスカル)。

○かつては、気圧の単位はmb(ミリバール)だった。

○1hpa(ヘクトパスカル)=1mb(ミリバール)。

○気圧は100メートル上昇すると12hpa減る。

○地球の大気の重さは海面では面積1cm2あたり約1kgほどになる。

木曜日, 5月 05, 2005

区別はあるものではなくて付けるもの 

 「武蔵村山の庭」のページを少しだけ更新。
美と歴史」と同様に少しずつ増やしていくつもり。とは言っても、「美と歴史」はアップしていないコレクションがまだまだある。一方で、「武蔵村山の庭」のほうは思い立って撮った写真なので多くない。
加えて、身近な植物でも名前を知らなかったりする。そうすると調べるのがかなり大変。
植物図鑑を見れば簡単なように思える。
しかし、想像してみてほしい。名前では調べることが難しい。簡単に見分けの付くものなら問題がない。分かってから、へぇ、これってユリの仲間なのかというようなものは、名前では駄目。すると、植物図鑑のページを頭から捲(めく)って調べる。
気がつけば日が暮れてというような次第。
こんな事が出来るのも長い長い休みだからこそ。
加えて、調べるというのが結構好きな性分。何時間も調べて、ようやく一つの名前に行き当たった時は何とも言われぬ味わい。

植物は地球上に約30万種類。そのうち、どの位が、わが町、武蔵村山にあるのかは知らない。きっと、2,000から3,000はあるのではないだろうか。それほど無いかもしれない、それでも1,000程度はあるだろう。
次ぎの休みには多摩湖のほうまで遠征を試みようかとも企んでいる。

動物なら昆虫を含めて、様々な種類がいることだろう。
ただ、以前にも触れたように、私は昆虫を含めて足が6本以上ある動物は大の苦手。
だから、「自然」という語は、私の中では自動的かつ強制的に哺乳類と植物とイコールになる。私にとっては、苦手かどうかで、ほぼ植物と動物が区分け出来る。
哺乳類を除いて、見た瞬間に「うっ」と思えば動物で、ぞくぞくとしたものを感じなければ植物。

私の頭の中では、そういうことだが、動物と植物の区別というのは簡単ではないらしい。
動くのが動物で動かないのが植物という基本線は良いだろう。その基本線にしても、例えば食虫植物は動くではないかとか、サンゴはほとんど動かないではないかという反論が聞こえてきそう。

植物は葉、茎、根の3つの器官と表皮系(epidermal system)、維管束系(vascular system)、基本組織系(fundamental tissue system)の3つの組織系で出来ている。
詳しくは別に譲るとして、まずは外観が動物とは異なる。これは納得がいくだろう。

更に、もっと細かいところでも、植物には、液胞や色素体といった植物にしかない細胞小器官(オルガネラ)が存在していたりする。動物との差異をここに求めても良いだろう。
細胞外マトリクスなんていう細胞壁も動物にはない。

ちなみに、藻類や菌類は植物に分類されていたこともあったが、現在では別物として分類されている。

まぁ、色々と難しいもの。
ただ、分類というのは人間が人間の視点で区分したもの。自然が分類に従って進化してきたわけでも、分類に従って生きているわけでもない。
いわば、時代劇の水戸黄門の中で善人と悪人を区別するようなもの。間違いなく悪人の設定なのに、最後には善人になるなってビックリケースがあるように、動物や植物といった分類にもビックリケースがある。
そんな風に考えると何も難しいことなどはない。

<<一言主>>
○1868年インドでジェームズ・チャーチワード(1852-1936)がヒンドゥー教の僧侶からムー大陸のことが記されている粘土板を教えられた。

○グアム島にはラッテストーンと呼ばれる茸状の石の柱が多く残されている。

○ヤップ島では石貨が婚礼の持参金として利用されてきた。

○マルケサス諸島にはティキと呼ばれる石像がある。

○ポンペイ島には90以上の建造物からなるナンマドール遺跡がある。

○ジェームズ・チャーチワード(1852-1936)はナンマドール遺跡こそがムー大陸だとした。

水曜日, 5月 04, 2005

無くなっていくもの 

 ずっと見知っていたお店が気がつけば閉められていた。
ずっと、そこにあるものと思っていたものが無くなっていくというのは寂しいもの。私が育った家が無くなった時も感じた。あの思いが去来する。
ここ、武蔵村山も大きく変わった。
一番変わったのは、日産自動車の工場が無くなったこと。今では更地になって遥か彼方を見通せる。変わっていくことを気にしていても仕方ない。分かってはいるけれども、寂寥感は否めない。
部活で利用したグラウンドも住宅街となってしまった。クワガタを採ったプリンスの森(名前は日産自動車と合併した旧プリンス自動車に由来)も随分と小さくなった。
この先、通った中学校が無くなったりでもしたら悲しいだろうなと感慨に浸る。

