皆川城址
栃木の中心部から3-4キロ離れた場所にある古城。ここは結城氏一族の長沼氏の流れを汲む皆川氏の居城。長沼(小山)宗政の嫡孫・皆川宗貞が寛喜年間(1229-1232)に築城したという。皆川という名乗りも宗貞から。宗貞の子孫の広照は結城家中でも有名な猛将の蟠竜斎(ばんりゅうさい)こと水谷正村を叔父とする。豊臣秀吉による小田原征伐の後は後北条氏から徳川家の支配下となる。徳川家康の6男・松平忠輝の家老職を務め信濃飯山藩へと移る。しかし、松平忠輝を巡る一連の騒動の中で改易となる。その後、許されて常陸府中藩に封じられる。しかし、孫の成郷の代で嗣子なく断絶した。公園として整備されていると、様々な書にあるが、現在は工事の最中。目印も目立つものではなく、少し行きにくい。近くの駐在所で道を聞こうとするも生憎の巡回中。結局、城の塀を模した塀のある公民館を目印とした。
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