金曜日, 5月 20, 2005
人は地道に
小さな虫が沢山飛び交っている。虫は苦手なので、飛んでいる虫が小さいということが何よりの救いではある。ただ、集団で飛んでいるので、歩いていて、その集団に出くわしてしまうと、髪の毛と言わず、服と言わず、顔にさえもくっ付く。一匹や二匹というレベルではなくて何匹も。
こうなってくると、全身虫だらけのような気がしてしまって仕方が無い。虫自体は、何と言う名前なのかは知らないが、かなり小さい。どの位小さいのかというと、良く見なければ、埃(ホコリ)と間違えてしまうほど。1ミリの半分もない程度の大きさ。
集団で一斉に飛んでいるということは、ここのところ天気が良いので羽化したということか。
お酒を飲んで天にも昇る気持ちになることを羽化登仙という。もともとは、いわゆる神仙思想の中で仙人に羽が生えて天上界へ昇ること。
おそらくは昆虫の羽化の様子を見て、人間に当て嵌めて考えたのだろう。
昆虫のように羽が生えて飛べたら良いのにという考え方は古くから世界各地にある。
鳥になりたいというのもある。しかし、鳥だと手が羽になっているから、飛べるようになっても、鉛筆を持ったり、ジュースの缶を持ったりということが不便になる。
劇の発表会やテーマパークでの仕事などで鳥の着ぐるみを着たことがある人は実感できると思う。羽でモノを掴(つか)むのは相当に難しい。
お昼弁当を、そのままの格好で食べようとすると、もう大変なもの。
その点、昆虫の場合は肢(足)があって羽もある。
イカロスではないが、鳥になった気分になっても、あるいは鳥人間と言われる伝説でも、それは、厳密には鳥ではなくて虫ではないか。
ともあれ、昆虫が幼虫から羽のある成虫へと、昆虫にしては華麗な変身を遂げるというのは感嘆せざるを得ない。
華麗な変身を遂げるのは昆虫の約85%と言われている。昆虫のほとんどと言ってもよい。卵から、あまり脚光を浴びることのないイモムシと呼ばれる幼虫時代を過ごし、更には蛹(サナギ)などという生きているのか死んでいるのか分からないような窓際族を経て、蝶々ならば誰もが振り向くようなスターへと変身する。
成虫はスターであるけれど、スターにはスターなりの悩みを抱える。スターはもはや成長することが出来ない。中には、生殖器官以外の体の器官が退化してしまう昆虫もいる。口さえも退化してしまう種類もいるというのには驚く。
ちょっと人間には当て嵌めて考えることの出来ないような腰の部分のクビレなどは退化の例だとか。
昆虫の残りの約25%はサナギの段階を通過しない不完全変態と呼ばれるものと、成虫になっても翅がない無変態というもの。
それでも、不完全変態にはトンボなどが含まれるから、華麗な変身と言えるだろう。
人が虫の華麗な変身を見て、自分に投射して憧れるのも無理はない。
しかし、虫と人とは決定的に異なる点がある。
人を含めて哺乳類、爬虫類、両生類、魚類では体の内部に骨があって、骨の周りに筋肉が付いている。これは内骨格という。
一方で、昆虫の場合は体の一番外側が鎧(ヨロイ)のような堅い構造になっていて、その堅い殻の内側に筋肉が付いている。これを外骨格という。
人間の場合は、肉のつき方というのは骨によって邪魔されたりしないから、限界はあるにしても、かなり外側にまで肉を付けることが出来る。つまり、どんどん太ることが可能。昆虫の場合は殻で覆われているので、そう簡単にはブクブクとは太ることが出来ない。
アニメで太った昆虫が出てくるのを見て、当の昆虫はニヤリとしているかもしれない。
太ろうと思ったら、外側の堅い殻を取り替えなくてはいけない。これが脱皮。
人間が太ったら、洋服のサイズを変えるように、昆虫の場合は体が大きくなってハチキレそうになると殻を取り替える。
人間は着替えることは出来ても脱皮は出来ない。
昆虫の華麗は変身というのは脱皮のなせる技でもある。ということは人間が昆虫のように華麗な変身というのは出来ないということ。
人間である以上は、少しづつ地道に変わっていくしかない。
<<一言主>>
○及第 きゅうだい
試験に合格すること。若い人に言っても通じないことが多くなってきている。
○落第 らくだい
試験に合格しないこと。あるいは失格という意味にも用いる。
○洛中 らくちゅう
京都の中。京都市内。もっとも、現在の京都市にはかつては京都には含まれていなかった地区が含まれている。
○洛外 らくがい
京都の外。京都市内の外なのか縁(へり)なのかは非常に微妙な問題を含んでいる。
○洛中尽くし [名詞」らくちゅう-づくし
京都の名所を紹介した書籍などのこと。絵や写真が中心で文章は添え物であることが多い。京都以外から来た観光客が持ち歩くガイドマップ。こうしたガイドマップのお蔭で京都以外の人々が京都の人以上に京都通になるという事情は今も昔も変わりない。
○洛中払い [名詞]らくちゅう-ばらい
江戸時代に行われた追放刑の一つ。京都から追い出すこと。刑罰としてではなくても、居たたまれなくなって、自らを洛中払いにする場合も稀にあり。
こうなってくると、全身虫だらけのような気がしてしまって仕方が無い。虫自体は、何と言う名前なのかは知らないが、かなり小さい。どの位小さいのかというと、良く見なければ、埃(ホコリ)と間違えてしまうほど。1ミリの半分もない程度の大きさ。
集団で一斉に飛んでいるということは、ここのところ天気が良いので羽化したということか。
お酒を飲んで天にも昇る気持ちになることを羽化登仙という。もともとは、いわゆる神仙思想の中で仙人に羽が生えて天上界へ昇ること。
おそらくは昆虫の羽化の様子を見て、人間に当て嵌めて考えたのだろう。
昆虫のように羽が生えて飛べたら良いのにという考え方は古くから世界各地にある。
鳥になりたいというのもある。しかし、鳥だと手が羽になっているから、飛べるようになっても、鉛筆を持ったり、ジュースの缶を持ったりということが不便になる。
劇の発表会やテーマパークでの仕事などで鳥の着ぐるみを着たことがある人は実感できると思う。羽でモノを掴(つか)むのは相当に難しい。
お昼弁当を、そのままの格好で食べようとすると、もう大変なもの。
その点、昆虫の場合は肢(足)があって羽もある。
イカロスではないが、鳥になった気分になっても、あるいは鳥人間と言われる伝説でも、それは、厳密には鳥ではなくて虫ではないか。
ともあれ、昆虫が幼虫から羽のある成虫へと、昆虫にしては華麗な変身を遂げるというのは感嘆せざるを得ない。
