土曜日, 5月 14, 2005
つらつらとぼんやりと
芥川龍之介は『あの頃の自分の事』(「中央公論」1919(大正8)年1月)の中で書いている。
「以下は小説と呼ぶ種類のものではないかも知れない。さうかと云つて、何と呼ぶべきかは自分も亦不案内である。自分は唯、四五年前の自分とその周囲とを、出来る丈こだはらずに、ありのまま書いて見た。従つて自分、或は自分たちの生活やその心もちに興味のない読者には、面白くあるまいと云ふ懸念(けねん)もある。が、この懸念はそれを押しつめて行けば、結局どの小説も同じ事だから、そこに意を安んじて、発表する事にした。」
土佐日記、蜻蛉日記、和泉式部日記、紫式部日記、更級日記、讃岐典侍日記、十六夜日記と日本には古来から日記文学というジャンルがある。
ヨーロッパの自然主義文学の影響を受けた後でも、その伝統が途切れることなく、田山花袋や志賀直哉といった作家によって私小説という形で変容され確立され、現在にまで続いている。
こうした素地があって、ブログという流れがあるのかなと思ったりする。
この流れは、アメリカでのジャーナリズムの代替としてのブログとは違うような気がする。
今日は、頑張って色々とページを更新。
===============
朝日を浴びて影が伸びる
産まれたばかりのもう一人の自分
どんな慰めも
言葉だけのいたわりも
モノトーンの自分には必要ない
ただ差し込む陽の光さえあればいい
全てはそこから始まる
モノトーンの世界
産まれたばかりの自由
色は彩るもの
明日は夢見て造るもの
昨日の続くではなく
今日は流れゆく時間ですらない
朝日を背に受けて色づいていくモノトーン
=================
<<一言主>>
○ユビキタス(ubiquitous)とはラテン語で「同時にいたるところに存在する」の意味。
○「さよなら」は、語源は「左様ならば」、「左様なら」が語源。
○イギリスがユニオン・ジャック(the Union Jack)を国旗と定めたのは1606年4月12日。
○野球でキャッチャーマスクが初めて使用されたのは1877年の4月12日。
○日本では馬の種類を「軽種」、「重種」、「中間種」と「在来種」の4つに分けている。
○「軽種」というのは、サラブレッドなどの体重400から500キロの馬のこと。
○「重種」というのは体重800キロから1トンを越えるペルシュロンなど農耕場のこと。
○「軽種」と「重種」の混血の馬の種類を「中間種」という。ネーミングはそのまま。
○日本に古くからいる馬を「在来種( Japanese nature pony )」という。在来種には北海道和種(ドサンコ)、木曽馬、野間馬、対馬馬、御崎馬、トカラ馬、宮古馬、与那国馬の8種類が知られている。
「以下は小説と呼ぶ種類のものではないかも知れない。さうかと云つて、何と呼ぶべきかは自分も亦不案内である。自分は唯、四五年前の自分とその周囲とを、出来る丈こだはらずに、ありのまま書いて見た。従つて自分、或は自分たちの生活やその心もちに興味のない読者には、面白くあるまいと云ふ懸念(けねん)もある。が、この懸念はそれを押しつめて行けば、結局どの小説も同じ事だから、そこに意を安んじて、発表する事にした。」
土佐日記、蜻蛉日記、和泉式部日記、紫式部日記、更級日記、讃岐典侍日記、十六夜日記と日本には古来から日記文学というジャンルがある。
ヨーロッパの自然主義文学の影響を受けた後でも、その伝統が途切れることなく、田山花袋や志賀直哉といった作家によって私小説という形で変容され確立され、現在にまで続いている。
こうした素地があって、ブログという流れがあるのかなと思ったりする。
この流れは、アメリカでのジャーナリズムの代替としてのブログとは違うような気がする。
今日は、頑張って色々とページを更新。
===============
朝日を浴びて影が伸びる
産まれたばかりのもう一人の自分
どんな慰めも
言葉だけのいたわりも
モノトーンの自分には必要ない
ただ差し込む陽の光さえあればいい
全てはそこから始まる
モノトーンの世界
産まれたばかりの自由
色は彩るもの
明日は夢見て造るもの
昨日の続くではなく
今日は流れゆく時間ですらない
朝日を背に受けて色づいていくモノトーン
=================
<<一言主>>
○ユビキタス(ubiquitous)とはラテン語で「同時にいたるところに存在する」の意味。
○「さよなら」は、語源は「左様ならば」、「左様なら」が語源。
○イギリスがユニオン・ジャック(the Union Jack)を国旗と定めたのは1606年4月12日。
○野球でキャッチャーマスクが初めて使用されたのは1877年の4月12日。
○日本では馬の種類を「軽種」、「重種」、「中間種」と「在来種」の4つに分けている。
○「軽種」というのは、サラブレッドなどの体重400から500キロの馬のこと。
○「重種」というのは体重800キロから1トンを越えるペルシュロンなど農耕場のこと。
○「軽種」と「重種」の混血の馬の種類を「中間種」という。ネーミングはそのまま。
○日本に古くからいる馬を「在来種( Japanese nature pony )」という。在来種には北海道和種(ドサンコ)、木曽馬、野間馬、対馬馬、御崎馬、トカラ馬、宮古馬、与那国馬の8種類が知られている。
金曜日, 5月 13, 2005
こんな話もいかがかとは思うけれど
ポストにいかがわしいチラシが入っていたことは記憶にない。多分、入っていたことはない。田舎だからなのかもしれない。
知人の家ではしばしばという。
それが、葉書大程度の大きさのものが大抵。それが、昨日は新聞紙の大きさに近いもので、かなり色使いも凄いものが入っていたとのこと。
他の人にも聞いてみると、マンションの場合だと、その手のチラシが投函されていることは珍しいことではないという。
その中の一人曰く、マンションの場合は入り口にポストがずらりと並んでいるので、チラシを配る側からすると効率が良いのではないのかと。
先の知人は小学生のお母さん。そんなところに配っても効率は下がるだけではないかとも思えるのだが。
配っている側が、ポストの先にある家庭の家族構成まで知るはずもない。しかも、川を越えてはいるが、東京の真中と言ってよい場所のマンションなので、独身者が多いと見たのかもしれない。一概には言えないが、そういうケースのマンションもあることだろう。
その知人のマンションの入り口には管理人室があってポストは管理人室の目の前に並んでいるのだとか。そうすると、いつも管理人がいるとは限らないけれども、管理人のいる前で次々とチラシをポストに入れていくという場合も多々あるとだろう。