あの時、森で遊んだ仲間はどうしているだろうか。
淡い初恋の彼女は幸せだろうか。

どの場面にも、視界の隅には木々があった。
緑が溢れていた。

地球上に、植物には約30万種類があるのだという。数え方にもよるだろう。

村山にはどの位の植物があって、今、どの程度残っているのか。里山ブームといい、東京の片田舎の武蔵村山にもトトロの森の散策に訪れる人が多くなった。
森は散策の便宜のために切り開かれ、ガタガタの道は舗装され歩きやすいものとなっている。

植物は約30万種類だが、動物は地球上に約100万種類。
哺乳類が約5,000種類、鳥類が約9,000種類、カエルなどの両生類が約2,000種類。トカゲなどの爬虫類が約5,000種類。
つまりは、動物約100万種類のうちのほとんどは脊椎動物以外の動物によって占められている。
里山の暗闇の中でモゾモゾと蠢(うごめ)いている、私の苦手なモノ達が多数派な訳だ。

ここ村山にどの位の動植物が住んでいるのか知らない。しかし、里山が里山を楽しむ人々のために整備され、住宅地が森を掻き分けて削り取っていく中で、人間以外の多くの動植物の生活圏は間違いなく狭められていっている。

最近感じる寂寥感は、もしかすると、物言わぬモノ達の悲しい思いが伝染したのかもしれない。

<<一言主>>
北海道の道花はハマナス、道木はエゾマツ。
青森県の県花はリンゴの花、県木はヒバ。
岩手県の県花は桐、県木は南部赤松。
宮城県の県花はミヤギノハギ、県木はケヤキ。
秋田県の県花はふきのとう、県木は秋田杉。
山形県の県花は紅花、県木はさくらんぼ。
福島県の県花はネモトシャクナゲ、県木はケヤキ。
茨城県の県花はバラ、県木は梅。
栃木県の県花は八汐つつじ、県木はトチノキ。
群馬県の県花はれんげつつじ、県木は黒松。
埼玉県の県花はサクラソウ、県木はケヤキ。
千葉県の県花は菜の花、県木はマキ。
東京都の都花はソメイヨシノ、都木はイチョウ。
神奈川県の県花はヤマユリ、県木はイチョウ。
新潟県の県花はチューリップ、県木はユキツバキ。
富山県の県花はチューリップ、県木は立山杉。
石川県の県花はクロユリ、県木はアテ(能登ヒバ)。
福井県の県花は水仙、県木は松。
山梨県の県花は富士桜、県木は楓。
長野県の県花はりんどう、県木はしらかば。
岐阜県の県花はレンゲソウ、県木はイチイ。
静岡県の県花はつつじ、県木はもくせい。
愛知県の県花はカキツバタ、県木はハナノキ。
三重県の県花は花菖蒲、県木は神宮杉。
滋賀県の県花はしゃくなげ、県木はもみじ。
京都府の府花は枝垂桜、なでしこ、嵯峨菊、県府は北山杉。
大阪府の府花はうめ、さくらそう、府木はイチョウ。
兵庫県の県花は野地菊、県木は楠。
奈良県の県花は奈良八重桜、県木は杉。
和歌山県の県花は梅、県木は姥目樫。
鳥取県の県花は二十世紀梨、県木は大山伽羅木。
島根県の県花は牡丹、県木は黒松。
岡山県の県花はもも、県木は赤松。
広島県の県花はモミジ、県木はモミジ。
山口県の県花は夏みかんの花、県木は赤松。
徳島県の県花はすだちの花、県木はやまもも。
香川県の県花はオリーブ、県木もオリーブ。
愛媛県の県花はみかんの花、県木は松。
高知県の県花はやまもも、県木は魚梁瀬杉。
福岡県の県花はうめ、県木はつつじ。
佐賀県の県花はクス、県木はクス。
長崎県の県花はミヤマキリシマ、県木はツバキ、ヒノキ。
熊本県の県花はリンドウ、県木は楠。
大分県の県花は豊後梅、県木は豊後梅。
宮崎県の県花ははまゆう、県木はフェニックス。
鹿児島県の県花はミヤマキリシマ、県木はクス、カイコウズ。
沖縄県の県花はデイゴ、県木は琉球松。

