高岡城址
今回の美と歴史の旅の範囲は富山県と石川県。私の強い関心は鎌倉時代と室町時代にある。とはいえ、富山と石川と言えば前田家を抜きにしては語れない。つまりは、江戸時代の前田家の事績を素通りすることは難しい。それは、また、室町時代の事績の否定であり継承でもあるが、この地にあっては、あまりにも前田家の影響が大きいために触れない訳にはいかないのだ。
という次第で、目玉と一つとしていたのが高岡城。高岡へは二度目であるも、高岡城へは初めて。
高岡城は加賀藩2代藩主である前田利長が弟の利常に藩主の座を譲った後の隠居城として築城されたもの。前田利長は初め富山城に隠居したが焼失のため、一時、魚津城に移り、その後、射水関野の地に高山右近に命じて城を築いた。
利長は1599(慶長4)年に父の利家が亡くなった後に、父の遺言に反して加賀に戻ったために徳川家康から謀反の嫌疑を掛けられ、加賀征伐の危機を招く。利長は豊臣家に救いを求めるも拒絶され、結局は、自身の隠居と養子の利常と徳川秀忠の娘である珠姫(天徳院)との婚姻を約して危機を回避した。
高岡城築城の背景には徳川家と前田家との熾烈な政治戦があったのだ。
2011年8月21日訪問。
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