これは少し勇気がいるのではないだろうか。実際、そのマンションの以前の管理人は凄く強面(こわもて)の人だったせいもあって、いかがわしいチラシが配られるということは少なかったのだとか。管理人が代わって頻度が増したという。
「強面(こわもて)」というと恐い顔で相手に対して強硬な態度に出ることを意味する。これが、「強持(こわも)て」ということになると、他人に安易に媚び諂(へつら)うことをしないために、人から畏れをもたれることという意味になって、マイナスの意味ではなくなる。知人のマンションの以前の管理人の場合は、いかがわしいチラシを無作為にポストに入れようとする人にとっては「強面(こわもて)」であり、マンションの住人にとっては「強持て(こわもて)」だったと言える。
いかがわしい、いかがわしいと書いたが、何をもっていかがわしさと判断するのかというのは主観的なところが多いから難しい。
「いかがわしい」は「如何わしい[形]」と書く。如何、つまり、どうしたの、とか、どうしたものかとか、そういう意味での「如何」。反語という形で、「どうしたものか」と尋ねるように言いながら、「これは良くないだろう」という意味合いを言葉にせずに伴っている。一応、自分では「好ましくない」と考えるけれども、あなたの考えではどうですかと問う。この言葉は、「いかが(如何)し[形シク]」から出てきたと考えられている。
とは言っても、知人のポストにあったチラシというのは、小学生がいる家庭としては、小学生の教育上好ましくないとされる範疇の内容だったというから、「どう思う?」と聞かれても、「その通りだと思う」という範囲のものだということは想像に難くない。
<<一言主>>
○トカマク型の核融合炉ではドーナツ型をした真空容器の中に磁場を使ってプラズマを閉じ込める。
○トカマク(Tokamak)はロシア語の円環(toroidal)、容器(kamepa)、磁場(magniyunne)、コイル(katushuki)の頭文字をとったもの。
○トカマク型核融合炉は、1950年にソ連の物理学者 A.Sakharov と I.Tamm によって発明された。
○トカマク型核融合炉は磁場を使ってプラズマに電流を流すのでプラズマを長時間保つことが難しい。
○ヘリカル型核融合炉は磁場が作り出す磁力線にプラズマを巻きつけるので長い間プラズマを保つことが出来る。
○ヘリカルとはギリシャ語で「螺旋状」という意味。
○三重水素をトリチウムという。
知人の家ではしばしばという。
それが、葉書大程度の大きさのものが大抵。それが、昨日は新聞紙の大きさに近いもので、かなり色使いも凄いものが入っていたとのこと。
他の人にも聞いてみると、マンションの場合だと、その手のチラシが投函されていることは珍しいことではないという。
その中の一人曰く、マンションの場合は入り口にポストがずらりと並んでいるので、チラシを配る側からすると効率が良いのではないのかと。
先の知人は小学生のお母さん。そんなところに配っても効率は下がるだけではないかとも思えるのだが。
配っている側が、ポストの先にある家庭の家族構成まで知るはずもない。しかも、川を越えてはいるが、東京の真中と言ってよい場所のマンションなので、独身者が多いと見たのかもしれない。一概には言えないが、そういうケースのマンションもあることだろう。
その知人のマンションの入り口には管理人室があってポストは管理人室の目の前に並んでいるのだとか。そうすると、いつも管理人がいるとは限らないけれども、管理人のいる前で次々とチラシをポストに入れていくという場合も多々あるとだろう。
これは少し勇気がいるのではないだろうか。実際、そのマンションの以前の管理人は凄く強面(こわもて)の人だったせいもあって、いかがわしいチラシが配られるということは少なかったのだとか。管理人が代わって頻度が増したという。
「強面(こわもて)」というと恐い顔で相手に対して強硬な態度に出ることを意味する。これが、「強持(こわも)て」ということになると、他人に安易に媚び諂(へつら)うことをしないために、人から畏れをもたれることという意味になって、マイナスの意味ではなくなる。知人のマンションの以前の管理人の場合は、いかがわしいチラシを無作為にポストに入れようとする人にとっては「強面(こわもて)」であり、マンションの住人にとっては「強持て(こわもて)」だったと言える。
いかがわしい、いかがわしいと書いたが、何をもっていかがわしさと判断するのかというのは主観的なところが多いから難しい。
「いかがわしい」は「如何わしい[形]」と書く。如何、つまり、どうしたの、とか、どうしたものかとか、そういう意味での「如何」。反語という形で、「どうしたものか」と尋ねるように言いながら、「これは良くないだろう」という意味合いを言葉にせずに伴っている。一応、自分では「好ましくない」と考えるけれども、あなたの考えではどうですかと問う。この言葉は、「いかが(如何)し[形シク]」から出てきたと考えられている。
とは言っても、知人のポストにあったチラシというのは、小学生がいる家庭としては、小学生の教育上好ましくないとされる範疇の内容だったというから、「どう思う?」と聞かれても、「その通りだと思う」という範囲のものだということは想像に難くない。
<<一言主>>
○トカマク型の核融合炉ではドーナツ型をした真空容器の中に磁場を使ってプラズマを閉じ込める。
○トカマク(Tokamak)はロシア語の円環(toroidal)、容器(kamepa)、磁場(magniyunne)、コイル(katushuki)の頭文字をとったもの。
○トカマク型核融合炉は、1950年にソ連の物理学者 A.Sakharov と I.Tamm によって発明された。
○トカマク型核融合炉は磁場を使ってプラズマに電流を流すのでプラズマを長時間保つことが難しい。
○ヘリカル型核融合炉は磁場が作り出す磁力線にプラズマを巻きつけるので長い間プラズマを保つことが出来る。
○ヘリカルとはギリシャ語で「螺旋状」という意味。
○三重水素をトリチウムという。
木曜日, 5月 12, 2005
歴史は形状記憶合金
大型連休、ゴールデンウィークが終わった後の1週間というのはキツイ。まだ木曜日というのに、もう10日間くらい働いているような気がしてならない。
すっかりゴールデンウィーク中の生活サイクルに慣れたせいだろう。今週を乗り切れば、以前の生活サイクルに戻るとは思う。思うのだけれども、そうは言っても、やはり、今週はキツイ。
そう言えば、このゴールデンウィークの中の一つの5月1日はメーデー。つまり、労働者の祭典。労働者というと、工場で働いている人達を思い浮かべる。事務職というかホワイトカラーのサラリーマンは最初には浮かばない。
労働者という言葉自体がそれなりに古い起源を持っていることから来る、実態との差の違和感は仕方ない。