華麗な変身を遂げるのは昆虫の約85%と言われている。昆虫のほとんどと言ってもよい。卵から、あまり脚光を浴びることのないイモムシと呼ばれる幼虫時代を過ごし、更には蛹(サナギ)などという生きているのか死んでいるのか分からないような窓際族を経て、蝶々ならば誰もが振り向くようなスターへと変身する。
成虫はスターであるけれど、スターにはスターなりの悩みを抱える。スターはもはや成長することが出来ない。中には、生殖器官以外の体の器官が退化してしまう昆虫もいる。口さえも退化してしまう種類もいるというのには驚く。
ちょっと人間には当て嵌めて考えることの出来ないような腰の部分のクビレなどは退化の例だとか。
昆虫の残りの約25%はサナギの段階を通過しない不完全変態と呼ばれるものと、成虫になっても翅がない無変態というもの。
それでも、不完全変態にはトンボなどが含まれるから、華麗な変身と言えるだろう。
人が虫の華麗な変身を見て、自分に投射して憧れるのも無理はない。
しかし、虫と人とは決定的に異なる点がある。
人を含めて哺乳類、爬虫類、両生類、魚類では体の内部に骨があって、骨の周りに筋肉が付いている。これは内骨格という。
一方で、昆虫の場合は体の一番外側が鎧(ヨロイ)のような堅い構造になっていて、その堅い殻の内側に筋肉が付いている。これを外骨格という。
人間の場合は、肉のつき方というのは骨によって邪魔されたりしないから、限界はあるにしても、かなり外側にまで肉を付けることが出来る。つまり、どんどん太ることが可能。昆虫の場合は殻で覆われているので、そう簡単にはブクブクとは太ることが出来ない。
アニメで太った昆虫が出てくるのを見て、当の昆虫はニヤリとしているかもしれない。
太ろうと思ったら、外側の堅い殻を取り替えなくてはいけない。これが脱皮。
人間が太ったら、洋服のサイズを変えるように、昆虫の場合は体が大きくなってハチキレそうになると殻を取り替える。
人間は着替えることは出来ても脱皮は出来ない。
昆虫の華麗は変身というのは脱皮のなせる技でもある。ということは人間が昆虫のように華麗な変身というのは出来ないということ。
人間である以上は、少しづつ地道に変わっていくしかない。
<<一言主>>
○及第 きゅうだい
試験に合格すること。若い人に言っても通じないことが多くなってきている。
○落第 らくだい
試験に合格しないこと。あるいは失格という意味にも用いる。
○洛中 らくちゅう
京都の中。京都市内。もっとも、現在の京都市にはかつては京都には含まれていなかった地区が含まれている。
○洛外 らくがい
京都の外。京都市内の外なのか縁(へり)なのかは非常に微妙な問題を含んでいる。
○洛中尽くし [名詞」らくちゅう-づくし
京都の名所を紹介した書籍などのこと。絵や写真が中心で文章は添え物であることが多い。京都以外から来た観光客が持ち歩くガイドマップ。こうしたガイドマップのお蔭で京都以外の人々が京都の人以上に京都通になるという事情は今も昔も変わりない。
○洛中払い [名詞]らくちゅう-ばらい
江戸時代に行われた追放刑の一つ。京都から追い出すこと。刑罰としてではなくても、居たたまれなくなって、自らを洛中払いにする場合も稀にあり。
木曜日, 5月 19, 2005
空の青さは美しい
緊急の仕事で東奔西走、駆けずり回り、ずり回り、
気が付いてみたら、日も暮れて、夜も暮れて、しょぼくれて。
迎えた朝日は実に気持ちが良い。根拠も理由もないけれど、雲一つ無い空よりも、薄っすらと淡い雲が幾つか棚引いている空がいい。
雲の存在が空の本来の透明な青さを引き立たせる。そんな気がする空が好き。
この空の青さというのは光の性質によるものという。太陽の光の中には、虹を思い浮かべてみると分かるように、色々な色が含まれている。色々な色というのも洒落た表現。
それは兎も角、赤だの、青だの、黄色だの。それぞれの色が様々に組み合わさって色々な色がある。
それなら、光が作り出している空の色というのも、全面、虹のように色づいても良さそうなもの。一見、空全体が虹色だと輝いていて綺麗なように思える。
でも、ちょっと考えると、丁度、シャボン玉を内側から見上げたような状態になるわけで、あまり綺麗ではないようにも思える。シャボン玉は外から見るから綺麗なのであって、内側から見るとそれほどでもない。そんなことを大きなシャボン玉の中に入って遊んだことがあるという人から聞いたことがある。
やはり、空は青いのがいい。虹も雲と同じように、空一面を覆うのではなく、アクセントとして空の一部を彩っていたほうが相応しい。
実際、空は青い。虹がいっぱいに広がったような色合いにはなっていない。これは、青い光というのがモノにぶつかると、あちこちに散らばるという性質によるものという。
光というのは電磁波というものの一つの形。光にも赤外線、可視光線、紫外線などと種類がある。幾つかの種類があるけれど、そうした光はラジオやテレビなどで非常にお世話になっている長波、短波、FM波などの電波と同じ仲間。それだけではなくて、X線やγ線といったものとも仲間。
その正体はブルンブルンと震えて伝わる波。
今、目にしている光景も波。美しい彼女の姿が見えるのも、頼りない亭主が見えるのも、ブルンブルンと波が伝わってきているから。皆に見つめられると人は美しくなるなんて言うけれど、もしかすると、皆のブルンブルン波を受信して、波を増幅して放送局のように再び電波を発射しているからかも。
見つめる視線の先にある、目に見える光は可視光線は波の内でも、波長が約380ナノメートルから約780ナノメートルの間。ナノメートルというのは10億分の1メートル。
随分と小さい、ではなくて、短い波。短い中でも更に短いのが青い光。反対に短い波の中で長い波が赤い波。ザブンザブンとくる海の波のような波は浮いているスイカに当ってもスイカのほうが流される。これがお風呂の中の波だと、逆にスイカが波を受け止めて蹴散らす。
同じことが空でも起こっているという次第。赤は空に漂う色々な小さな物質を突き抜ける。青い光は、小さな物質に弾き飛ばされる。青い光が、こうして弾き飛ばされるお蔭で空が、こんなにも美しい。
<<一言主>>
○ナ形容詞(形容動詞)は「イ形容詞」と「名詞」双方の特徴を持つ。
○田んぼの「あぜ」のことを「あ(畔/畦)」ともいう。
○「畔」あるいは「畦」とは田んぼと田んぼの間に設けられた区切りのこと。
○非戦闘地域(noncombat area)とは、イラク復興支援特別措置法によって定義された概念で、自衛隊のイラク派遣における活動の要件とされる地域のこと。
「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」のこと.