火曜日, 5月 03, 2005

武蔵村山の庭から 

ゴールデンウィークということで、私の庭のご紹介。
ミッキーマウスノキっていう木は、もう見たまま。名前を知るまでは何の事はない。けれど、ミッキーマウスという名前が頭に付いていると知ると更に愛着が湧いてくる。名前というのはそういうものかも。
日本には言霊思想があると言われる。日本にはと言ったが、似たような考え方はどこの国にもある。悪魔や邪悪なものが名前を言われると消え去ってしまうとか、名前を秘密にしているとか。
ユダヤ教の例を引くまでもなく、神の名を無闇に唱えることをタブー視するというケースも少なくはない。
また、古代ギリシアや古代インドで文字があったにも関わらず、口承が尊ばれ記述が堕落と考えられたことも日本の言霊思想と通じるところがある。
かつて多くの博物学者達が様々な物を蒐集し整理し名前を付けたというのも、未知なる物を人類の支配下に置こうとする潜在的な欲望があったからだろう。
博物学は近代科学の源流の一つ。
しかし、その中に言霊思想に連なるような考え方が潜んでいることに思いを馳せるゴールデンウィーク。













ミッキーマウスノキ


<<一言主>>
○アトランティスはギリシアの哲学者プラトンによって記述された。

○アトランティスのエーゲ海、マルタ、バハマのビミニ諸島

○1882年に出版されたイグナティウス・ドネリーの「アトランティス-ノアの洪水以前の世界」は、大西洋の海底山脈がアトランティス大陸の正体だとした。

○マルタ島はマルチーズの原産地。

○マルタ島には数々の巨石建造物がある。

○マルタ島には150キロ離れたランペツゥーザ島まで海底を通じて繋がっているカート・ラッツと呼ばれる水路の跡が残っている。

○1968年バハマのビミニ諸島でアトランティス・ロードと呼ばれる600メートルの石灰岩の海底の道が発見された。

月曜日, 5月 02, 2005

見直そう 

 朝から銀行へ用事。戻った足で地元の郵便局へ。
銀行は長蛇の列。長い列に並ぶというのは、どうも苦手。幾ら美味しいお店と言われたところで、列が出来ていて10分以上は待たなければならないとなると意欲が萎んでしまう。
もとより忙しい身の上ではない。1分を浪費したところで何の変化もない。10分でも、1時間でも同じ。それで実入りが減るということは残念ながらまるでない。
だから、並んでも良いのだけれど。
こればかりは持って生まれた性分なのだろう。
ただ、今日はじっと我慢の子で長蛇の列に加わって辛抱した。それで何がどうということは無くとも辛抱が必要な場面はあるというもの。
勉強だってそうだろう。
昨今、実学志向だと言われ、すぐに役立つ知識というのが求められている。凄く抵抗を覚える。すぐに役立つ知識はすぐに廃れる知識に近いのではないのか。そう思うから。
テストのためにすぐに役立った暗記物のうち、一体どれほどの事柄が今でも役に立っているだろうか。これは少し的外れかもしれない。
そもそも、直ぐに役立つというのはどういうことなのか。
大きな疑問が頭の中に渦巻く。今の世の中、必要な事柄を熟知している誰かが必ず周囲に存在する。隣にいなければ友人の友人の中にはいる。そのまた友人の中にいる。
だから、テレビが映像を映し出す仕組みなんて自分で知っている必要はない。そんなことを知っていても、大抵の人はお金になんかなりはしない。トリビアにしかならない。
こう考えると、宇宙の仕組みがどうなっているかなんて、専門家の間でも論争があるくらいだから、素人は知らなくても良さそうだ。時間をかけて知識を仕入れたとしても、それで収入が増えるわけではない。
地球が回っているのか空のほうが回っているのか。地球が丸いのか、平らなのか。
そんなこともしかり。
取引先の人が、会社の上の方の人が、平らと言えば平らで良いし、三角だと言えば三角と言えば良い。生きていく上では、それで問題がない。

人間は動物の中で唯一、物事の起源に関心を持つ動物なのだという。起源というのは仕組みと置き換えても通用する。
言葉はそのための強力な道具としても機能している。

だとすると、ただ生きるだけではなく、人間らしく生きるためには、直接には生活には役立たない知識を自分のものにすることは、人間らしいことの証(あかし)なのかもしれない。