今の資本主義の始まりの始まりと言える産業革命は1760年前後のイギリスで始まったとされている。産業革命が進むに従って、工場制機械工業が産業の中心になってくる。工場制ということで、そこで働く人々は住んでいるところから工場まで通って仕事をして、時間になると家に帰っていく。そういう生活様式が18世紀後半のイギリスで定着する。18世紀後半というと、
1760年は日本でいうと宝暦10年になる。
桃園天皇の時代であり、 第10代将軍徳川家治(在位1760-1786)の時代。
田沼意次が印旛沼や手賀沼干拓に乗り出していた時期。日本では商人の経済力をもはや無視出来ないような局面になっていたわけで、日本でも変化の兆しが別の意味であったといえよう。
また、田沼が失脚すると、1788(天明8)年には松平定信が寛政の改革を開始している。
そういう時期に地球の反対側の島国で、ジェニー紡績機(1764年にハーグリーヴズが発明)、水力紡績機(1769年アークライトが発明)、ミュール紡績機(1779年クロンプトが発明)という様々な機械が生み出される。そして、1769年にはジェームス・ワットの蒸気機関の発明となる。
こうした一連の技術的な発明によって、家内制手工業から工場制手工業、そして機械制大工業へと本格的に移行していった。だから、ほぼ、産業革命と同時に現在の住む場所と働く場所の分離が開始されたといって良いと思う。
それは、労働者というものの始まりとも重なる。
だから、労働者の祭典と言われるメーデーも18世紀後半あたりが起源なのかというと、どうやら、そう簡単ではないらしい。
5月1日を労働者の祭典の日としたのは、1890年にフランスとアメリカの労働者がフランス革命100周年と1886年にアメリカで起きた労働時間短縮を求める労働争議の失敗を忘れまいとして5月1日にデモを行ったことにあるという。
では、なぜ、5月1日なのか。
この日はヨーロッパ、で春の始まりを祝う日だったからとされている。
起源はキリスト教がヨーロッパで広まるよりも古い。昔、昔のヨーロッパでは11月1日を1年の始まりとし半年後に祝典を開いたのだという。祝典の起源がキリスト教以前から伝来するものだったために、非常に異教徒色の強い土着的なものだったと言います。
その証拠に、後にキリスト教会はメーデーの祝典を禁止したりもしている。
結局は人々が先祖代代行ってきた祝典を止めにすることは出来ず、土着宗教の色彩を拭い去ってキリスト教の色合いを加える形で、祝典自体は存続。
それが、時代は変わって、性格も変え、19世紀後半に労働者の祭典となる。
このように、もともとは宗教性の強い行事が姿かたちを変えて現代にまで残っているという例は他にもある。
毎日見ているカレンダーの7つの曜日などは、キリスト教が公認される以前にローマ帝国で大きな影響力を持っていたミトラ教の思想がもとになっているとされる。
だから、本来はカレンダーは呪術的あるいは神聖な意味合いがあったりするのかもしれない。今は、そういう意味合いはほぼ失われている。
しかし、考えてみると、昔々の土着的な祭典というのは、素朴であって、理論的にしっかりとした宗教といった枠組みが前面に出ていたということなど無かったのではないだろうか。
すると、単なる骨休めのための一日、普段は行けない場所への旅行をするための一日となってしまっているようなメーデーは、昔々の春を祝って暖かくなった頃に、仕事の手を休めて喜び合った性格に結局は落ち着いているように思えてくる。
長い歴史の中で紆余曲折があって、本来の初めの形に落ち着いていく。
ひょっとすると、住むところと働くところとが離れているのが普通だという状況も、やがては昔からずっと続いてきた形に戻る日が来るのやもしれない。
<<一言主>>
○鳥屋に入る:とやにはいる。鳥屋に篭るとも。芸能界の人が、どこからもお呼びが掛からず、家に篭っていること。人気ががた落ちになってしまったことを指す。もともとは鷹が羽の生え変わる間に巣に篭ることを意味した。そのことから転じて、旅芸人が先立つものが無くて次の地に旅立つことが出来ない様を意味するようになった。
○スンニ派のスンニとは、預言者モハメッドのスンナ(言行)を重んずる人々の意味。
○インドネシアのスマトラ島からモルッカ海峡ティモール島まで拡がる島々をスンダ列島(Sunda Islands)という。
○スンダ列島は大スンダ列島と小スンダ列島からなる。
○大スンダ列島(Greater Sunda Islands)は、スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、セレベス島などからなる。。
○小スンダ列島(Lesser Sunda Islands)はバリ島から東の島々からなる。
○氷河期には、マレー半島、ジャワ島、スマトラ島、ボルネオ島が一つのスンダランド(Sundaland)という大陸を形成していた。
○重水素と三重水素の混合ガスを1億度以上の高温プラズマ化したうえで、核融合反応を起こさせる核融合炉をトカマク型という。
すっかりゴールデンウィーク中の生活サイクルに慣れたせいだろう。今週を乗り切れば、以前の生活サイクルに戻るとは思う。思うのだけれども、そうは言っても、やはり、今週はキツイ。
そう言えば、このゴールデンウィークの中の一つの5月1日はメーデー。つまり、労働者の祭典。労働者というと、工場で働いている人達を思い浮かべる。事務職というかホワイトカラーのサラリーマンは最初には浮かばない。
労働者という言葉自体がそれなりに古い起源を持っていることから来る、実態との差の違和感は仕方ない。
今の資本主義の始まりの始まりと言える産業革命は1760年前後のイギリスで始まったとされている。産業革命が進むに従って、工場制機械工業が産業の中心になってくる。工場制ということで、そこで働く人々は住んでいるところから工場まで通って仕事をして、時間になると家に帰っていく。そういう生活様式が18世紀後半のイギリスで定着する。18世紀後半というと、
1760年は日本でいうと宝暦10年になる。
桃園天皇の時代であり、 第10代将軍徳川家治(在位1760-1786)の時代。
田沼意次が印旛沼や手賀沼干拓に乗り出していた時期。日本では商人の経済力をもはや無視出来ないような局面になっていたわけで、日本でも変化の兆しが別の意味であったといえよう。
また、田沼が失脚すると、1788(天明8)年には松平定信が寛政の改革を開始している。
そういう時期に地球の反対側の島国で、ジェニー紡績機(1764年にハーグリーヴズが発明)、水力紡績機(1769年アークライトが発明)、ミュール紡績機(1779年クロンプトが発明)という様々な機械が生み出される。そして、1769年にはジェームス・ワットの蒸気機関の発明となる。