○「イラク復興支援特別措置法」とは、2003年7月に成立した、イラクの復興支援を目的とした4年間の時限立法。自衛隊によるイラク国内での (1)医療や支援物資の輸送など人道復興支援活動 (2)米英軍などへの輸送、医療などの安全確保支援活動を目的としている。
○閑話休題 かんわきゅうだい
前置きや無駄話の後で、いよいよ本題に入りますよという時に使う語。
気が付いてみたら、日も暮れて、夜も暮れて、しょぼくれて。
迎えた朝日は実に気持ちが良い。根拠も理由もないけれど、雲一つ無い空よりも、薄っすらと淡い雲が幾つか棚引いている空がいい。
雲の存在が空の本来の透明な青さを引き立たせる。そんな気がする空が好き。
この空の青さというのは光の性質によるものという。太陽の光の中には、虹を思い浮かべてみると分かるように、色々な色が含まれている。色々な色というのも洒落た表現。
それは兎も角、赤だの、青だの、黄色だの。それぞれの色が様々に組み合わさって色々な色がある。
それなら、光が作り出している空の色というのも、全面、虹のように色づいても良さそうなもの。一見、空全体が虹色だと輝いていて綺麗なように思える。
でも、ちょっと考えると、丁度、シャボン玉を内側から見上げたような状態になるわけで、あまり綺麗ではないようにも思える。シャボン玉は外から見るから綺麗なのであって、内側から見るとそれほどでもない。そんなことを大きなシャボン玉の中に入って遊んだことがあるという人から聞いたことがある。
やはり、空は青いのがいい。虹も雲と同じように、空一面を覆うのではなく、アクセントとして空の一部を彩っていたほうが相応しい。
実際、空は青い。虹がいっぱいに広がったような色合いにはなっていない。これは、青い光というのがモノにぶつかると、あちこちに散らばるという性質によるものという。
光というのは電磁波というものの一つの形。光にも赤外線、可視光線、紫外線などと種類がある。幾つかの種類があるけれど、そうした光はラジオやテレビなどで非常にお世話になっている長波、短波、FM波などの電波と同じ仲間。それだけではなくて、X線やγ線といったものとも仲間。
その正体はブルンブルンと震えて伝わる波。
今、目にしている光景も波。美しい彼女の姿が見えるのも、頼りない亭主が見えるのも、ブルンブルンと波が伝わってきているから。皆に見つめられると人は美しくなるなんて言うけれど、もしかすると、皆のブルンブルン波を受信して、波を増幅して放送局のように再び電波を発射しているからかも。
見つめる視線の先にある、目に見える光は可視光線は波の内でも、波長が約380ナノメートルから約780ナノメートルの間。ナノメートルというのは10億分の1メートル。
随分と小さい、ではなくて、短い波。短い中でも更に短いのが青い光。反対に短い波の中で長い波が赤い波。ザブンザブンとくる海の波のような波は浮いているスイカに当ってもスイカのほうが流される。これがお風呂の中の波だと、逆にスイカが波を受け止めて蹴散らす。
同じことが空でも起こっているという次第。赤は空に漂う色々な小さな物質を突き抜ける。青い光は、小さな物質に弾き飛ばされる。青い光が、こうして弾き飛ばされるお蔭で空が、こんなにも美しい。
<<一言主>>
○ナ形容詞(形容動詞)は「イ形容詞」と「名詞」双方の特徴を持つ。
○田んぼの「あぜ」のことを「あ(畔/畦)」ともいう。
○「畔」あるいは「畦」とは田んぼと田んぼの間に設けられた区切りのこと。
○非戦闘地域(noncombat area)とは、イラク復興支援特別措置法によって定義された概念で、自衛隊のイラク派遣における活動の要件とされる地域のこと。
「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」のこと.
○「イラク復興支援特別措置法」とは、2003年7月に成立した、イラクの復興支援を目的とした4年間の時限立法。自衛隊によるイラク国内での (1)医療や支援物資の輸送など人道復興支援活動 (2)米英軍などへの輸送、医療などの安全確保支援活動を目的としている。
○閑話休題 かんわきゅうだい
前置きや無駄話の後で、いよいよ本題に入りますよという時に使う語。
水曜日, 5月 18, 2005
頭の中は不思議がいっぱい
昨日に引き続いて朝から雲一つない晴天。近くに日産の工場跡地がある。病院やらショッピングセンターなど様々な施設が建設予定だが、今のところ、広大な空き地が広がっている。
今日のような日には非常に見晴らしが良い。何も障害物がないので、工場跡地のすぐ向こう側だけでなく、ずっと先まで見通せる。
富士山も見える。
昔は、住宅街が広がっていなくて、林が沢山あった。畑も沢山あって、風の強い日などは土ぼこりが舞った。洗濯物を外に干しておくと汚れたほど。
林は子供の時分には絶好の遊び場だった。秘密基地と称して、実は秘密でも何でもないのだけれど、大きな木の上に小さな粗末な壊れ易い小屋のようなものを皆で拵えて、○○ゴッコをしたもの。
そんなことを思い出す。
思い出せばきりがなくて、本当に様々な思い出が、次から次と湧き上がってくる。
こういうことが出来るのも記憶という仕組みがあるからこそ。ただ、問題は記憶という代物は、特に自分の場合は妙に実感してしまったりするのだけれども、実際の出来事とは違っていたりすることがある。思い込みが入っていたり、思い込みが入っていなくても、その後の出来事などに左右されて、初めは実際に起きていた出来事をほぼそのままに記憶していたにもかかわらず、ちょっとづつズレてしまう。そのちょっとづつの積み重ねが、年を重ねると大きなものになって、とんでもないズレになっていたりとか。
昔、一緒に遊んだ仲間と久しぶりに会って話しをしたりすると、そうしたズレが発覚する。ズレがあることが分かるのだが、おそらくはそれぞれの記憶にズレが出てきてしまっているので、実際の出来事がどうであったのかなどといったことは検証することは出来ない。
それは、それで良くないということはない。当時から現在に至るまでのお互いの、共有した出来事に対する思いというが分かるので楽しいというような面もある。
約1カ月前に、ずぶぬれの黒いタキシードという姿でイギリスのケント州に現れたピアノマンと呼ばれる記憶喪失の男性。ピアノでチャイコフスキーの「白鳥の湖」などをプロのように弾きこなし、ピアノの絵とスウェーデン国旗を描いた他は言葉を話すことが出来ないという。
彼に一体何が起きたのか。世界中の注目を集めている。
記憶というものは、自分自身を形作る個人的なエピソードなどの主観的な記憶である「エピソード記憶」と、知識に代表される物事の名前といった客観的なものの記憶である「意味記憶」、意識することなしに思い出せるような、無意識の行動のもとになるような「手続記憶/技の記憶があるとされている。個人的なエピソードに関する記憶と客観的な記憶は合わせて「事柄の記憶」と呼ばれることもある。これは、相互に関係しているから。
こうした様々な記憶はすぐに出来上がるわけではなく、一時的な短期記憶から始まって、短期記憶が何度も繰り返されると長期記憶として正式に頭の中に定着することになる。
脳の中の研究はまさに現在進行形なので、今後新たなことが科学者の手で明らかにされていくだろう。
今の段階で「こうだろう」と思われているのは、外部の刺激が大脳皮質という場所に送られて分析された後に、大脳辺縁系と呼ばれる場所に信号として送り込まれる。
