鎌倉公方足利持氏の七男とされる廣氏を祖とする。 足利持氏は室町将軍足利義教、関東管領上杉憲実と対立。幕府軍に追討され自刃する。これが永享の乱(1438-39)であるが、この時、廣氏はわずか3歳だったという。廣氏は難を逃れ外戚である蔭山氏に養育され、長じて婿入りする。これ以降、廣氏は足利の姓ではなく蔭山を名乗るようになる。貞廣の代になり、紀氏流蔭山氏から再び清和源氏を称する。