こうした一連の技術的な発明によって、家内制手工業から工場制手工業、そして機械制大工業へと本格的に移行していった。だから、ほぼ、産業革命と同時に現在の住む場所と働く場所の分離が開始されたといって良いと思う。
それは、労働者というものの始まりとも重なる。
だから、労働者の祭典と言われるメーデーも18世紀後半あたりが起源なのかというと、どうやら、そう簡単ではないらしい。
5月1日を労働者の祭典の日としたのは、1890年にフランスとアメリカの労働者がフランス革命100周年と1886年にアメリカで起きた労働時間短縮を求める労働争議の失敗を忘れまいとして5月1日にデモを行ったことにあるという。
では、なぜ、5月1日なのか。
この日はヨーロッパ、で春の始まりを祝う日だったからとされている。
起源はキリスト教がヨーロッパで広まるよりも古い。昔、昔のヨーロッパでは11月1日を1年の始まりとし半年後に祝典を開いたのだという。祝典の起源がキリスト教以前から伝来するものだったために、非常に異教徒色の強い土着的なものだったと言います。
その証拠に、後にキリスト教会はメーデーの祝典を禁止したりもしている。
結局は人々が先祖代代行ってきた祝典を止めにすることは出来ず、土着宗教の色彩を拭い去ってキリスト教の色合いを加える形で、祝典自体は存続。
それが、時代は変わって、性格も変え、19世紀後半に労働者の祭典となる。
このように、もともとは宗教性の強い行事が姿かたちを変えて現代にまで残っているという例は他にもある。
毎日見ているカレンダーの7つの曜日などは、キリスト教が公認される以前にローマ帝国で大きな影響力を持っていたミトラ教の思想がもとになっているとされる。
だから、本来はカレンダーは呪術的あるいは神聖な意味合いがあったりするのかもしれない。今は、そういう意味合いはほぼ失われている。
しかし、考えてみると、昔々の土着的な祭典というのは、素朴であって、理論的にしっかりとした宗教といった枠組みが前面に出ていたということなど無かったのではないだろうか。
すると、単なる骨休めのための一日、普段は行けない場所への旅行をするための一日となってしまっているようなメーデーは、昔々の春を祝って暖かくなった頃に、仕事の手を休めて喜び合った性格に結局は落ち着いているように思えてくる。
長い歴史の中で紆余曲折があって、本来の初めの形に落ち着いていく。
ひょっとすると、住むところと働くところとが離れているのが普通だという状況も、やがては昔からずっと続いてきた形に戻る日が来るのやもしれない。
<<一言主>>
○鳥屋に入る:とやにはいる。鳥屋に篭るとも。芸能界の人が、どこからもお呼びが掛からず、家に篭っていること。人気ががた落ちになってしまったことを指す。もともとは鷹が羽の生え変わる間に巣に篭ることを意味した。そのことから転じて、旅芸人が先立つものが無くて次の地に旅立つことが出来ない様を意味するようになった。
○スンニ派のスンニとは、預言者モハメッドのスンナ(言行)を重んずる人々の意味。
○インドネシアのスマトラ島からモルッカ海峡ティモール島まで拡がる島々をスンダ列島(Sunda Islands)という。
○スンダ列島は大スンダ列島と小スンダ列島からなる。
○大スンダ列島(Greater Sunda Islands)は、スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、セレベス島などからなる。。
○小スンダ列島(Lesser Sunda Islands)はバリ島から東の島々からなる。
○氷河期には、マレー半島、ジャワ島、スマトラ島、ボルネオ島が一つのスンダランド(Sundaland)という大陸を形成していた。
○重水素と三重水素の混合ガスを1億度以上の高温プラズマ化したうえで、核融合反応を起こさせる核融合炉をトカマク型という。
水曜日, 5月 11, 2005
近いから安易に
人とゴリラやチンパンジーは意外に近い関係にある。争いごとを好まない、争いごとが起きそうになると性的交渉によって争いを回避しようという場合が多いとされるボノボもそう。
生まれたばかりの人間の子供とチンパンジーの子供は、親の贔屓目に目を瞑(つむ)って見てみると似ている。そういう話ではなく。
全部まとめて類似猿と呼ばれるくらいだから当たり前と言われればそれまで。
でも、ゴリラやチンパンジーが人間と同じヒト科( Hominidae )に属するという分類方法を聞いたときは、「ふうん」と「あぁ」と「そう」が同時に出た。
それだけ意外だった。
ゴリラはゴリラ属( Gorilla )、チンパンジーとボノボはチンパンジー属( Pan )、そのチンパンジー属とゴリラ属はチンパンジー亜科にまとめられる。そして、人間が分類されているヒト属( Homo )などと合わせてヒト科( Hominidae )に括られている。
括り方、分類の仕方は幾つかの説があるが、ヒトは500万年から1000万年前ごろにゴリラ、チンパンジー、ボノボと枝分かれしたということは共通認識となっている。
2004年11月にはスペインのバルセロナで、クルサフォント古生物学研究所などのチームがチンパンジー、ボノボやゴリラと人( ヒト )との共通の祖先と考えられる、1300万年前の類人猿の頭骨も含む1個体分の約80の骨のほか、数十の骨の化石を発見している。
人( ヒト )がゴリラなどと枝分かれしたのが、500万年から1000万年前だから、1300万年前というと、枝分かれの時代に近い。300万年という時代の長さも1000万年単位の圧倒的な時代スケールの中で考える必要がある。
1948年にアフリカのビクトリア湖のルシンガ島で発見されたプロコンスルが 2000万年前、1992年にエチオピアで発見されたラミダス猿人が440万年前。
その間はミッシングリンク、謎の空白とされていた。遺伝子解析による結果では、人( ヒト )とチンパンジーは約500万年前に枝分かれしたとされている。
2000万年前から440万年前が空白期間で、その間に枝分かれの時期があったと考えられ、その時期は500万年前から1000万年前とされていたのが、遺伝子解析では500万年前とされる。
そこに、スペインで発見されたピエロラピテクス・カタロニクス( Pierolapithecus catalaunicus )が1300万年前という形で、壮大なパズルの中の1つのピースとして新しく嵌(は)め込まれた。
ピエロラピテクス・カタロニクス( Pierolapithecus catalaunicus )は、指はチンパンジーのようで、体つきは大型類人猿のようで、直立姿勢は人のようだとされている( fingers like a chimp, a body like an ape and the upright posture of humans )。