記憶が信号になっているという辺りは、まるでコンピュータのようではある。
大脳辺縁系の海馬と呼ばれる妙な形をしたところの周辺は一時的な記憶が蓄積される場所。
テスト前日の一夜漬けで大いに活躍している場所と言える。一夜漬けの習慣が身についてしまった人は、きっと海馬の周辺が大きくなっているに違いない。海馬への刺激が何回も繰り返されると、信号は最初に通った大脳新皮質に戻される。
大脳新皮質で記憶が定着し本物の記憶となっていく。この大脳新皮質は哺乳類の脳とも呼ばれ、鳥にはないことが知られている。
ところが、鳥は哺乳類と同じように高度な知能を備えていると考えられる行動を採る。
実は、どうして、こうなるのかは科学の一大ミステリーになっている。
「ピアノマン」の不思議と同様、脳というのは身近でありながら、まだまだ知らないことが沢山あるという科学のフロンティア。
<<一言主>>
○枦は櫨の略字で、「はぜ」というのは、うるし科うるし属の植物。学名はRhus succedanea。
○名寄はアイヌ語で渓流に注ぐ口を意味する「ナイオロプト」が訛ったもの。
○風連はアイヌ語で赤い川を意味する「フーレペツ」から。
○士別はアイヌ語で川の岸辺を意味する「シペツ」が語源。
○函館は1454(享徳3)年まではアイヌ語で湾の端を意味する「ウスケシ(宇須岸)」と呼ばれていた。
○日本語の形容詞のうち、簡単だ、もっともだ、のように基本形が「-だ」で終わる形容詞をナ形容詞あるいは形容動詞という。これは名詞の前に付くと、「-な」となることによる。
今日のような日には非常に見晴らしが良い。何も障害物がないので、工場跡地のすぐ向こう側だけでなく、ずっと先まで見通せる。
富士山も見える。
昔は、住宅街が広がっていなくて、林が沢山あった。畑も沢山あって、風の強い日などは土ぼこりが舞った。洗濯物を外に干しておくと汚れたほど。
林は子供の時分には絶好の遊び場だった。秘密基地と称して、実は秘密でも何でもないのだけれど、大きな木の上に小さな粗末な壊れ易い小屋のようなものを皆で拵えて、○○ゴッコをしたもの。
そんなことを思い出す。
思い出せばきりがなくて、本当に様々な思い出が、次から次と湧き上がってくる。
こういうことが出来るのも記憶という仕組みがあるからこそ。ただ、問題は記憶という代物は、特に自分の場合は妙に実感してしまったりするのだけれども、実際の出来事とは違っていたりすることがある。思い込みが入っていたり、思い込みが入っていなくても、その後の出来事などに左右されて、初めは実際に起きていた出来事をほぼそのままに記憶していたにもかかわらず、ちょっとづつズレてしまう。そのちょっとづつの積み重ねが、年を重ねると大きなものになって、とんでもないズレになっていたりとか。
昔、一緒に遊んだ仲間と久しぶりに会って話しをしたりすると、そうしたズレが発覚する。ズレがあることが分かるのだが、おそらくはそれぞれの記憶にズレが出てきてしまっているので、実際の出来事がどうであったのかなどといったことは検証することは出来ない。
それは、それで良くないということはない。当時から現在に至るまでのお互いの、共有した出来事に対する思いというが分かるので楽しいというような面もある。
約1カ月前に、ずぶぬれの黒いタキシードという姿でイギリスのケント州に現れたピアノマンと呼ばれる記憶喪失の男性。ピアノでチャイコフスキーの「白鳥の湖」などをプロのように弾きこなし、ピアノの絵とスウェーデン国旗を描いた他は言葉を話すことが出来ないという。
彼に一体何が起きたのか。世界中の注目を集めている。
記憶というものは、自分自身を形作る個人的なエピソードなどの主観的な記憶である「エピソード記憶」と、知識に代表される物事の名前といった客観的なものの記憶である「意味記憶」、意識することなしに思い出せるような、無意識の行動のもとになるような「手続記憶/技の記憶があるとされている。個人的なエピソードに関する記憶と客観的な記憶は合わせて「事柄の記憶」と呼ばれることもある。これは、相互に関係しているから。
こうした様々な記憶はすぐに出来上がるわけではなく、一時的な短期記憶から始まって、短期記憶が何度も繰り返されると長期記憶として正式に頭の中に定着することになる。
脳の中の研究はまさに現在進行形なので、今後新たなことが科学者の手で明らかにされていくだろう。
今の段階で「こうだろう」と思われているのは、外部の刺激が大脳皮質という場所に送られて分析された後に、大脳辺縁系と呼ばれる場所に信号として送り込まれる。
記憶が信号になっているという辺りは、まるでコンピュータのようではある。
大脳辺縁系の海馬と呼ばれる妙な形をしたところの周辺は一時的な記憶が蓄積される場所。
テスト前日の一夜漬けで大いに活躍している場所と言える。一夜漬けの習慣が身についてしまった人は、きっと海馬の周辺が大きくなっているに違いない。海馬への刺激が何回も繰り返されると、信号は最初に通った大脳新皮質に戻される。
大脳新皮質で記憶が定着し本物の記憶となっていく。この大脳新皮質は哺乳類の脳とも呼ばれ、鳥にはないことが知られている。
ところが、鳥は哺乳類と同じように高度な知能を備えていると考えられる行動を採る。
実は、どうして、こうなるのかは科学の一大ミステリーになっている。
「ピアノマン」の不思議と同様、脳というのは身近でありながら、まだまだ知らないことが沢山あるという科学のフロンティア。
<<一言主>>
○枦は櫨の略字で、「はぜ」というのは、うるし科うるし属の植物。学名はRhus succedanea。
○名寄はアイヌ語で渓流に注ぐ口を意味する「ナイオロプト」が訛ったもの。
○風連はアイヌ語で赤い川を意味する「フーレペツ」から。
○士別はアイヌ語で川の岸辺を意味する「シペツ」が語源。
○函館は1454(享徳3)年まではアイヌ語で湾の端を意味する「ウスケシ(宇須岸)」と呼ばれていた。
○日本語の形容詞のうち、簡単だ、もっともだ、のように基本形が「-だ」で終わる形容詞をナ形容詞あるいは形容動詞という。これは名詞の前に付くと、「-な」となることによる。
火曜日, 5月 17, 2005
気になる左回り
地球は自転している。最近では地球が回っているということを理解していない子供達もいるとか。もっとも、笑うことは出来ない。
何故というと、地球が回っているのであって、太陽や月や星が地球の周りを回っているのではないという証拠を見せてと言われると即座に答えられなかったから。
地球が回っているという証拠というのは結構難しい。歴史的にみても、地球が確かに回っているという証拠が示された例としてはフーコーの振り子の実験(1851年)だとか同じくフランスのコリオリによるコリオリの力の発見が知られている。
コリオリの力というとお風呂の話で記憶している人が多いのではないだろうか。私の、その一人。お風呂の栓を抜くと水が反時計周りに渦巻く。これはコリオリの力によるもので、地球が回っている証拠なのだと。そう、教わった記憶がある。
実は、お風呂の栓を抜いた時の水の渦巻きは、地球の自転というよりも、お風呂の形に大きく影響されるのだという。自宅の風呂場で何回か試してみると、反時計回りで水が抜けていき、時計回りで抜けていくということは無かったから、地球の自転の影響が我が家のちっぽけな風呂場にも影響を及ぼしているのだと、小さな感動を覚えたくなる。
