木曜日, 3月 22, 2007
かねやす
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「かねやす」は
『本郷も かねやす までは江戸のうち』
という川柳で知られた店だった。ちなみに、「かねやす」と平仮名なのは、別家の芝明神前の兼康との間で元祖争いが生じ、町奉行の裁定で本郷の兼康は平仮名で「かねやす」とすべきとしたことによる。
さて、「かねやす」が川柳に詠まれのは1730(享保15)年の大火の後。
大岡越前守忠相が防災上の理由から現在の本郷3丁目までの町屋を従来の茅葺から土蔵塗屋造、蛎殻葺にすることを命じた。その境目が「かねやす」で、「かねやす」は大きな店だったので目だった。
ちなみに、当時の「かねやす」の看板は赤穂浪士の堀部安兵衛が書いたと言われている。