これぞ、まさしく、人( ヒト )とゴリラ、チンパンジーなどとの共通の祖先という感じがしてくる。
こんなふうに、つらつらと辿ってみると、ゴリラやチンパンジー、ボノボと私たち人間は何て近い関係なのだろう。オオカミとイヌとか、チャウチャウと秋田犬ほどには近い関係ではないにしても。
犬の場合だと、イヌ科( Canidae )の中にイヌ亜科( Canini )とキツネ亜科( Vulpini )がある。丁度、ヒト科( Hominidae )にチンパンジー亜科とヒト亜科があるのと同じ。
ということは、オオカミとイヌほどは近くなくても、犬とキツネほどは近いということになる。
人である私たちとチンパンジーなどが犬とキツネの関係の近さと同じ近さにある。
アフリカのカメルーン政府と南アフリカ政府が所有権を争っている4頭のローランドゴリラ達は、こういう事実を知ったらどう思うだろうか。
ニューヨークタイムズが伝えるところによれば、このローランドゴリラは、カメルーンからナイジェリアに密輸されマレーシアに渡った後に、南アフリカの動物園に落ち着いたという。
ローランドゴリラはエボラウィルス( Ebola virus )やヒトによる被害で数が減ってきているとされる。
密輸されたゴリラ達にとっての安住の地は南アフリカの守られた動物園の中なのか、それとも、故郷の森の中なのか、ゴリラ達自身に聞くことが出来れば問題はややこしくはならないだろう。
しかし、確かに発声は出来ないだろうけれど、例えば、米カリフォルニア州ウッドサイドで研究所「ゴリラ基金」を運営するフランシーヌ・パターソン(Francine Patterson)博士はメスのゴリラ「ココ」に1000を超えるとも言われる言葉(語彙)を教えたことで知られている。
限られた範囲では立派にコミュニケーションが出来るわけだ。
同じような方法で、カメルーンと南アフリカの間で紛争となっているゴリラ達にも聞いてみてはどうだろうかという発想を抱いてしまうのは安易な考えなのだろうか。
<<一言主>>
○ペプチドとは、2個以上のアミノ酸が結合して出来た化合物の総称で、タンパク質とアミノ酸の中間の物質。
○ペプチド(peptide)の種類は無限と言われている。
○ペプチド(peptide)は、タンパク質の分解過程で出来る。
○言質[genchi]:げんしつ genshitsu とも。後で証拠となるような約束の言葉。
○ケンタッキーフライドチキンは、1956(昭和31)年に、カーネル・サンダースがケンタッキーで創業した。
○ケンタッキーフライドチキンの日本一号店は1970(昭和45)年の名古屋に開業。
○スンニ派(Sunni)はイスラム教徒の9割を占める。
生まれたばかりの人間の子供とチンパンジーの子供は、親の贔屓目に目を瞑(つむ)って見てみると似ている。そういう話ではなく。
全部まとめて類似猿と呼ばれるくらいだから当たり前と言われればそれまで。
でも、ゴリラやチンパンジーが人間と同じヒト科( Hominidae )に属するという分類方法を聞いたときは、「ふうん」と「あぁ」と「そう」が同時に出た。
それだけ意外だった。
ゴリラはゴリラ属( Gorilla )、チンパンジーとボノボはチンパンジー属( Pan )、そのチンパンジー属とゴリラ属はチンパンジー亜科にまとめられる。そして、人間が分類されているヒト属( Homo )などと合わせてヒト科( Hominidae )に括られている。
括り方、分類の仕方は幾つかの説があるが、ヒトは500万年から1000万年前ごろにゴリラ、チンパンジー、ボノボと枝分かれしたということは共通認識となっている。
2004年11月にはスペインのバルセロナで、クルサフォント古生物学研究所などのチームがチンパンジー、ボノボやゴリラと人( ヒト )との共通の祖先と考えられる、1300万年前の類人猿の頭骨も含む1個体分の約80の骨のほか、数十の骨の化石を発見している。
人( ヒト )がゴリラなどと枝分かれしたのが、500万年から1000万年前だから、1300万年前というと、枝分かれの時代に近い。300万年という時代の長さも1000万年単位の圧倒的な時代スケールの中で考える必要がある。
1948年にアフリカのビクトリア湖のルシンガ島で発見されたプロコンスルが 2000万年前、1992年にエチオピアで発見されたラミダス猿人が440万年前。
その間はミッシングリンク、謎の空白とされていた。遺伝子解析による結果では、人( ヒト )とチンパンジーは約500万年前に枝分かれしたとされている。
2000万年前から440万年前が空白期間で、その間に枝分かれの時期があったと考えられ、その時期は500万年前から1000万年前とされていたのが、遺伝子解析では500万年前とされる。
そこに、スペインで発見されたピエロラピテクス・カタロニクス( Pierolapithecus catalaunicus )が1300万年前という形で、壮大なパズルの中の1つのピースとして新しく嵌(は)め込まれた。
ピエロラピテクス・カタロニクス( Pierolapithecus catalaunicus )は、指はチンパンジーのようで、体つきは大型類人猿のようで、直立姿勢は人のようだとされている( fingers like a chimp, a body like an ape and the upright posture of humans )。
これぞ、まさしく、人( ヒト )とゴリラ、チンパンジーなどとの共通の祖先という感じがしてくる。
こんなふうに、つらつらと辿ってみると、ゴリラやチンパンジー、ボノボと私たち人間は何て近い関係なのだろう。オオカミとイヌとか、チャウチャウと秋田犬ほどには近い関係ではないにしても。
犬の場合だと、イヌ科( Canidae )の中にイヌ亜科( Canini )とキツネ亜科( Vulpini )がある。丁度、ヒト科( Hominidae )にチンパンジー亜科とヒト亜科があるのと同じ。
ということは、オオカミとイヌほどは近くなくても、犬とキツネほどは近いということになる。
人である私たちとチンパンジーなどが犬とキツネの関係の近さと同じ近さにある。
アフリカのカメルーン政府と南アフリカ政府が所有権を争っている4頭のローランドゴリラ達は、こういう事実を知ったらどう思うだろうか。
ニューヨークタイムズが伝えるところによれば、このローランドゴリラは、カメルーンからナイジェリアに密輸されマレーシアに渡った後に、南アフリカの動物園に落ち着いたという。
ローランドゴリラはエボラウィルス( Ebola virus )やヒトによる被害で数が減ってきているとされる。