計算によると、東京は北緯30度だが、おおまかに北緯30度前後では1メートルの移動する間に100分1ミリ程度の力を受けることになる。
何キロも移動するなら100分1ミリというのも積み重ねでかなりのものになる。残念ながら、我が家の風呂は両手を広げれば大きさを表現出来る程度。我が家の風呂の水の流れに地球の自転の証拠を見たいというのは、もっと大きな風呂に入りたいという潜在的な願望の表れなのかもしれない。
それは兎も角。
地球は左回りにグルリと回っている。左回り、つまり、反時計回りにグルリグルリと回る回転盤の中心から外側に向けてボールを投げると、ボールは向って右にずれる。
ちょっと複雑。
遊園地のコーヒーカップを想像すると良いかもしれない。相手に向ってお手玉でも、紙でも、ケータイでも、投げてみる。手渡ししてはいけない。
すると、右にずれる。
進む方向に向って左から右側へと流される。これは北半球での話であって、南半球では逆になる。
更に複雑。
兎に角、地球が反時計回り、つまり左回りでグルリと回っているので、進む方向に向って左から右にズレる。
だから、中心の気圧の低い場所に向って風が吹き込む台風の場合は、内側に向って左から右にズレるので、左回り=反時計回りになる。
これは台風の場合。
台風以外を考える場合も同じで、北半球では右に右にとずれていく。
ちなみに、私の従兄弟は近眼のせいもあってか、車を運転する時には右に右にと寄っていく。放っておくとセンターラインを超えてしまって危険極まりない。住んでいる場所が北海道の、しかも、都市部からはかなり外れた場所なので対向車が滅多にはいないというのが何よりの救い。
これは、コリオリの力とは全く関係ないはずだが、本人に言わせると、コリオリの力が働いているに違いないという。本人曰く、日本と反対側の南半球のブラジルに行けば、きっと、左へ左へと寄っていくはずだと。それでは危険性が同じなので、南半球でも、せめて日本と同じ右側通行のオーストラリアとかニュージーランドにして貰いたいもの。
さて、太陽が最も良く当って暑いのは赤道。赤道で温められた空気は、冷たい場所へと流れていく。冷たい場所というと、赤道よりも緯度の高い場所ということになる。
北半球だと、赤道から北極へと向って暖かい空気が移動する。風が南から北に流れる。
ここでも、地球の自転によるコリオリの力が働いて、進行方向に向って右へ右へとズレていく。
赤道から北へ向って吹く風が右へ右へとズレていく。進行方向に向って右へ右へとズレるということは東へと向って吹く風ということになる。
これが、偏東風あるいは北東貿易風と呼ばれるもの。赤道で温められた空気が北上して、再び赤道付近へと北東から戻ってくる循環をハドレー循環という。
赤道からの暖かい空気は北極までは届かない。北極からの冷たい空気が南に下がってくるためで、暖かい空気と冷たい空気は北緯30度よりも緯度の高い、より北の寒帯前線帯と呼ばれる場所から亜熱帯高圧帯と呼ばれる場所の間の地点で出会う。
というわけで、北緯30度よりも北での風の動きというのは、いろいろと大変なことになる。
コリオリの力は地球がグルリグルリと回っている証拠とは言っても、そのコリオリの力を目にするのは、台風の反時計回り以外には簡単ではない。
だから、風呂場の水の流れで感動していてはならないわけだが、どうして我が家の風呂は台風と同じく反時計回りに回るのだろうか。偶然なのだろうが、不思議なもの。
人間の胎内では繊毛が羊水を左向きに流しているという。この左向きの流れが、体の左側のカルシウム濃度を上昇させることで、人間の臓器の位置が決定されるのだという仕組みを東京大の廣川信隆教授のグループが解明した。
たんぱく質とビタミンの仲間であるレチノイン酸の一種であるソニック・ヘッジホッグを袋詰したような物質が分泌され、左回りの流れにのって、胎児の左側の細胞にくっ付くことで、カルシウム濃度が上がるのだとか。それによって心臓が左と決定されるというのだから興味深い。
ところで、この胎内の左回りとコリオリの力は関係はないことは、風呂の水からも想像出来るが、何か気付いていない神秘的なものを感じてしまう。
<<一言主>>
○「手亡豆」は「てぼまめ」と読むようです。 で、手亡豆は「いんげん」のこと。
○札幌の語源は、アイヌ語で乾いた広い場所を意味する「サッ・ポロ」だとする説と、同じくアイヌ語で大きな湿地のある場所という意味の「サリ・ポロ・ペッ」だとする説がある。
○札幌市には、中央区、北区、東区、白石区、厚別区、豊平区、清田区、南区、西区、手稲区の10行政区がある。
○札幌は1972(昭和47)年に政令指定都市へ移行。
○旭川の語源は旭川を流れる忠別川の語源であるアイヌ語で日の川を意味する「チュプ・ペッ」を旭川と意訳したものという説が有力。
○後に北海道庁初代長官となる岩村通俊は、1885(明治18)年に上川に東京、西京(京都)と並ぶ北京の設置を政府に具申した。
○2代目北海道庁長官永山武四郎は旭川の神楽岡を予定地として北京設置を具申。根強い反対に合って頓挫するも、上川離宮計画として再浮上。1889(明治22)年に閣議決定。ところが、札幌、小樽の反対と1894年の日清戦争、1904年の日露戦争勃発によって計画は白紙となった。
何故というと、地球が回っているのであって、太陽や月や星が地球の周りを回っているのではないという証拠を見せてと言われると即座に答えられなかったから。
地球が回っているという証拠というのは結構難しい。歴史的にみても、地球が確かに回っているという証拠が示された例としてはフーコーの振り子の実験(1851年)だとか同じくフランスのコリオリによるコリオリの力の発見が知られている。
コリオリの力というとお風呂の話で記憶している人が多いのではないだろうか。私の、その一人。お風呂の栓を抜くと水が反時計周りに渦巻く。これはコリオリの力によるもので、地球が回っている証拠なのだと。そう、教わった記憶がある。
実は、お風呂の栓を抜いた時の水の渦巻きは、地球の自転というよりも、お風呂の形に大きく影響されるのだという。自宅の風呂場で何回か試してみると、反時計回りで水が抜けていき、時計回りで抜けていくということは無かったから、地球の自転の影響が我が家のちっぽけな風呂場にも影響を及ぼしているのだと、小さな感動を覚えたくなる。
計算によると、東京は北緯30度だが、おおまかに北緯30度前後では1メートルの移動する間に100分1ミリ程度の力を受けることになる。
何キロも移動するなら100分1ミリというのも積み重ねでかなりのものになる。残念ながら、我が家の風呂は両手を広げれば大きさを表現出来る程度。我が家の風呂の水の流れに地球の自転の証拠を見たいというのは、もっと大きな風呂に入りたいという潜在的な願望の表れなのかもしれない。
それは兎も角。
地球は左回りにグルリと回っている。左回り、つまり、反時計回りにグルリグルリと回る回転盤の中心から外側に向けてボールを投げると、ボールは向って右にずれる。
ちょっと複雑。
遊園地のコーヒーカップを想像すると良いかもしれない。相手に向ってお手玉でも、紙でも、ケータイでも、投げてみる。手渡ししてはいけない。
すると、右にずれる。
進む方向に向って左から右側へと流される。これは北半球での話であって、南半球では逆になる。
更に複雑。
兎に角、地球が反時計回り、つまり左回りでグルリと回っているので、進む方向に向って左から右にズレる。
