延沢

最上八楯城将の一人である能登守満延が天文16(1547)年に延沢城を築き延沢を称した。満延(満重、信景)は天童頼澄らと最上義光と刃を交えたことで知られる。後に、最上氏に従い、子の遠江守満昌は最上義光の娘を妻とした。元和8(1622)年に主君である最上家が改易になると肥後加藤家預かりとなる。