密輸されたゴリラ達にとっての安住の地は南アフリカの守られた動物園の中なのか、それとも、故郷の森の中なのか、ゴリラ達自身に聞くことが出来れば問題はややこしくはならないだろう。
しかし、確かに発声は出来ないだろうけれど、例えば、米カリフォルニア州ウッドサイドで研究所「ゴリラ基金」を運営するフランシーヌ・パターソン(Francine Patterson)博士はメスのゴリラ「ココ」に1000を超えるとも言われる言葉(語彙)を教えたことで知られている。
限られた範囲では立派にコミュニケーションが出来るわけだ。
同じような方法で、カメルーンと南アフリカの間で紛争となっているゴリラ達にも聞いてみてはどうだろうかという発想を抱いてしまうのは安易な考えなのだろうか。
<<一言主>>
○ペプチドとは、2個以上のアミノ酸が結合して出来た化合物の総称で、タンパク質とアミノ酸の中間の物質。
○ペプチド(peptide)の種類は無限と言われている。
○ペプチド(peptide)は、タンパク質の分解過程で出来る。
○言質[genchi]:げんしつ genshitsu とも。後で証拠となるような約束の言葉。
○ケンタッキーフライドチキンは、1956(昭和31)年に、カーネル・サンダースがケンタッキーで創業した。
○ケンタッキーフライドチキンの日本一号店は1970(昭和45)年の名古屋に開業。
○スンニ派(Sunni)はイスラム教徒の9割を占める。
火曜日, 5月 10, 2005
我の領分、彼の領分
奥多摩に足を伸ばした。空気も澄んでいて気持ちが良い。
田舎育ちのせいか、どうも人口密度の高いところは息苦しさを感じてしまう。
それでも、どうしても、都心に行かなければならない用事が多々ある。そういう日々が続くと、奥多摩に向う。
今、住んでいる武蔵村山という場所も多摩湖の周辺に行けば、いわゆる里山というものがあって、それなりに自然が豊か。
ただ、気分一新という場合には、近くの自然より、程よく離れた自然が心地よい。見慣れてないものを見ることで、適度な刺激になるというものなのだろう。
ただ、花粉症を抱える身の上としては、杉林が気になる。
スギ、スギ、杉の植えすぎではないかと思いたくなるほどの杉。
これは戦後の植林の効果なのだろうか。もっとも、高尾山の薬王院の周辺では、「蛸杉」弘法大師の伝説の「飯盛杉」、「江川杉」に類するような信仰のための植林と本殿建替えなどの目的のための植林がなされているという。これは、ずっと昔から続く伝統的な植林だと言える。
奥多摩には数々の神聖な場所があるから、あの杉も、そういったものなのかもしれない。
伝統的なものを除いても、戦後の植林の凄まじさはどうしても気になる。花粉の季節が終わっても、杉を見ると鼻がムズムズとしてくる。パブロフの犬状態。
こうして、杉のことを書いている最中にも、クシャミを2回。
杉が気になるのは、実は、人間だけではないらしい。テレビコマーシャルに出てくるように猿も花粉症になるという話ではない。
日本列島にはクマが二種類生息している。
北海道に住んでいる、体長2メートル前後のヒグマ(Ursus arctos)。そして、本州を生活の場としている、体長1.5メートル前後のツキノワグマ(U.t.japonicus)
ツキノワグマは本州とは言っても、九州ではほぼ絶滅したのではないかと考えられている。そして、中国地方でも数が少ないとされる。
これはツキノワグマの食性が影響しているのだろう。
彼らは主として食肉性のヒグマとは違って、ブナやミズナラなどの広葉樹林の木の実を好んで食べるという。
日本列島の植生をみると、北海道は北方針・広混交林。東北から中部地方までが落葉広葉樹林。近畿、四国、中国、九州は常緑広葉樹林となっている。ブナやミズナラ(ブナ科コナラ属)は典型的な落葉広葉樹。
丁度、落葉広葉樹とツキノワグマの生息域は重なる。
そして杉との関係。
そう、落葉広葉樹を切ってしまったり、落葉広葉樹が生えていた跡に杉を植林したことで、ツキノワグマは本来の生息域を随分と狭められてしまったと言われている。人間が直接に森を切り開いて住宅地にしたこともツキノワグマにとっては痛手だが、森が残っていても杉の森になってしまったのではツキノワグマには大変なことになる。
東北ならば、まだ、広範囲に落葉広葉樹林が残っている。
深刻なのは、もともと落葉広葉樹が多くなかった地域に細々を生活していたツキノワグマ達。少ない落葉広葉樹が、より少なくなってしまうことで、豊富な食料を得ることが難しくなることは想像に難くない。
それが、幾つかの自然条件が重なって、木の実が少ないというような事態になってしまうと、もともと少なかった落葉広葉樹林が削られた上に、実りが少ないという状態になる。これでは、非常に臆病な性格とされるツキノワグマも危険を冒してでも人里まで下りて来なくては生きていくことが困難になってしまう。
大型連休の明けた9日、大阪の能勢町でツキノワグマが目撃され、町内の全ての小学校が集団下校する措置がとられたと伝えられている。
人間と動物、お互いの領分というかテリトリーを事前の了解なくして犯すことは、大きな危険を伴う。
====================
ぴっぴっぴっ 携帯電話が鳴っている
ちゅんちゅんちゅん 小さな雀(すずめ)が喋(しゃべ)ってる
もしもしもし ちゅんちゅんちゅん
もし ちゅん もし ちゅん もしもしもし
携帯電話が話してる
小さな雀(すずめ)と話してる
====================
<<一言主>>
○金沢の兼六園は、松平定信が宏大、幽邃、、人力、蒼古、水泉、眺望の六勝を兼ね備えるとして名付けた。
○日本三大名園とは、金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園。岡山の後楽園の夜間ライトアップに行ったことがある。朧げなること記憶に残れり。幽かなること脳裏に刻まれり。
○朧げ:「朧げ」にてはかく参り来なむや-宇津保(俊蔭)と使われると並である様を意味する。
○「宇津保物語」は10世紀後半ごろに源順(みなもとのしたごう)など複数の作者によって書かれた。
○「宇津保物語」の「うつぼ」とは物語中の一つの主人公仲忠が母と住んだ大杉の空洞のこと。
○かなづちの別名「玄翁(げんのう)」は南北朝時代に玄翁法師が下野国の那須野の殺生石を大きなかなづちで打ち砕いた故事から。
○玄翁法師が那須野で打ち砕いた殺生石は鳥羽院に憑いた玉藻前の化身。
○玉藻前はインド出身の九尾の狐が化けた絶世の美女。
○玉藻前は陰明師安倍泰成によって正体を暴かれた。
田舎育ちのせいか、どうも人口密度の高いところは息苦しさを感じてしまう。
それでも、どうしても、都心に行かなければならない用事が多々ある。そういう日々が続くと、奥多摩に向う。