だから、中心の気圧の低い場所に向って風が吹き込む台風の場合は、内側に向って左から右にズレるので、左回り=反時計回りになる。
これは台風の場合。
台風以外を考える場合も同じで、北半球では右に右にとずれていく。
ちなみに、私の従兄弟は近眼のせいもあってか、車を運転する時には右に右にと寄っていく。放っておくとセンターラインを超えてしまって危険極まりない。住んでいる場所が北海道の、しかも、都市部からはかなり外れた場所なので対向車が滅多にはいないというのが何よりの救い。
これは、コリオリの力とは全く関係ないはずだが、本人に言わせると、コリオリの力が働いているに違いないという。本人曰く、日本と反対側の南半球のブラジルに行けば、きっと、左へ左へと寄っていくはずだと。それでは危険性が同じなので、南半球でも、せめて日本と同じ右側通行のオーストラリアとかニュージーランドにして貰いたいもの。
さて、太陽が最も良く当って暑いのは赤道。赤道で温められた空気は、冷たい場所へと流れていく。冷たい場所というと、赤道よりも緯度の高い場所ということになる。
北半球だと、赤道から北極へと向って暖かい空気が移動する。風が南から北に流れる。
ここでも、地球の自転によるコリオリの力が働いて、進行方向に向って右へ右へとズレていく。
赤道から北へ向って吹く風が右へ右へとズレていく。進行方向に向って右へ右へとズレるということは東へと向って吹く風ということになる。
これが、偏東風あるいは北東貿易風と呼ばれるもの。赤道で温められた空気が北上して、再び赤道付近へと北東から戻ってくる循環をハドレー循環という。
赤道からの暖かい空気は北極までは届かない。北極からの冷たい空気が南に下がってくるためで、暖かい空気と冷たい空気は北緯30度よりも緯度の高い、より北の寒帯前線帯と呼ばれる場所から亜熱帯高圧帯と呼ばれる場所の間の地点で出会う。
というわけで、北緯30度よりも北での風の動きというのは、いろいろと大変なことになる。
コリオリの力は地球がグルリグルリと回っている証拠とは言っても、そのコリオリの力を目にするのは、台風の反時計回り以外には簡単ではない。
だから、風呂場の水の流れで感動していてはならないわけだが、どうして我が家の風呂は台風と同じく反時計回りに回るのだろうか。偶然なのだろうが、不思議なもの。
人間の胎内では繊毛が羊水を左向きに流しているという。この左向きの流れが、体の左側のカルシウム濃度を上昇させることで、人間の臓器の位置が決定されるのだという仕組みを東京大の廣川信隆教授のグループが解明した。
たんぱく質とビタミンの仲間であるレチノイン酸の一種であるソニック・ヘッジホッグを袋詰したような物質が分泌され、左回りの流れにのって、胎児の左側の細胞にくっ付くことで、カルシウム濃度が上がるのだとか。それによって心臓が左と決定されるというのだから興味深い。
ところで、この胎内の左回りとコリオリの力は関係はないことは、風呂の水からも想像出来るが、何か気付いていない神秘的なものを感じてしまう。
<<一言主>>
○「手亡豆」は「てぼまめ」と読むようです。 で、手亡豆は「いんげん」のこと。
○札幌の語源は、アイヌ語で乾いた広い場所を意味する「サッ・ポロ」だとする説と、同じくアイヌ語で大きな湿地のある場所という意味の「サリ・ポロ・ペッ」だとする説がある。
○札幌市には、中央区、北区、東区、白石区、厚別区、豊平区、清田区、南区、西区、手稲区の10行政区がある。
○札幌は1972(昭和47)年に政令指定都市へ移行。
○旭川の語源は旭川を流れる忠別川の語源であるアイヌ語で日の川を意味する「チュプ・ペッ」を旭川と意訳したものという説が有力。
○後に北海道庁初代長官となる岩村通俊は、1885(明治18)年に上川に東京、西京(京都)と並ぶ北京の設置を政府に具申した。
○2代目北海道庁長官永山武四郎は旭川の神楽岡を予定地として北京設置を具申。根強い反対に合って頓挫するも、上川離宮計画として再浮上。1889(明治22)年に閣議決定。ところが、札幌、小樽の反対と1894年の日清戦争、1904年の日露戦争勃発によって計画は白紙となった。
月曜日, 5月 16, 2005
根拠ある迷信
江戸の歴史は平安時代末期の武蔵七党の秩父党の中の江戸氏が本拠を構えたことに始まるとされている。江戸氏が館を構えたのは、現在の江戸城の城域の中に当るとされている。この館の跡地に、太田道灌が江戸城を築城。その跡地に、徳川家康が入って現在の東京の基礎が造られていく。
徳川家康が江戸に入った時には、江戸城は廃墟になっていたという。ただ、この点に関しては、少しの疑問があるのも事実。
というのは、徳川家康が江戸に入る少し前、つまり、豊臣秀吉による小田原征伐の前に、小田原の後北條氏と常陸の佐竹氏が江戸を争っていたという事実があるから。
太田道灌以降も江戸は重要な拠点の一つであって、打ち捨てられたというような土地ではなかった。そのことから、徳川家康が江戸に入った時に江戸城が廃墟に近かったということはないのではないかと。そう考えられるようになっている。
ところで、江戸城は武蔵七党の江戸氏が築城したことに始まるようなことを書いたが、江戸氏が本拠地を構えたのは、現在の江戸城の中ではなくて、どうももっと千葉よりの場所だったとも考えられている。
これは、江戸という地が、幾つかの大きな暴れ川を抱えていたことと関係している。暴れ川というのは、荒川、隅田川に、江戸川、利根川の4河川。
利根川は、今では、東京から離れた場所を流れているが、それは徳川時代の利根川東遷事業による。この事業によって明治時代までに、利根川は渡良瀬川と奥鬼怒川を繋いで銚子へと注ぐように付け替えられた。
また、現在の江戸川は利根川東遷の前の利根川水系にほぼ沿う形で新たに人工的に作られたもの。それ以前の江戸川は渡良瀬川水系で太日川(ふといかわ)と呼ばれていたという。ともあれ、こうした河川が度々氾濫する地というのが江戸だったわけだ。
当然、ここに本拠地を構えようとすると高台か氾濫の被害に遭わないような場所にしようと考えるのが自然。
河川の氾濫と、それによる湿地帯の広がりということを除くと、江戸という地域は実は風水的にはそれなりの条件が整っている。
丁度、源 頼朝以前の鎌倉を思い出す。鎌倉は三方を山に囲まれている上に、残りの一方は海に面している。鎌倉に外側から迫ろうとすると、切り通しと呼ばれる峻険で狭隘(きょうあい)な場所を抜けてこなくてはいけない。
まさに、鎌倉は戦略的に理想な地。これだけだと、そう思えてくる。ところが、この鎌倉は源 頼朝が入るまでは空白地だったという。誰もいなかった地であったからこそ頼朝が都市を築くことが出来たのだと。鎌倉党という豪族がいたが、彼らの拠点は、現在の鎌倉の地からは少し離れた相模国鎌倉郷村岡、現在の藤沢市村岡辺り。要は、水に囲まれた厳島神社のように聖域としては最適な地ではあったものの、人が住むというのには最適だとはいえなかったのだと考える向きがある。
江戸の話。江戸は北には秩父の山々、西には丹沢山系で囲まれている。東は暴れ川が守っているし、前には東京湾が広がる。平安京のような典型的な地ではないにしても、江戸の地は風水で言う所の竜(地下水流)が水を飲むための通り道に位置する。
