今石動城址

富山県の小矢部にある山城。1585(天正13)年に前田利家が越中あった佐々成政攻略の前線基地として築城した。城には利家の弟である前田秀継が守将として入った。築城と同じ年に、越中守山城主神保氏張、木舟城主佐々平左衛門、井波城主前野勝長ら佐々の軍勢5千騎が攻め寄せ、城を守る前田軍1500騎とが干戈を交えた。

城は落城必至かと思われたが、前田秀継・利秀父子の尽力によって佐々軍を撃退。後に、豊臣秀吉自らが越中平定に乗り出し佐々成政が降伏。何と、今石動城には豊臣秀吉も滞在していたのである。今は山深い地にひっそりとしている地が豊臣秀吉ゆかりの地であるというのは感慨深いもの。

前田利家は豊臣秀吉から越中西部を得、秀継は利家から木舟城4万石得て今石動城を去った。代わって、子である利秀が城代となった。その利秀も、天正大地震による木舟城倒壊によって父母が亡くなると木舟城へと移った。

とことが、木舟城下の被害は甚大であり復興が困難と判断するや、木舟城下の寺社を伴って今石動城に戻った。

1593(文禄2)年に朝鮮出兵への途上で前田利秀が若くして亡くなると、家臣の篠島清了が名代として3千石を得て城下を治めた。廃城となったのは1638(寛永15)年の事であり、一国一城令による。但し、篠島氏による名代統治は1710(宝永7)年まで続いている。


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