今、住んでいる武蔵村山という場所も多摩湖の周辺に行けば、いわゆる里山というものがあって、それなりに自然が豊か。
ただ、気分一新という場合には、近くの自然より、程よく離れた自然が心地よい。見慣れてないものを見ることで、適度な刺激になるというものなのだろう。
ただ、花粉症を抱える身の上としては、杉林が気になる。
スギ、スギ、杉の植えすぎではないかと思いたくなるほどの杉。
これは戦後の植林の効果なのだろうか。もっとも、高尾山の薬王院の周辺では、「蛸杉」弘法大師の伝説の「飯盛杉」、「江川杉」に類するような信仰のための植林と本殿建替えなどの目的のための植林がなされているという。これは、ずっと昔から続く伝統的な植林だと言える。
奥多摩には数々の神聖な場所があるから、あの杉も、そういったものなのかもしれない。
伝統的なものを除いても、戦後の植林の凄まじさはどうしても気になる。花粉の季節が終わっても、杉を見ると鼻がムズムズとしてくる。パブロフの犬状態。
こうして、杉のことを書いている最中にも、クシャミを2回。
杉が気になるのは、実は、人間だけではないらしい。テレビコマーシャルに出てくるように猿も花粉症になるという話ではない。
日本列島にはクマが二種類生息している。
北海道に住んでいる、体長2メートル前後のヒグマ(Ursus arctos)。そして、本州を生活の場としている、体長1.5メートル前後のツキノワグマ(U.t.japonicus)
ツキノワグマは本州とは言っても、九州ではほぼ絶滅したのではないかと考えられている。そして、中国地方でも数が少ないとされる。
これはツキノワグマの食性が影響しているのだろう。
彼らは主として食肉性のヒグマとは違って、ブナやミズナラなどの広葉樹林の木の実を好んで食べるという。
日本列島の植生をみると、北海道は北方針・広混交林。東北から中部地方までが落葉広葉樹林。近畿、四国、中国、九州は常緑広葉樹林となっている。ブナやミズナラ(ブナ科コナラ属)は典型的な落葉広葉樹。
丁度、落葉広葉樹とツキノワグマの生息域は重なる。
そして杉との関係。
そう、落葉広葉樹を切ってしまったり、落葉広葉樹が生えていた跡に杉を植林したことで、ツキノワグマは本来の生息域を随分と狭められてしまったと言われている。人間が直接に森を切り開いて住宅地にしたこともツキノワグマにとっては痛手だが、森が残っていても杉の森になってしまったのではツキノワグマには大変なことになる。
東北ならば、まだ、広範囲に落葉広葉樹林が残っている。
深刻なのは、もともと落葉広葉樹が多くなかった地域に細々を生活していたツキノワグマ達。少ない落葉広葉樹が、より少なくなってしまうことで、豊富な食料を得ることが難しくなることは想像に難くない。
それが、幾つかの自然条件が重なって、木の実が少ないというような事態になってしまうと、もともと少なかった落葉広葉樹林が削られた上に、実りが少ないという状態になる。これでは、非常に臆病な性格とされるツキノワグマも危険を冒してでも人里まで下りて来なくては生きていくことが困難になってしまう。
大型連休の明けた9日、大阪の能勢町でツキノワグマが目撃され、町内の全ての小学校が集団下校する措置がとられたと伝えられている。
人間と動物、お互いの領分というかテリトリーを事前の了解なくして犯すことは、大きな危険を伴う。
====================
ぴっぴっぴっ 携帯電話が鳴っている
ちゅんちゅんちゅん 小さな雀(すずめ)が喋(しゃべ)ってる
もしもしもし ちゅんちゅんちゅん
もし ちゅん もし ちゅん もしもしもし
携帯電話が話してる
小さな雀(すずめ)と話してる
====================
<<一言主>>
○金沢の兼六園は、松平定信が宏大、幽邃、、人力、蒼古、水泉、眺望の六勝を兼ね備えるとして名付けた。
○日本三大名園とは、金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園。岡山の後楽園の夜間ライトアップに行ったことがある。朧げなること記憶に残れり。幽かなること脳裏に刻まれり。
○朧げ:「朧げ」にてはかく参り来なむや-宇津保(俊蔭)と使われると並である様を意味する。
○「宇津保物語」は10世紀後半ごろに源順(みなもとのしたごう)など複数の作者によって書かれた。
○「宇津保物語」の「うつぼ」とは物語中の一つの主人公仲忠が母と住んだ大杉の空洞のこと。
○かなづちの別名「玄翁(げんのう)」は南北朝時代に玄翁法師が下野国の那須野の殺生石を大きなかなづちで打ち砕いた故事から。
○玄翁法師が那須野で打ち砕いた殺生石は鳥羽院に憑いた玉藻前の化身。
○玉藻前はインド出身の九尾の狐が化けた絶世の美女。
○玉藻前は陰明師安倍泰成によって正体を暴かれた。
月曜日, 5月 09, 2005
思いやる気持ち
ゴールデンウィークの東京湾はコククジラが人気者。7日には習志野で、8日は木更津で、ということだから、クジラ君は東京湾クルージングでも楽しんだのかもしれない。
このクジラ君、クジラの世界での戸籍上の名前は知る由もないが、種類としてはコククジラ科のコククジラ(Eschrichtius robustus)という。
かつては北半球に広く生息していたらしいが、現在では北米大陸の沿岸を中心に生活しているグループ(アメリカ系個体群)とオホーツク海から南シナ海までのアジアの海域を活動の場としているグループ(アジア系個体群)とがある。
クジラと言えば、日本では和歌山県の太地町が知られている。
太地で捕鯨が始まったのは1606(慶長11)年と伝わる。太地の和田忠兵衛頼元と泉州堺の伊右衛門、尾張は知多師崎の伝次の3人が語り合って、突き取り捕鯨法を始めたのが最初だとされている。太地の人だけではなく、他の地方の人が加わっているというのが興味深い。
それも、決して太地から近いとは言えない。同じ領内という訳でもない。陸上で考えるとかなりの距離になるだろう。
船を交通手段としたと考えると、こうした交流は、それほど珍しいことではなかったのだろうか。
そう言えば、四国の阿波は、房総の安房と関係があるし、紀伊半島にも勝浦があるし、房総にも勝浦がある。
もっとも、和泉、紀州、尾張の三者で始まった捕鯨は技術的な課題のために、すぎに廃れたのだという。
本格的な捕鯨が始まったのは、太地の和田忠兵衛の子の代。
だから、捕鯨は太地の人々の手で実質的には始められたと言ってしまっても良い。と言い切ってしまいところだが、何と、その実質的に捕鯨を開始した、子の金右衛門頼照は、再び尾張の知多の小野崎浦から与平次という羽刺(銛打ち)を招いたという。
やはり、船による交流を考えないとならない。