だから、暴れ川を調教し、穴のあいている四方の守りに少し手を加えれば、理想の地となる。そして、事実、利根川を初めとする河川の改修と天海僧正による江戸城の鬼門への東叡山寛永寺の配置に始まり目黒不動(竜泉寺)、目赤不動(南谷寺)、目白不動(金乗寺)、目青不動(最勝寺)、目黄不動(永久寺)の「江戸五色不動」による呪術的な江戸鎮護が施された。
暴れ龍を河川改修と呪術で封じ込めたことになる。呪術で封じ込められたのは暴れ龍だけではない。
江戸庶民は鹿島大明神が要石で鯰(ナマズ)を押えている間は地震は起こらないと信じた。14日の神田祭で登場した要石で押さえつけられた大鯰も、寛永5(1793)年の神田祭の曳き物を再現したものという。
鯰(ナマズ)も封じ込まれた。
暴れ龍であれ鯰(ナマズ)であれ、江戸の地下には、何がしかの手段で押さえ込まなければならない魔物が蠢いている。昔の人々は、そう感じたのだろう。
最近、産業技術総合研究所が、関東平野西部の埼玉県鴻巣・川越・朝霞の間に、巨大なくぼみ「半地溝」があることを発見している。地震が起こると、窪みによって揺れが増幅される危険性があるという。
昔の人は暴れ川を龍に喩(たと)えた。地表を流れ氾濫を巻き起こす川だけではなく、地下を流れ狂う巨大な水流に暴れる龍を見た。
地表を流れる河川には改修によって治水を行い、どうすることも出来ない地下の水流に対しては呪術をもって人々に注意を促したと考えることも出来る。
鯰(ナマズ)というのは、関東平野のあちこちにあるという地下の巨大なくぼみ「半地溝」を喩(たと)えたものかもしれない。
<<一言主>>
○琵琶湖の名前の由来は、形が楽器の「琵琶」に似ているからという説がある。
○琵琶に良く似た中国の楽器で五弦があるが、頸の部分、棹の上端の天軫(てんじん)が後ろに曲がっていないという点で琵琶とは区別される。
○「合いの手を入れる」の「合いの手」とは「人の話や物事の進行の間に、活気づけるためにさしはさむ言葉や動作」のこと。
○北海道の面積は北方領土を含めて83,453.57平方キロメートル。
○北海道の人口は日本総人口の約4.5%の568万人。
○北海道の気候は、表日本型、裏日本型、太平洋側東部型、オホーツク型の4つからなる。
○本田美奈子は「本田美奈子.」と「.」付きに改名。ちなみに、仮面ライダーの藤岡弘、も「、」が付いている。
○北海道には、石狩、渡島、檜山、後志、空知、上川、留萌、宗谷、網走、胆振、日高、十勝、釧路、根室の14支庁がある。
徳川家康が江戸に入った時には、江戸城は廃墟になっていたという。ただ、この点に関しては、少しの疑問があるのも事実。
というのは、徳川家康が江戸に入る少し前、つまり、豊臣秀吉による小田原征伐の前に、小田原の後北條氏と常陸の佐竹氏が江戸を争っていたという事実があるから。
太田道灌以降も江戸は重要な拠点の一つであって、打ち捨てられたというような土地ではなかった。そのことから、徳川家康が江戸に入った時に江戸城が廃墟に近かったということはないのではないかと。そう考えられるようになっている。
ところで、江戸城は武蔵七党の江戸氏が築城したことに始まるようなことを書いたが、江戸氏が本拠地を構えたのは、現在の江戸城の中ではなくて、どうももっと千葉よりの場所だったとも考えられている。
これは、江戸という地が、幾つかの大きな暴れ川を抱えていたことと関係している。暴れ川というのは、荒川、隅田川に、江戸川、利根川の4河川。
利根川は、今では、東京から離れた場所を流れているが、それは徳川時代の利根川東遷事業による。この事業によって明治時代までに、利根川は渡良瀬川と奥鬼怒川を繋いで銚子へと注ぐように付け替えられた。
また、現在の江戸川は利根川東遷の前の利根川水系にほぼ沿う形で新たに人工的に作られたもの。それ以前の江戸川は渡良瀬川水系で太日川(ふといかわ)と呼ばれていたという。ともあれ、こうした河川が度々氾濫する地というのが江戸だったわけだ。
当然、ここに本拠地を構えようとすると高台か氾濫の被害に遭わないような場所にしようと考えるのが自然。
河川の氾濫と、それによる湿地帯の広がりということを除くと、江戸という地域は実は風水的にはそれなりの条件が整っている。
丁度、源 頼朝以前の鎌倉を思い出す。鎌倉は三方を山に囲まれている上に、残りの一方は海に面している。鎌倉に外側から迫ろうとすると、切り通しと呼ばれる峻険で狭隘(きょうあい)な場所を抜けてこなくてはいけない。
まさに、鎌倉は戦略的に理想な地。これだけだと、そう思えてくる。ところが、この鎌倉は源 頼朝が入るまでは空白地だったという。誰もいなかった地であったからこそ頼朝が都市を築くことが出来たのだと。鎌倉党という豪族がいたが、彼らの拠点は、現在の鎌倉の地からは少し離れた相模国鎌倉郷村岡、現在の藤沢市村岡辺り。要は、水に囲まれた厳島神社のように聖域としては最適な地ではあったものの、人が住むというのには最適だとはいえなかったのだと考える向きがある。
江戸の話。江戸は北には秩父の山々、西には丹沢山系で囲まれている。東は暴れ川が守っているし、前には東京湾が広がる。平安京のような典型的な地ではないにしても、江戸の地は風水で言う所の竜(地下水流)が水を飲むための通り道に位置する。
だから、暴れ川を調教し、穴のあいている四方の守りに少し手を加えれば、理想の地となる。そして、事実、利根川を初めとする河川の改修と天海僧正による江戸城の鬼門への東叡山寛永寺の配置に始まり目黒不動(竜泉寺)、目赤不動(南谷寺)、目白不動(金乗寺)、目青不動(最勝寺)、目黄不動(永久寺)の「江戸五色不動」による呪術的な江戸鎮護が施された。
暴れ龍を河川改修と呪術で封じ込めたことになる。呪術で封じ込められたのは暴れ龍だけではない。
江戸庶民は鹿島大明神が要石で鯰(ナマズ)を押えている間は地震は起こらないと信じた。14日の神田祭で登場した要石で押さえつけられた大鯰も、寛永5(1793)年の神田祭の曳き物を再現したものという。
鯰(ナマズ)も封じ込まれた。
暴れ龍であれ鯰(ナマズ)であれ、江戸の地下には、何がしかの手段で押さえ込まなければならない魔物が蠢いている。昔の人々は、そう感じたのだろう。
最近、産業技術総合研究所が、関東平野西部の埼玉県鴻巣・川越・朝霞の間に、巨大なくぼみ「半地溝」があることを発見している。地震が起こると、窪みによって揺れが増幅される危険性があるという。
昔の人は暴れ川を龍に喩(たと)えた。地表を流れ氾濫を巻き起こす川だけではなく、地下を流れ狂う巨大な水流に暴れる龍を見た。
地表を流れる河川には改修によって治水を行い、どうすることも出来ない地下の水流に対しては呪術をもって人々に注意を促したと考えることも出来る。
鯰(ナマズ)というのは、関東平野のあちこちにあるという地下の巨大なくぼみ「半地溝」を喩(たと)えたものかもしれない。
<<一言主>>
○琵琶湖の名前の由来は、形が楽器の「琵琶」に似ているからという説がある。
○琵琶に良く似た中国の楽器で五弦があるが、頸の部分、棹の上端の天軫(てんじん)が後ろに曲がっていないという点で琵琶とは区別される。
○「合いの手を入れる」の「合いの手」とは「人の話や物事の進行の間に、活気づけるためにさしはさむ言葉や動作」のこと。
○北海道の面積は北方領土を含めて83,453.57平方キロメートル。
○北海道の人口は日本総人口の約4.5%の568万人。
○北海道の気候は、表日本型、裏日本型、太平洋側東部型、オホーツク型の4つからなる。
○本田美奈子は「本田美奈子.」と「.」付きに改名。ちなみに、仮面ライダーの藤岡弘、も「、」が付いている。
