竜造寺

鎮守府将軍藤原秀郷の七世佐藤公清(きんきよ)の代で九州に土着。公清の孫が佐賀は竜造寺村に居を定め竜造寺を称する。

高房の自殺によって、鍋島家が竜造寺家の家督を継承。