ともあれ、こうして始まった太地の突き取り捕鯨の対象となったクジラの一つにコククジラがいた。最初の頃は、多くの人々がばらばらに捕鯨を行ったために、コクジラを含めたクジラが減少。
そこで、孫の角右衛門頼治が、太地七浦をまとめるとともに、突き取り捕鯨から網取り捕鯨法へと大転換し、捕鯨業の危機を乗り切った。
彼は紀州藩主徳川光貞から太地姓を許され、太地角右衛門として全国に名を馳せるようになる。
網取り捕鯨法の対象となったのはザトウクジラだったことからすると、この頃、17世紀後半までには日本近海ではコククジラがかなり減少していたのではないのかと考えられる。
一方、アメリカ系コクジラのほうは、ずっと下って、19世紀から20世紀前半に乱獲されている。捕鯨法の発達もあって、絶滅が危惧されるまでに至ったほど。この点は、太地でのコクジラの減少とは比較にはならない。
ただ、その後、1946年には捕鯨禁止となったことで絶滅を免れている。
アメリカでは1994年にコクジラを保護対象から外している。完全に絶滅の危険が去ったと見なされたわけだ。
その証拠に、増えすぎたことで餌不足に陥ったコクジラ約350頭が打ち上げられるという事件が1999年に起きている。
こうした状況はアジア系でも同じと考えられ、2000年にケニアで開催された第11回ワシントン条約締結国会議(COP11)では、日本政府は北西太平洋のミンククジラとともに、北東太平洋のコクジラの国際取引解禁を提案している。
但し、北米沿岸ではホエールウォッチングなどの主役を務めるコクジラ。増えたとしても、それだけで即捕鯨しても良いという具合には国際世論は動かない。日本政府の提案も結局否決。
獲ることを許すかどうかに関しては、様々な背景から、様々な意見がある。
しかし、コクジラの生態系に何かが起きているらしいことは、1999年の事件でも分かる。
日本の近くでも、ロシアのサハリンで行われているサハリン?からI?IXの石油・天然ガス開発(サハリン?とサハリン?は進行中)がコクジラの生態系に大きな影響を及ぼすことが心配されている。
ゴールデンウィークの主役となった東京湾のコクジラがどういう原因で東京湾に現れたかは分からない。
ひょっとすると、興味を持って立ち寄っただけかもしれない。
そうだったとしても、少し気になる。
捕鯨の町、太地町でも梶取崎公園に「くじら供養碑」を建て供養を行っている。東京の品川にも供養するための神社がある。
生きていくために、他の動物の命を奪うことが不可避の場合がある。
だからこそ、思いやる気持ちを持つことが大切なのだと思う。
金子みすゞの「おさかな」の詩の中の
うみの さかなは かわいそう
を思い出しつつ、
うし は それでもかわいそう
と思う気持ちを持ちつづけたい。
生きてることは つらいもの
生きてくうえでは 苦しみを 伴わずには いられない
生きとし生けるものたちを
その輝ける営(いとな)みを 断ち切ることで 生きている
断ち切らずには 生きられぬ
それでもね 生きてることは 素晴らしい
ほかとつながり 持てるから
みんなと 感動できるから
その素晴らしさは 苦しみを
避けて通れぬ 悲しみを
何10倍にも 上回る
喜びの 生きてて分かる 嬉(うれ)しさの
底には 確かに 悲しみが
そこには 痛みがともに 生きている
<<一言主>>
○音楽家ヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach)はドイツ中部のアイゼナハ(Eisenach)の出身。
○アイゼナハ(Eisenach)はドイツ、チューリンゲン州(Bundesland Thueringen)西端の工業都市。
○「愛国駅」は北海道帯広市愛国町にあった国鉄広尾線の駅。
○「愛国駅」は1929(昭和4)年11月2日開業。
○「愛国駅」は戦前の開業。しかし、ブレークしたのは1974(昭和49)年。幸福駅行き乗車券が爆発的に売れ300万枚を突破した。
○1987(昭和62)年2月1日の広尾線廃止をもって「愛国駅」の歴史は終わった。しかし、愛を願う気持ちには終わりはないということで駅舎は残されている。
○アポロコンピュータ社は1980年の創業。商用エンジニアリング ワークステーションではSUNよりも先行していたが、Hewlett-Packard社によって1989年に買収され幕を降ろした。
日曜日, 5月 08, 2005
波長が合えば
朝方は晴れて蒲団を干せるほどだったのに、昼から怪しい雲行き。霧のような、雨のような小粒がパラリパラリ。
外をふらりふらりしていると、花が見事にきらりきらり。
思わず写真をパチリパチリ。
明けない夜はないからと
聞いたことある ひと台詞(せりふ)
スクリーン それで閉じれば 終わるけど
私は それでも ここにいる
明けない夜はないけれど
いつかは 必ず 明けるけど
寝坊をしたら どうなるの
目を覚ましても 夜じゃない?
確かに 夜は明けたけど
それじゃ 私に意味がない
お日様通るサイクルと 私の生きる生き方と
重ならなければ 駄目(だめ)じゃない?
君の明かりが欲しいのに スイッチ入れれば すぐなのに
<<一言主>>
○湾曲している地形を「曲(わだ)」という。
○わだつみとは、海の神を意味する。
○「わだつみ」は「わたつみ」が転じたもの。
○海岸のことを「わた(綿)」と言った。
○インド=ヨーロッパ語族で pa は食べ物を意味する。
○ラテン語で父親を意味する pater は食べ物を意味する pa から発生した。
○新井白石は『東雅』で語源を論じた。
====
★鹿児島市千石町7-15 の 「ねぎらーめん」の黒豚一杯の餃子を賞味。
こちらは鳥飯が入った稲荷寿司。
外をふらりふらりしていると、花が見事にきらりきらり。
思わず写真をパチリパチリ。
明けない夜はないからと
聞いたことある ひと台詞(せりふ)
スクリーン それで閉じれば 終わるけど
私は それでも ここにいる
明けない夜はないけれど
いつかは 必ず 明けるけど
寝坊をしたら どうなるの
目を覚ましても 夜じゃない?
確かに 夜は明けたけど
それじゃ 私に意味がない
お日様通るサイクルと 私の生きる生き方と
重ならなければ 駄目(だめ)じゃない?
君の明かりが欲しいのに スイッチ入れれば すぐなのに
<<一言主>>
○湾曲している地形を「曲(わだ)」という。
○わだつみとは、海の神を意味する。
○「わだつみ」は「わたつみ」が転じたもの。
○海岸のことを「わた(綿)」と言った。
○インド=ヨーロッパ語族で pa は食べ物を意味する。
○ラテン語で父親を意味する pater は食べ物を意味する pa から発生した。
○新井白石は『東雅』で語源を論じた。
====
★鹿児島市千石町7-15 の 「ねぎらーめん」の黒豚一杯の餃子を賞味。
こちらは鳥飯が入った稲荷寿司。