世界17ヵ国での18歳以上の大人の科学常識のテストで、日本が正答率54%とアメリカの63%、スウェーデンの73%と大きく懸離れた結果が発表されている。
まさに、世界の常識は日本の非常識。

直接には役に立たない知識を、直接に必要になった場面で一夜漬けしようとしても、多くは上手くいかないことは学生時代に経験済み。

直接に役に立つ、直接に役に立たないといった、自分で拵(こしら)えてしまった既成観念の枠をもう一度、このゴールデンウィークに見直そうと思う。

<<一言主>>
○人類歴史上、有り得ない、存在するはずのないモノをオーパーツ(ooparts)という。

○オーパーツとはOut of Place Artifactsの略。

○1924年中米ベリーズで英国の探検家フレデリック・ミッチェルヘッジスは祭壇の下から水晶ドクロを発見した。

○1930年中米コスタリカで最大2.6m、25tの完全な球体の石が発見された。球体は紀元4世紀から9世紀のものと考えられている。

○1969年南米コロンビアで黄金のジェット機と呼ばれる黄金アクセサリーが発見されている。4世紀から9世紀のモノという。

○エジプトのデンデラのホルス神殿の壁画には神官の持つ大きな古代電球が描かれている。
○紀元前3100年の遺跡からサッカラのフライホイールと呼ばれるハズミ車が発見されている。エジプトで車輪が発明されるのは、その時点から1600年ほど後のことという。

○1926年トルコのトプカプ宮殿で、16世紀のピリ・レイス(提督)の地図が発見された。この地図には16世紀には発見されていなかった南極が描かれている。

日曜日, 5月 01, 2005

富山2泊3日 

 2泊3日の富山の旅から帰宅。初日は宇奈月から黒部峡谷をトロッコ列車で登る。朝から生憎の雨。かなり強く降ったが終点の鐘釣では晴れ間も。終点?と思う方は正解。ただ、この日はまだ鐘釣までの営業。その先は除雪作業中とのこと。
宇奈月に戻って黒部市内へ。昼食は生地(いくじ)。道に迷う。救いの神はYKKの工場のお姉さま方。「上って真っ直ぐ」と教えてもらう。海へ行くことを上るというのだろうか。
聞きそびれてしまう。
魚の駅で海鮮丼を堪能。

料理を待っている間に観光協会の人に話しを聞く。この生地は一度海に沈んだ地とのこと。もともとの町は現在の海の中なのだとか。住んでいた人々が新しく築いた場所ということで生地という地名になったという。
この辺りは清水で知られているそうだが、面白いのは清水と書いて「しょうず」と読む点。何度も「しょうず」と出てくるものだから聞き返してしまった。

2日目は、井波彫りで知られる瑞泉寺へ。
 

蝦夷屋さんは東京の昭島の神輿の屋台彫刻を手がけるとか。昭島と言えば、武蔵村山の近く。それにしても、見事な彫刻の数々。
瑞泉寺は一向一揆の拠点として知られた寺院。その名残が今も残る高い石垣。
見所は、随所にある井波彫刻。

続いて、国宝瑞龍寺へ向かう予定を繰り下げて、氷見の港へ。
 

氷見の港でも海鮮丼。

そして、いよいよ国宝瑞龍寺。
 

裏手にあった前田利長公の墓所の彫刻にうっとり。

瑞泉寺と瑞龍寺に関してはまた後日。

そういえば、富山市周辺の信号機は横に並んでいるのではなく、縦に並んでいる。
これは雪の関係なのだろうか。


最後の3日目は鱒すしを購入して帰途に着く。
朝8時台にも関わらず、富山市内には店を開けているところが複数軒。
ちなみに、下の製造現場の写真は「竹勘」さんではありません。
 


<<一言主>>
○キリスト教モンタノス派は創設者モンタノス(Montanos)と女預言者プリスカ(Prisca)、マクシミッラ(Maximilla)によって広められた。

○キリスト教モンタノス派は教皇ゼフィリヌスのアジア会議によって異端とされた。

○キリスト教では90年から140年頃を使徒教父の時代と呼ぶ。

○キリスト教エビオン派はユダヤ教色を強く残し律法の遵守を唱えた。

○キリスト教マルキオン派は旧約聖書の世界と新約聖書の世界を峻別しキリストの受肉を否定した。

○グノーシス主義というのは啓示の知恵の認識を重視する神学体系のこと。

○グノーシスとはギリシア語で「認識」を意味する。

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