鹽田

鎌倉幕府第三代の執権北条泰時の弟、北條(極楽寺)重時が信濃国鹽田に築城。その子であり鎌倉幕府連署の義政が建治3(1277)年に鹽田に居を移し鹽田を称したことに始まる。その後、3代に渡って鹽田を統治した。鎌倉幕府滅亡時に他の北條一門とともに鎌倉は東勝寺にて国時、俊時とともに自決。これにより鹽田氏は歴史の表舞台から姿を消す。