○北海道には、石狩、渡島、檜山、後志、空知、上川、留萌、宗谷、網走、胆振、日高、十勝、釧路、根室の14支庁がある。
日曜日, 5月 15, 2005
旅をしたい
可笑しな雨模様。晴れていたと思って洗濯物を干したら、干し終わった途端ににわか雨。
にわか雨の向こうの空には日の光。
洗濯物は乾いたけれど、これではどうもすっきりしない。そんな塩梅。
雨が上がったと思って外に出たら、日が差しているのに、小雨がパラリ。
今日は、旧国名一覧のページを更新。旅行記などの見出しにするつもり。
日本全国あちこち、津々浦々、行けると良いのにと、いつも思う。
作家の五木さんは、行った場所を日本地図の上に印を付けるということをしている、というのを読んだことがある。
司馬遼太郎氏も街道を行くで各地を旅していた。
旅は日常を離れる機会。自分の日常を離れているからこそ、新鮮な発見もある。しかし、旅先では非日常の面だけに閉じこもり、その地で生活している人々の日常に目を向けるのではなければ、どこへ足を伸ばしても同じではないかと考えている。少し大袈裟ではある。
観光地とされている場所に、観光シーズンにのみ赴くということを繰り返してきた。そうすると、どこも同じだと感じてしまう。観光客という形で統一された嗜好を持つ全国の人々を受け入れているのだから、観光地が画一化してしまうのは仕方のないところ。
それなら、こちらが画一化から一歩抜け出してみよう。それだけで違った側面が見えてくる。
加えて、日本全国、どこへ行っても同じというのが実は表面的なことでしかないということに気がついた。
何年か前、九州の佐賀から熊本まで各駅停車で旅をしたことがある。どうして各駅停車に乗ったのか記憶は朧げ。兎も角も急ぐ旅ではなかった。
途中、何度も長い停車。待ち合わせの停車だったのだろうか。
その停車の度に乗客がかなり入れ替わる。初めは気付かなかったが、面白いことが分かったのだ。乗客が入れ替わると、列車の中で話される言葉が変わる。佐賀から熊本までは距離がある。長い距離の中で徐々に佐賀の言葉が熊本の言葉に変わっていった。
それだけではなく、おそらくは県境だと思うのだが、そこで言葉のイントネーションが大きく変化したのに驚いたのことを覚えている。
佐賀市と熊本市の中心部で言葉を交わしても、このような見事な違いには出会わなかった。
東京には方言がないと言われる。しかし、私の暮らしている場所は多摩弁とも言うべき方言が残っている。年配の方々と話すと良く分かる。年配の人だけかというと、そうでもない。地元出身の高校生などのアクセントも、聞き慣れれば違いが分かる。行政上の市町村の境目で明確にアクセントが違うということはないが、地域での違いというのも、地元にずっと暮らしていると聞き分けることが出来る。私自身は、そうしたイントネーションで話すことは難しい。聞き分けることが出来るだけ。
東京の周辺部でさえ、である。
全国、津々浦々、旅をして観光地ではない所に足を伸ばすと、きっと考えもしなかった驚きがあるに違いない。
時間を見つけて、少しづつ、あちこちと出かけてみたい。
<<一言主>>
○「御」を言葉の頭に付けると尊敬語になる場合と謙譲語になる場合がある。
○話す相手との関係が近い場合、言葉の頭に「御」を付けると、一般的には謙譲語になる。
○「おる」は「いる(居る)」の謙譲語。
○おる: お・る/を・る/居る (動ラ五)[文]ラ変
存在していること、留まっていること。
○京都によくある門跡寺院。門跡とは、もともとは皇族などの高い身分の方々が住まう寺院のこと。
○法親王の居住する寺院を江戸時代には宮門跡と呼んだ。
○摂関家の子弟がいる寺院を江戸時代には摂家門跡と言った。
○門跡寺院の住持のことも門跡と言う。
例えば、2005年4月20に99歳で亡くなった上井寛圓師(かみい_かんえん)は大覚寺門跡だった。
にわか雨の向こうの空には日の光。
洗濯物は乾いたけれど、これではどうもすっきりしない。そんな塩梅。
雨が上がったと思って外に出たら、日が差しているのに、小雨がパラリ。
今日は、旧国名一覧のページを更新。旅行記などの見出しにするつもり。
日本全国あちこち、津々浦々、行けると良いのにと、いつも思う。
作家の五木さんは、行った場所を日本地図の上に印を付けるということをしている、というのを読んだことがある。
司馬遼太郎氏も街道を行くで各地を旅していた。
旅は日常を離れる機会。自分の日常を離れているからこそ、新鮮な発見もある。しかし、旅先では非日常の面だけに閉じこもり、その地で生活している人々の日常に目を向けるのではなければ、どこへ足を伸ばしても同じではないかと考えている。少し大袈裟ではある。
観光地とされている場所に、観光シーズンにのみ赴くということを繰り返してきた。そうすると、どこも同じだと感じてしまう。観光客という形で統一された嗜好を持つ全国の人々を受け入れているのだから、観光地が画一化してしまうのは仕方のないところ。
それなら、こちらが画一化から一歩抜け出してみよう。それだけで違った側面が見えてくる。
加えて、日本全国、どこへ行っても同じというのが実は表面的なことでしかないということに気がついた。
何年か前、九州の佐賀から熊本まで各駅停車で旅をしたことがある。どうして各駅停車に乗ったのか記憶は朧げ。兎も角も急ぐ旅ではなかった。
途中、何度も長い停車。待ち合わせの停車だったのだろうか。
その停車の度に乗客がかなり入れ替わる。初めは気付かなかったが、面白いことが分かったのだ。乗客が入れ替わると、列車の中で話される言葉が変わる。佐賀から熊本までは距離がある。長い距離の中で徐々に佐賀の言葉が熊本の言葉に変わっていった。
それだけではなく、おそらくは県境だと思うのだが、そこで言葉のイントネーションが大きく変化したのに驚いたのことを覚えている。
佐賀市と熊本市の中心部で言葉を交わしても、このような見事な違いには出会わなかった。
東京には方言がないと言われる。しかし、私の暮らしている場所は多摩弁とも言うべき方言が残っている。年配の方々と話すと良く分かる。年配の人だけかというと、そうでもない。地元出身の高校生などのアクセントも、聞き慣れれば違いが分かる。行政上の市町村の境目で明確にアクセントが違うということはないが、地域での違いというのも、地元にずっと暮らしていると聞き分けることが出来る。私自身は、そうしたイントネーションで話すことは難しい。聞き分けることが出来るだけ。
東京の周辺部でさえ、である。
全国、津々浦々、旅をして観光地ではない所に足を伸ばすと、きっと考えもしなかった驚きがあるに違いない。
時間を見つけて、少しづつ、あちこちと出かけてみたい。
<<一言主>>
○「御」を言葉の頭に付けると尊敬語になる場合と謙譲語になる場合がある。
○話す相手との関係が近い場合、言葉の頭に「御」を付けると、一般的には謙譲語になる。
○「おる」は「いる(居る)」の謙譲語。
○おる: お・る/を・る/居る (動ラ五)[文]ラ変
存在していること、留まっていること。
○京都によくある門跡寺院。門跡とは、もともとは皇族などの高い身分の方々が住まう寺院のこと。
○法親王の居住する寺院を江戸時代には宮門跡と呼んだ。
○摂関家の子弟がいる寺院を江戸時代には摂家門跡と言った。
○門跡寺院の住持のことも門跡と言う。
例えば、2005年4月20に99歳で亡くなった上井寛圓師(かみい_かんえん)は大覚寺門跡だった。