明智

源満政流。

承久3(1221)年に治天の君である後鳥羽帝は、源実朝亡き後、鎌倉幕府を率いる北條氏に不信を募らせる。その不信はやがて倒幕への道へと続く。この承久の乱で木田判官重国、重知の父子は後鳥羽帝軍に属し揃って討死する。

 かろうじて重知の子である重用は難を逃れるが、鎌倉幕府の命により美濃国方縣郡開田へ転封。開田を称する。この重用は清和源氏の流れを汲む土岐氏の娘を娶り土岐氏の名跡を承継。重用の次男の重光が明地を名乗り、光行の代に明地を明智と変えた。

 なお、後裔の光高は土岐氏を承継している。